◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題を中心に、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者や変態ケモナーとしても知られる異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
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天狗の座椅子の重みを測る、の話




前回の内容はとても大切で、けなしやがって!と捉えられたら残念なこと。
ついでだから少々デリケートな話をしましょうかに。

謙虚と驕慢の隙間の天狗の座椅子の秤のデザインの話です。
気の利いたお菓子をお手元にお読みください。チーズおかき等。



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「天狗になってんじゃねえの?」

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例のない方法論を探り、少し変わった表現活動や意見表明をしていると、
しばしば「天狗」と言われます。悲しいね。

f:id:saran-p:20201104230220j:plain 天狗になってんじゃねえよ

経験上、真面目に謙虚に徹しても何かしら為せば囁かれます。
井の中の蛙」「何人かお前のこと相当嫌ってる」とわざわざ言ってくる人も。
「だからお前はこれから毎日連絡してこい」だって。なんで?

f:id:saran-p:20201104230206j:plain みんなから嫌われてるよ

仲間募集をかけたら「他人にザキールフセインと同じレベルを要求するということは、
君はスルタンカーンくらいやるんだよね?! デモテープ送れ」
とか、
舞台の感想を伝えると「口先だけの豚野郎。では私が100万円の会場を借りて、
君が私と同じことが出来なかったら代金を払え」
と返されたこともありましたな。
なんで? なんで?

f:id:saran-p:20201104230201j:plain 口先だけは立派だね

集まり易いのかな、ツンツン鼻っぱしら丸出しの、あの。
具体的に誰がどうと明かすと吊るし殺してしまうので控えますが、
いずれもインド芸能研鑽の界隈からです。神々しく装っといて自己愛忿怒極まれり。

f:id:saran-p:20201104230228j:plain 他人の殻にとじこもって偉そうだね

お諌めとしては有り難く受け止めつつ、だいぶ後になってから気付きます。
貴様は天狗だ蛙だ豚だ、出すぎた杭に説教だと仰りつつも、
ああ、あれはご自身、気に食わない心に釣り合いをとろうとしていたんだなあ。
天狗や蛙や豚は投げかける相手に是非そうあってほしい苦しみの権化で、
真にはその人の心奥に住み、投影や反映として顔を出すのやもしれない。

f:id:saran-p:20201104230156j:plain 他人の飛翔をがんじがらめる ‘正義’ の針

そも「天狗」という言葉自体に一種の呪詛性がある。放つのは専ら、
相手を転ばせて諌めないことには許せない、転落させ改心させ出直させたい、
そうして己の胸をすくところの安心を、結局は他人に期待する者たちだ。
本当に心配してくれる人は天狗など引き合いに出さぬ。


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自分自身が天狗に囚われないためには一歩一歩着実に前進すること、
時々は振り返っても再び歩き始め、茨の山道を諦めないことだが、
前進し続けるにはむしろ免疫のごとく心に予め烏天狗を1匹飼っておくとよい。
顔を出した時に相談し、妖術をお借りはするが、そっと胸の内にお帰り戴く。
さすれば授かりし飛び級の翼に、わあ天狗が出たと騒ぐ衆という構図だ。



文献によると天狗は、天の狗 → 空の怪物 → 流れ星 のことだったのが、
後世になってから鼻高な修験者の偶像をあてられるようになったそうです。
おかげで当初の畏怖たる怪異は、現代では熟達の諌め合い競争に大忙し。

インド古典芸術も同様。俺てっきりプジャ寄り=他者のために祈り贈るもの、
ひいては宇宙にめぐる不思議への賛美ゆえに演ずる芸能であるからして、
母なる宇宙に誰もが頭(こうべ)垂れて臨むものと捉えてきたが、様子がそうでもねーのよ。
魅惑のエスニックをたしなむ貴重な自分をもっと見て!褒めて!認めて!といった、
誰より自分が活躍してみせたい演者らの脂ぎったエゴに辟易させられてきました。
天狗になれるインドの呪詛を自分にかけているんだな。

アミット教室ではそういう心を「オレガ・オレガ」と呼んで自戒し合っていたけれど、
お教室をして苛まれていた面もあったかもなあ、いま思えば。

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この界隈の最大にして最みっともないのは、以下の気質の無言な散見だ。

《神秘の古典芸能を頑張っている自分は無条件に高評価されて当然》

シタールの誰タブラの誰カタックの誰バラタナティヤムの誰と、
いわばナニ系やってる自己満足さん陳列会の状態。そこでは拍動の奥の芸術性よりも、
褒められて然るべき異国ジャンルに浸る自分らしさ構築のほうが重要になっちゃってる。
だけならまだ結構だが、 “やってる” こと=手段だけを自信の裏打ちに、
ツンツン発する気位の心奥にきちんと実力が伴っていないのだけは格好悪い。

魂こもってないご提供に正直な改善点をお伝え申すると、
ムスッと忿怒に転じ、インド文化を正しく理解していない!と正当化したり。
褒められたい認められたい、褒めに来い認めに来い、だから批判はありえない、
なにせ絶対的に偉大で珍しい習い事をやってるんだもん…という営為。

f:id:saran-p:20201104230216j:plain ツンツン鼻の伸ばし合い


距離をとって考えたくもなります。
そう焦り怒るのは結局、捧げものを自己実現の道具に利用したいからなんよ。
或いはたちまち神の遣いにでもなれたように思い込むからでしょうか。
インド古典という手習いが気位の高ぶりを後押しして感じる時すらあるのだ。

慢心めさるな、悠久の瞑想やら、国際理解やら。
なんとおこがましき、世界と日本を音楽で繋ぐ架け橋?
この環境では地道に積み上げたつもりが矮小にひねりあがってしまう。
ところがコミュニティの中にいると不思議と気付けないものなんだよね。


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民族音楽だけではなさそうだ、学術系、とりわけハカセ問題など切実に如実。
分野をイコール実存証明に置き換えてしまうからその座の奪い合いになる。

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座せばたちまち神通力、我こそ一番の解説者・意見番・伝道師!と威張れ、
愚かな劣等民に説教できる、例えるなら “天狗の座椅子” の絶対権威を欲しがり、
その椅子取りゲームに躍起で必死な餓鬼ッコ遊戯の浅ましさ。
嫉妬・やっかみの感情はこの渦中から生まれやすく、椅子の台数に反比例する。

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さてこういうの、何を原初に起因する渇望か熟考するに、
ひとつはむろん生物という進化途上物の本懐、これはしょうがない。
もうひとつにはやっぱり “時代” の重たい影響を感じる。
知らずのうちに流されてきたんだろうね。

 |
 | 敗戦で自信の鼻をへし折られ、自虐の灸を据え点けられたこの国家。
 | 恥ずべき我らダメ民族は魅惑の海外コンテンツにあやかれと促す平伏の強迫。
 | みんな揃って平均点、出し抜きの萌芽を許さない同調主義的社会構造。
 | 海外に溶け込み踏襲し頭を撫でられてこそ日本人の誉れという逆説的グローバル思考。
 | 黒船を丸腰で迎え入れねば日本人の恥とばかりに胸ぐらを掴む公共広告機構
 | しまいにゃ随分なご都合を盲導犬にまで喋らせて。
 |

 かのスイス民間防衛では、って話は今はちょっと左の隅に置いといて…

誰に習わぬ珍怪を日本を出ずして為し毎度驚かれる拙僧ピースケ坊の造作スタイルは、
馴れ合い社会の安寧を乱し、そりゃ苦々しくも映る。覚悟の上で為さねばならぬ。
天狗ブタ蛙の高鼻をへし折ってやりたい苛立ちの頂戴も一定には理解しつつ、
俺としては限られた時間の中、民族芸術史の続きの所存で、有り難く続けている次第。

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そう、あくまで借り物を、さらに磨いて未来へ引き渡してこそ。
確立が概ね済んだ芸事に身を窶(やつ)して自己顕示、承認欲求を偉ぶるより、
隠れたるものたちの秘めたる真を見抜き、見つめて、新たな扉を開いて参りたいのだ。



…ただね、とはいえ、そもそも、人生一発、
自分の才能や努力を自分で信じてやれないでどうして次の一手を踏み出せる?
ほんじゃナニか、仰せのとおりよっぽど俺が世にも愚かなハッタリ天狗様を演じ、
自惚れの鼻をポキ折って尊大の座から転落、人生やり直す感動ドラマをお望み?

しょうがないなぁ〜(のぶ代)。

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トイレットペーパーの芯をこうやってチョキチョキっと(ワクワクさん)。



 へし折ってみたまえ! 吾輩は天賦を越えし化け物なり!

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 吾輩がサランギ弾かば万里に轟く妖氣の如し!
 追随追従にあらず、発見発明、新たなる希望!
 吾輩の足跡が民族文化史の進化の1ページとなる!

 喝! 諸君は吾輩のセンスの扇子のひと煽りを大いに驚き、
 感激のうちに笑い、魅惑に酔い痴れておればよろ\ ヤーッ! /
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と、突如現れては霊験あらたかなる ‘天狗’ の形態模写をみごと本邦初披露するくまお
あまりの完成度にびょうびょうと山おろしが吹き荒れ、全米が感動の渦に包まれた。

…まーた真似ッコする。真剣な話の最中にそっくり天狗さんを呈してのけるとは、
キミは一体、俺への当てつけか。天狗ヤーッ言うのかどうかも知らんし。


            \ コーン /
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湿気ないうちに食べちゃいなさいねと諌めども「コーン」とご返答を頂戴するばかり。
当該銘菓をコーンと称することは少なくともキミより幾分は承知している所存である。



や、確かに増上慢は身を滅ぼそう。しかし他者の道程を天狗だなんだと戒め散らし、
反省させてマウンティングの低き山並みの傍観を何よりの娯楽にするような、
ルサンチ餓鬼マンの呪詛もまたお忘れなく。才恵ある者みな堕ちろと妬み、
己の無能と不遇を慰めたい手合いからはきっぱり距離を置いて日々を歩むべし。

かくして辿り着いた答えはこうです。
誰がどう嗤おうと貶そうと、お為ごかして御説法なさろうとも、
民族楽器学史の端くれだがその先端に立っている私の道は揺るがない
戴いた機会の限りが尽きるまで有り難く歩み続けるがよろしいし、
皆さまにおかれては、あいつはああなんだな~とお眺め戴くのが一番の正解。

左様。即ち、化け物は放っておけ。月並み天狗の貴方ゆえ私を許さず、
棘ある稲穂の私ゆえ貴方に許しを乞うあまり、そこに澱みが生まれる。
ただし気をつけられたしは、稲穂の陰の化け物は事物の裏の肝を抜き、
淀みの血汗を呑んで膨れ上がるものだ。従ってなお、化け物は放っておけ。


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 蝶嘲泥蛙、知道広海。(広い海を知りなさいと、蝶が蛙を笑う。)

 泥蛙沈水、寶在塘底。(宝物は池の底にあると、蛙は水へ潜る。)

 老師亦説、虎子在穴。(先生もまた、虎子を得るには虎穴にと仰る。)

 但我妖虎、我怎入窟。(では私自身が妖かしの虎なれば、私はどう穴に入りましょう。)

 要谦虚! 戲結束了,因你沒錢。(謙虚になれよ! ノーマネーでフィニッシュです。)


               NHK漢詩クソ紀行 〈 ~詩狂・糞狸~ 〉 朗読:江守徹


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マネーの虎たちだって、ああ見えてもなお抗い貫く虎の生き様、立派ではないか。
積む札束の向こう側、誰知らぬ血と涙に、誰がクローズアップするだろう。
その後をヤ〜イ因果応報いい気味だと指差す下衆に、天はどれほど幸を与え給うだろう。

溜飲を嗤って下げる雑魚どもの下品(げぼん)さったら、
まったく肌寒ィでござぃまさぁねぇ~師匠!

この師匠もまた、小学生も言わない下品(げひん)を極めてみせて、その奥に苦労人生を伺う。
臭くそびえるウンシャイン、瞳の輝きは伊達じゃない。誇張しすぎ?


自信と過信、謙虚と驕慢は、諸刃のエッジで返す刀だ。
これ見よがしに稲穂が頭(こうべ)を垂れるなら、天狗ほど隣の天狗が鼻につく。
垂れろ垂れろとうるせえ先輩ほど子テングちゃんだったりすれば、
自分で茎をへし折ってヘコヘコ謙遜いやらしい稲穂もあるのだ。

一方で心地よい若天狗もあるじゃないか、俺は出来るぜ世界を獲るぜと爽やかに。
お調子者に我らはこう厳重注意すべきだ、よーしいいぞ、もっと伸ばせよ高らかに!

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 尻を伸ばすのも… 悪くないだろう

他者の活躍を喜べないところに無用な燻りの火種が生じるのである。


喜べりゃ困りゃせん妬みゃせん!と判断尺度の難しさにお悩みなら、
一家に1台、TIメーターはいかがですか。
我ら兄弟、本機を胸に日々精進だ。目盛りで正確に測れるから朝まで横漏れ安心♪

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TNG=テング極に振りすぎるとツーンと耳鼻につくが、
INH=イナホ極に振りすぎても嫌味。カチン…と警告音がキます。
ただし音楽業界では実音+4dB(デシャバル)前後を0Tngとするのが通例。
表現者なんざ少々自惚れるくらいが元気でよろしいのじゃい!

こんな機械があったらいいな♪ … あったらいいか?
ムーミン谷の宴席で、飛行おにさんが魔法で1人ずつ望みを叶えようか言うから、
スノークの奴、 ‘善悪を裁定する機械’ を望んで即却下されたっけね。
真面目インテリ四角く気取った奴に限ってここぞという時に馬鹿なんだよな。
一番輝いていたのは、自分でなく誰かの幸せを自分が代わって願った者だよ。


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ケツ拭き紙の終わりにも忘ることなき感謝の心。
いえとんでもないこちらこそクソのお世話になりました。

だがもしこうならどうだろう。

「 ま い ど  あ り が た く  お も え 」

ケツ出したまま憤慨だ、余計なお世話だろっつの!!
驕りのデザイン極まれり。+百萬Tngじゃい!!!!



蛙と豚と嗤わば嗤え、男は黙って黙って寝てろ、
おらが魔畑で採れたるは垂れた稲穂の敷き藁に、 
三つ束ねてへし折らぬ天狗印の笑い茸、ってか。

あんた1人でお好きにすれば?と皆さんこぞって罵るわりに、
おいら1人がお好きにしてりゃ言いたげ顔で惹かれ来る。
あんぐり絶句の実力を生涯磨いて参ろうじゃい。



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さておき、天狗の座椅子をデザイン、か。 それはそれで興味深いテーマやね。
天狗さんのご依頼をデザイナーとして叶える時どのような造形が求められようか。
ラグジュアリーな掛け心地は勿論、重量、強度、収納、持ち運び…
エッヘンふんぞり返っても耐えられるリクライニング構造は必須だな。

雲のベンチなら折り畳み脚の確かさが何より重要だ。


椅子は、尻や背中を通じ、人生をひととき支える使命を担った器械である。
我々は無意識のうちに椅子の設計性に支えて戴いている。
知らずのうちに造形の力をお借りして生活にあたっているのだ。
すなわちこの道具は常に他者目線にある。座らせてやって偉ぶる性質にない。

一方でどんな椅子に座るかが人物を象徴する面もあろうし、
どんな人が選ぶかでその椅子が象徴されるとも逆説できるかもしれない。
とは、王座・玉座、=権威性を顕示する椅子が存在するじゃないか。
社長の椅子、知事の椅子、総理の椅子といった具合に。引きずり下ろされたりしてな。


ひきかえ、うちの椅子はもう… お察し品ばっかしじゃけ。持ち主を推して知るべし。

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甲殻類の論文いっちょやるぞの勢いで入手したクソクソ重たい蟹の椅子
同4脚+ロー茶卓の豪奢セットだったようで、そんなに要らんですよと1脚のみ。
これほどくだらないアジア工芸もないが座り心地は意外や良くて疲れない。
蟹の気持ちで腰掛けながら無い知恵ひねって論文書きましたものです。

f:id:saran-p:20201104230309j:plain ギニャーッ

鋭い棘が毎回ドュクシ!!と腕に刺さるのが強いて申せば難か。だいぶ難ではある。


対して滑らかはイケア社の屋外ラウンジ椅子・銘 “スカルポー”

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ゆったり嫌味のない曲線採りと配色で尻にも背にも目にも優しく、
どうぞおケツをと椅子当人が懐を広げているようにも見える。
ポリプロピレン1発のわりに安っぽさがなく、この図体で軽いのがよい。
北欧気取って実務クソ商品の多いイケアにあってなかなか良作です。
立川店から大田区までの電車と徒歩をアフリカ水汲み式に頭に乗せて帰りました。

イケアの椅子といえばオードリー春日、あれはよくぞ正直に壊してみせてくれたよ。
壊れる心配を遠慮なく壊して確かめるというのは工業デザインでは大切な考え方。
多角的な示唆を読み取れるナイスハプニングだったと思う。


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軽い発泡材を、ベトナム産かな? 水ヒヤシンス材でくるんだニトリのスツール
長尺の木材をジグソーで切る振動がズガダガと床に伝わり近所迷惑になるので、
振動を消しながら押さえも利く手頃な作業台代わりとして同2個を買ってきたもの。
座って鑿を振るう時にも材や尻からの振動を消してくれます。
ビニール皮を1枚被せているのはその木屑除けです。上野クリニック!


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セヌフォ族の椅子ティンガティンガハウスという民族楽器屋さんが昔は品川にあって、
お世話になってた時にこういう椅子を知り、朴訥さと便利さに1個欲しくなったのを、
ティンガさん引越してしばらく後に同形の傷物を安く見つけて購入。
床に近い低位置に腰を据えた製作時、じつに頼もしい尻パートナーになります。
ちょっとした飾り台にもできるし、ちょこっと踏み台にもできるしな。


無名な安物ばっかし? うるせい、うるせい、うるせい。
モダンだのプリミティブだのと業界な尾ヒレはどうにだって付けられる。
著名だから高価だからとか誰が設計したから云々どうでもよろしいのだ。

自分で自分をデザインしても、他人のブランドで自分をブランディングしない。
何がいいかは拙者が決める、そりがデザイン天狗の流儀じゃい!
なんつって、実際はどれも勉強の為に雀の涙な稼ぎをはたいてやっとこさです。


強いて著名デザイナーズとなると柳宗理のエレファントスツールか。

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さるご依頼で清家清さんち「私の家」にお邪魔した際、
この象脚椅子がお庭の芝生にポコポコぽっこり生き生きと据えてあって、
わあ可愛い! 探してマイ1脚をと、だいぶ後にこのハビタ再販版を購入。
普段使いはもちろんですが作業時にも使うんでキズ汚れまみれです。
今はもっと手頃な価格で再々販ポリプロピレン版が出ているそうですね。

なんで明確に著名デザイナー作を “強いて” 扱いかというと、
柳宗理先生ご自身、デザイナーてめぇが俺様然とキザに気取リズムを嫌いだからです。
美は普段使いにして作家銘なんか消えてしまえと一貫しておいでだった。凄えよね。



だいぶ脱線するけれど柳先生の話の機会なので…

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柳宗理デザイン、大~~好きなのよ。

やれ日本の工芸工業の先駆者だからとか巨匠だからとかいった、
あれこれ理屈を抜きにしてその造形を好きなんだもんと言い切れるのは、
子供の頃から “寺岡のはかり” を理屈抜きに大大大好きだからです。

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秤なんぞ正確に計れりゃ形なんて無味無骨で差し支えないのである。
だのにそこへゆったりと与えられた白肌の流線、横たわる鋳込みアルミの肉体。
塊から削り起こされ手で撫でながらモデリングされたであろう感覚を呼び醒ます。
頭でっかちな理屈でなく、手から、いやもっと根源、身体から産まれて見えるのだ。
道具を越えた実機能彫刻という視点からいえば若干ヘンリー・ムーアっぽさもある。


幼稚園児の頃、近所に田中屋ストアーという木造トタンの、
八百屋・魚屋・肉屋・菓子屋が集まったTHE・昭和な集合店舗があった。
母に連れられて、肉屋だったかな? この意匠のはかりが使われてたんです。
よく似た形状の製品は同社他社とも色々あるが間違いなくこれ。

で、園児だからバカだので、あのはかりを売って欲しいと店主に言ったことがある
大人たちの笑い声を鮮明に記憶しています。

店主「これは売りもんじゃないんだゴメンネ僕~! ええ奥さんこの秤すごい高いの。
   秤屋が来てね、高えったら、高いけどいいモンだからって…」。

俺が生まれる直前にはスーパーカーブームなる旋風があったそうで、
よう知らんけど近所の兄ちゃん達は何とかウンタックだのデトマソ何とーか、
興奮して語るガギゴギした車をちっともちっとも良さを理解できなかったけど、
俺には当時から今でもこの滑らかな “はかり” こそが昭和を彩るスーパーカー
そのままに私は現在デザイン業界の端くれに居させてもらっています。

デジタル主流の世になればお払いジャンク行きの運命を避けれらぬ商業造形が、
畳んだ店から生き延びて昭和懐古としてちらほら出回るようになったおかげさま、
壊れてても有難いからと、立体曲面の舐め方の勉強と称して、

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いま6台持ってる。
左3台 “ノーブル” 、同じ筐体だが製造時期によってか仕様が若干異なる。
右の手前2台は特大目盛りの後継機 “ロイヤル”、奥は背高の初期型 “パール”。

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ノーブルのうち1台はAC100V電源に繋ぐと計器盤が内部から光ります。
長年探してつい最近ご縁があり譲って戴いた。

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垂直に立ち上がった計器から水平の秤り台へ滑り降りるライン、
ノーブルの窪みには手仕事らしさ、対してロイヤルのスムーズさには垢抜けを感じ、
異なるスタンスで取り組んでいることがわかる。

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加えてツマミ 。秤り皿の上下動をガチャコッと止める固定レバーなのですが、
ここ1個からしてTHE・柳。絶対これ模型を触り削り触り削り作ってるよ。
幾つか作って組んで外して削っては入れ替えて回してズラして正解を追ってると思う。
じゃないとこういうふうには現れてこないんじゃないかなと思います。

皿の角丸やフチの立ち上がりといい、白の筐体に緑の目玉のマットな兼ね合いといい、
全部、全部いい。田中屋ストアーの店舗臭(ぬか床+魚臭)が脳裏を突き抜けます。
食べ物屋さんの秤は食べ物をおいしそうに計ってみせる責務を負うからね。

このシリーズには他にも柳デザインとして紹介されない色違い型違いが存在し、
中でも気になっているのは “ハイパール” という大型背高で金属皿のもの。
パールを応用して寺岡側で製造? しかし土台に柳っぽさもある気がする型番だ。
全バージョン集める気はないが、ハイパールは現物を確かめてみたい。

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好きすぎて勝手にTシャツ自作しましたもん。ここまでいくとちょっと病院行きです。
柳先生がこんなん知ったらきっと、 お前、秤をそんなにどうするってんだ?
秤屋でもやるのか? と笑って怒られそうだな。


実際、学生時代に柳宗理さんにお目にかかったことがござる。
ただ在学中に教授・講師陣から聞かされていたのは、
あの方は気さくだがデザイン論となると猛烈にシビアな喧嘩先生で、
糞味噌バッサリ、凹まされた当時学生=現デザイナー及び教育者多数とのこと。
自分あんな可愛いの作ってんのにさぁ、とブー垂レてらしたな。

なのでおっかなびっくり、…初めまして武蔵野美大の工業デザイン学生で、
いま木や石膏の削り出しで作る手道具を勉強中です… とご挨拶申し上げる流れでは、

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ニコニコにっこり。しかしプレゼンスケッチやレンダリングと称する技能実習
速そうな未来CARだとか未来調家電のザックリ絵を描かせる課題が俺イヤなんです、
必要なんだろうけどこんなので点数つけられるのヤダな、絵空事、絵に描いた餅、
嫌々やらされてました次第です、そう申し伝えるや、みるみる不機嫌の末、

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「大学ってのはま~だそんなことをやらせているんだよ!
 ったく、しょうがねえんだよ!」

と突如おっかねえ形相で怒られました。

というか、そういう教育を学生に怒ってみせてくださったのよ。
ハイッえーと、僕は削り出す方が好きで… と慌てると再びニコニコ。
ほんのひとときですが、率直で真摯、お茶目でもあるお人柄を感じました。

嬉しかったし救われたなー、おかげで俺カーデザイン大ッ嫌いさ。乗りたい車が無い。
業務まる出しの軍用ジープがいちばん健康的だ!

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実際この御仁がそうして世に怒りつつ逆らいつつ物の形に向き合ったことで、
あれだけ柔らかくふくよかな日常造形の数々が世に送り出されたのだ。
でなかったら日本の工業意匠はもっとゴリゴリに角張っていたかもしれない。
そう思うと感激かつ、…でも頑張った課題をこの剣幕で叱られたら凹むわ…と思いました。

昨今の社会ではこう世を憂いて怒れる爺さまをすーぐ「老害」のレッテルかもしらん。
怒り・否定・議論の先にある情熱を最初から悪と決めつけ退けてしまうんだ、傷つきたくなくて。
人間には目指し歩む優しい世界がある。そこを覗くべく、なるたけ内面にフォーカスしたいね。


とは、これ多くの誌面が伝えているからまったく受け売りになっちゃうけれど、
柳デザインの骨頂はラフ画もそこそこにいきなり紙や石膏の模型を作り出し、
手で確かめて使うシーンをシミュレート、可能ならば実際に使ってみて修正を繰り返し、
求めに応じかつ美しい形までじっくり磨き上げるところにある。

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もう直すところがない段階までモデルを追い詰めてからやっと量産向けに計測するそうです。
そのように手を施されることで単なる塊は静かに確かな内面性を秘め、
稀有なリーダーと商品化チームが織り成した結晶と物語が末端ユーザーの喜びに変わる。

ナウくてイケてる “デザイン画” なんぞサラサラパッパ描いて決めてしまわない。
その意味に限って申せば、決して器用とはいえない、まるで泥を匍匐な手法ではあろうが、
近代ゴミデザイン類が概ねサラサラパッパから出てる現実もまた想像に難くない。


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 俺も必ず↑そうしてます。「型紙検討」と呼んでて、手で考えて曲面と闘う。
 来たッ、という瞬間があるんだ。頭やパソコンだと良い形がなかなか出ないの。
 レンダリング実習なんかまるで役に立ってません。


同時に大事なのは、それだけ普段から美との対話を繰り返していたらば、
形の側から思いがけずヒョコンと話しかけてくる瞬間がきっとあったと思うんです。
「(おっ、これはいい形。何かに使えそうだな、とっておこう)」といった具合に。
そういうものを巧く拾い出し採り入れられるかもデザイナーの才能と努力。

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めでたく生活器具に至った製品あれば、形はいいのに日の目を見なかった模型も多数のはず。
バタフライスツールはそちらサイドの世界から呼び出された道具かと俺は考えています。


で、椅子の話に戻りますね。

そんだけ柳デザイン好きでいてバタフライスツールは持ってないの。
綺麗なんだけど…綺麗なんだけど~。
もちろん尻で何度も試して確かに素晴らしいアイデアと実感したけど、
うっかり壊しちゃいそうな印象がどうしても拭えないんだよな。

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むろん通常使用(=尻の垂直荷重)に耐える強度は出てるはずなんです。
でも俺、心配性で、どうしてもここ↓を突き板か金具(赤部分)で補強したい衝動にかられる。

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商業造形のスラング ‘ハスカイ入れたい’ っていうんだけど、
そしたらもうこの造形の本質的な美から離れることになってしまうじゃんかい。
考える余地がまだまだある造形なんだなぁと考え続けさせてしまう造形に見える。


俺は自室用に椅子購入を検討する時、必ずこの項目をぶつけます。

《 一時的な踏み台の用を求められても相応に信頼し得るか 》。

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もちろん椅子は踏み台として使うものではないのだし、
踏み台という道具のもつ《 転倒→死 》の危険は忘れてはならないが、
天井まぎわの用事の際、気をつけつつちょっと立ち乗りに使っても許されるか否か?
この物差しにかけると相当数の名作が選考から外れることになる。
名作然として我が家にやってきて、座らせる以外にお断り!を呈されるのは勘弁だ。

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デザインマニアはそういうことをほとんど表立って議論せずに、
生活からかけ離れた “デザインのある生活” ばかりグッドグッド褒めそやすじゃんかい。
持て余して、次はなんですか断捨離ズム? 他者依存に左右されて格好悪い人生じゃんかい。


ああ、妙に椅子好きっているな。尻に尋ねる正直者なら素晴らしいけれど、
やれイームズほれヤコブセン、ミッドミッドセンチュリセンチュリうっせーの居るな。
浸るのは結構だが、名作のビジュアルを尻に借りて知識を偉ぶるようなのはいかん。
どこぞの先生がテレビ取材をどうして必ず本棚の前で受けるアレと近い。

いつだかの人、在学中か卒業だか伺いそびれたが、ギラギラねっとりと、

f:id:saran-p:20201104230536j:plain 顔は憶えてないので適当

 僕ぅ~、デザインちょっと詳しくてぇ~、早稲田の建築学科なんですよぉ~、
 ピースケさん武蔵美の工業デザインなんですねぇ~、誰がいましたぁ~?

誰って、あのなあ、学歴学閥著名どころで他人のステータスをはかりなさんなよ。
((( 負けないッギギギ!! )))っていう負のエナジー剥き出してるのが目つきで伝わる。
社交辞令上いえいえ先生も生徒もみんな頭おかしい学校ですからと恐縮すべきところ、
しょうもないマウントには不本意ながら虎の威を借り天狗の鼻で突き返さねばならない。

答えてやったわいや。

 それはまあ沢山おいでだから、工業寄りに限れば…(敬称略)
 デザイン学科1期卒でキユーピーマヨネーズ容器を創ったJIDA理事を主任に、
 日産、いすゞ、日立、富士ゼロックスのデザイン担当が指導する研究室に所属しつつ、
 椅子とインテリアは島崎信、デザイン評論を柏木博、ジャズ研の先輩に中村史郎

 バウハウスブルーノ・タウト、チャールズ・イームズ
 佐々木達三、柳宗理… いちおう私そういった潮流の末端なんですが、なにか。
 学食の椅子は普段使いにシェルチェアやセブンチェアの当時物でしたが、なにか。


「えっえっレジェンドばっかりじゃないですか~ッ」と目ェ泳いで取り乱すっていう。
雑誌読みかじってインテリ気取ンナヨ、こちとらメインストリーム(の搾りカス)じゃい。
他に工芸系だと陶芸に小松誠先生とか、鉄工に鉄人飯島さんとか…続けて話したら、
「もういいです」と言われたのを覚えています。失敬な奴だったわいや~。
どこで誰に習ったかよりも、教えを咀嚼して次に自らが何を切り拓き未来に何を託すかだろう。


尤も、では私めがどんな意匠を社会に献じ申し上げているのかは、珍怪職人の身上の秘密♪ 
そこひけらかすのが一番の自慢野郎ではないか。使ってくれりゃ無銘でいいの。
見て見てこれ自分が作りましたぁ~? ボランティア経験やりがいアピールと一緒やろがい。




あーっ、負けじと出たな、デザインフリークのてめーらども。

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コンランだのカッシーナだのひっさげてやってきたな、にゃろ~っ。
日本の工業意匠の父の偉大さをクソ狸の分際ごときが解説しやがってギギギ?

よろしい。じゃどうぞこの美しい名作栓抜きについて論じてくれたまえ。

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このじつに特徴的な、ふくよかな肉感。
今日の話の流れからしても誰の仕事と分かるはずです。
デザイン通なら知らないはずがないし見紛うはずもありませんね。

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シンプルで手に馴染み時代を越えるロングライフデザイン
徹底して無駄を削ぎ落とされた流線に近代日本モダニズムが光る?
究極の使い心地を目指し考え抜かれた絶妙なエルゴノミクス
宗悦から宗理へ…神の目と手で引き継がれる民藝のぬくもり

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ごめん嘘。これダイソーなんだ。

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当記事上の写真群ではそれを承知の上で柳デザイン製品に忍び込ませています。
柳先生の手掛けたものではありませんのでお間違えなく。

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【ご注意】以上↑以下↓、全部当方で勝手に作った架空広告です。
バナー工房さんwww.bannerkoubou.comの素材をお借りしました。


ダイソー?!  騙したなッ……って、ちょちょちょ、チョマテヨ。
こうして製品があるってことはデザイナーが隠れてるはずじゃい。
100円ダイソーだっていいものはいいと褒めたっていいじゃろがい。
デザインってのはデザイナーがデザインしないとデザインになんないの?

じゃ、こう↓したらどう感じるかっつの。

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急に伝統の重みと薫りを有して感じられてしまうだろ。
では全く同じオブジェクトをもう少しフランクに傾けて撮り直し、
それらしい台詞をギチギチに並べて再構成↓すると…

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キッチン雑貨好きが思わず手に取る冊子みたいになるだろ。

なになに、これじゃ如何にもイカニモ誌? だったらガツンと潔く、

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これくらい↑シンプルにしたら、ね、高級メーカーにひけをとらない
言わぬ花ほど語りかける…ようでいてコレ見事に何も語ってません。
見る側に勝手な良さげを想像させてしまうんだよな。

かくしてデザインというのは概ねまやかしなのです。
デザインデザインした表層のまやかしに我々はいかにまやかされているかが、
こういう悪戯でわかってしまう。情報を買ってるようなもの。

では、確かな美とは何だろうという問いが残る。


そこへきて重要になるのがじつに柳先生の提唱された、まやかしでない、
アノニマス・デザイン」「アンコンシャス・ビューティー」という概念だ。

あの言葉は元来、余地のない高潔さにヤラレタの意味のはずなんだよ。
((( 実用に素直に沿ってこうも美しい形が自ずと引き出されるのだったら、
産業ゴミひねっては高い意匠料をせびる我々デザイナーの立場がないね、
反省しないといけないね… )))
という自戒と謙虚の心からくる考え方。

そういうものをひとつ見つけては、オレガオレガな ‘キザイン’ の姿勢を諌め、
敗北にため息をつく行為が、産業という名の罪における一種の救いになる。
親父様(柳宗悦)に反発しつつちゃんとネオ民藝運動に着地してる。

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仰りたかった本意はそっちのはずだし、ジレンマとの格闘なのだ。
民の普遍の美を目指しながらもその作品には個性的な作家の哲学を有して見えるし、
あまり無味無名に拘りすぎては事務所にデザイン料が入らないし。


しかし広告業界が表層のイズムで褒め説くから本意が変質してしまった気がします。
無銘で実用的なものをアノニマス→これが今モードなトレンド!と言わんばかり。
デザイン然ブランド然とした商工業へのアンチテーゼを気取りたいがために、
今更ゼムクリップだのピッケルだのを後追いに並べ立てるのは無意味極まっぞ。
それだと曲面魔人ルイジ・コラーニの近未来然を褒めそやすのと大して変わらん。

コラーニの曲面は、少々キザさもあるが、闊達に伸び上がる官能があるでしょ、
柳の曲面は、少々ガンコさもあるが、どことなくしっとりしてるの。
そんなふうに曲面を感じて遊んでいきたいよな、ブランド云々の知識からでなく。


あとバタフライスツール、あれをアノニマスと何処かで見たけど違いますけんね。
非常に象徴的な作家造形だし、やや信仰グッズに奉られすぎている心配もある。

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 YANAGIスバラシイデ〜ス最初カラ理解シテマ〜ス顔の外国人たち

オーナー各位、ちゃんと普段使いしてますか。オブジェに持て余してねえでしょうな。
椅子は小綺麗なショールームの飾り棚でピカ磨いて崇め奉るものじゃないぞ?
じゃ使い倒されて小傷だらけに愛されるバタフライ見せてもらおうかい。
っはっはっは、天童木工の工場の隅にだったらあるかもしれないね。


そこへきて栓抜きはいったい何ぞやと考える。
ダイソーオリジナル設計か、或いは他社の過去作の焼き直しか借用か、まるで不明です。
どちらにせよ無銘で、パテントおりてるがデザイナーがしゃしゃり出ていません。

ステンレスの硬質をプラキャストで包み奥め、温かい肉厚をして強度問題もクリア。
親指と人差し指の脇腹で挟み持つ際の充分な ‘平地’ の採り方がよい。
オフホワイトな角丸も食卓や晩酌の邪魔をしないだろう。

 使いよく、洗いよく、水切りよく、飾りよく、片付けもよく、
 買いよく、壊れ難く、不足なく、蛇足なく、気取りもなく、
 誰が手掛けたかなどと野暮をどうでもよいほどに、
 誰の目にも留められず、刹那の出番を黙って待つ、柔らかな美。

 無骨でなく、虚飾でなく、いつも静かに笑ってゐる。
 一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ…

ったらもうこの無銘の栓抜きの勝ちなんだわ。
プラスチックの安物に近代民藝たる用の美!
こんなん黙って100円でやられちゃデザイナー(=付加価値屋)の立場がない!
欲をかけばもっと良く出来… うーむこれはこれで正解か?? クソックソッ!

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 たかが100円、されど100円。“デザイン” の面目まるつぶれ。クソックソッ!

真の意味で見習いたい謙虚ってこういうところじゃないかと思うんだ。


ついでに言うと、上記写真中、柳カップの下皿も100均だよ。

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一緒に撮るとわかんないっしょ。
カップには元々ソーサーが付属していますが悪戯にすげ替えました。
イノマタ化学さんの製造です。柳カーブと相性がよくて困る。

えっ知らないのぉ?!
デザイン好きでいて、世界のイノマタを知らないのぉ?!
柳、無印、猪又! 
アレッシ、カリモク、イノマタ! 
PRADACHANEL、inomata!


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イノマタ俺も知らん。既にめちゃくちゃお世話になっていました。


話が長くなりましてすみません。
表層に溺れる者ほど天狗の妖術に惑わされ、
真を見抜き生み出す者は概ね化け物だ逃げろ
と感じてくれればよかです、もう。
誤解されたりもするけれど、俺は道化を舞っても、皆さんに大事なことが伝われば。
柳先生いちばんお化けぞな、物の形のお化け。怒られるぞ。 逃げろー!

無印良品しかり、深澤印±0しかり、普通でシンプルでスマートなものづくりなら、
多くのデザイナーが気づき挑戦することで割と叶っていくはずです。
でもその中で俺は、埋もれた・忌まれる・たいした俗物の中にも、美を見出したい。
やろうという人が少ないです、毛嫌いされがちだし成果は地味だしで。

f:id:saran-p:20201104230527j:plain 日々勉強、天狗になってる暇など無い


うちインド楽器については思うところを後日述べます。

あれはもともと貧相だったのを豪奢な芸術用に昇華させた歴史が嵩じてか、
古典奏者は他ジャンルに対して今さらの対応力を欠き、ポップ表現に不器用なのが弱点。
クラッッシッックな訓練に費やしすぎて本質的なポテンシャルを欠いて見える。
巧みな話術で味のあった芸人が古典噺に取り組んでからトークつまらないような感覚。

サーランギーなんてせっかく凛とグロテスクな氣がある道具なんだから、
じっくり見つめてあげたいじゃないの、インド文化の物真似トレースじゃなくて
それを日本から出たことない日本人が打ち破るところに大きな意味がある。


取り組む姿勢という意味では同じなんだよ、インド音楽も、工業デザインも。
表層のブランド力を欲しいのか、内面からにじみ出る美に感服させられたいのか。
俺はもちろん物事の芯に隠された真を見抜\ キョー! ピッピ! / f:id:saran-p:20201104230601j:plain

‘ 鳥 ’ の形態模写によって本年度アカデミー賞全冠総ナメを達成するくまお
目を疑うまでの完璧なる相似に、亜熱帯の鳥たちは寝床へ急ぎ、全米が感涙にむせんだ。

…まーた真似ッコで煙に巻く。
いいかげんになさい、キョーピッピ鳴く鳥をまず知らんけれども。
ご多忙のところ恐縮ながら是非とも後学のため、なに鳥さん?と伺ったところ、
「ピス・ピス・ピス」と貴重なご意見を賜りました。意味が知れません。
この子の分からなさには到底かなわねえや。よもやキミが一番お化けやもしらんね。


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鳥は鳥で尻の割れ目をこんなにまでもクッキリ!
相変わらず卑猥な家禽だが、もしや迦楼羅(かるら)様の化身ぞな?
舞浜の婦女子を色仕掛けで惑わす尼天狗め。とりあえずパンツ履いてください。








    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。