◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題を中心に、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者や変態ケモナーとしても知られる異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
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舐め犬ラッキーのゴールデン犬汁で透け透けシーツがヴィシュヴィシュぬナーラダ




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じっと待ってきた甲斐がありました♪正式就任まで祝辞はじっと待たせてもらうとはさすが元AKBプー千ン大総統あな恐ろしあ。いや、世相を考えれば誰しも概ね察しはつくだろう、才ールドなヌスゴミ勢が何故にプントラ大棟梁を総叩き&無視するその理由。パイヂン候補が傀儡でしかないその理由。アイヤ~、やっぱりアノ国の差し金仕掛け。当の怒鳴ルド親分はずっと以前から異状をキャッチしていたはずだ。
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あらま! こんなおかしな姿で、綺麗なお花が開くんだね♪もはや開き直って正体を現してきただろ、おかしなグ回ーパリズム、丼産・杜会・仝体主儀。おかげで炙り出されてきただろ、塁カ帯命を息巻く蕪政婦穴あきー。徐々に見え透いてきただろ、半日〒レビ芸人・培穀ヌパイ技員・工セ捕手論者。
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うーむ! 見えない内側でひそかに頑張ってきた成果なのだなあ♪11月頭、当ページ左欄(→)にて「結果云々よりも、内部から混乱分断させる兵法を仕掛けられている状態とみています」とお伝えしました。大当たりじゃんかい。見えない内側から密かに侵攻されているのだ。投票日直後の時点にしてズバリ見抜いたピースケ大先生ちゃんの洞察に皆さんは十円玉のひとつふたつ恵んでくれてもよろしいのではないでしょうか。
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キャピ! 世界中の可愛いお花でいっぱいのピースフルなお部屋にしたいな♪性質上致し方なしか、世界民族文化をご実践の各位は所謂 “お花畑”さんが多くお見受けします。ボーダーレスなご活躍のわりに自我の承認にばかりお気持ちが偏るようで、現代史とくに国家間パワーバランスの構造とカラクリ論となると疎さが目立ち、お為ごかした平和的進歩的ワードにすぐのぼせてしまう。輪になって歌って踊ればみな友達みな平等ピースフルなんぞと戯けとる時代じゃないぞ。喧伝の奥の狙いを見抜くべきです。
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ハレルヤ!皆さんの平穏を、天に向かってお祈りします♪と言いたいところだが悲しい哉、人類は世界を股にただいま紛争中、ドンパチ手前の権力闘争・情報戦禍にある。実際、用紙に透かし諸々入れたり入れなんだりで? 奴らは泳がされたあげく見事に罠にかかった次第。相変わらず工作が雑なんだっつーの。
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2枚の葉っぱが力を合わせれば、世界はひとつだヨ♪平和な世界を破壊で分断し単一の新秩序で蹂躙支配するつもりなのだろう。日本国民のみんな、負けずに生き延びような。あ…この文章ひょっとして電話端末で開くと丸見えなのかしら。←って何のこと?なスマートホンの人はパソコンでご覧になってくださいまし。
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\ エエグウウ… エエグウウ… /
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グシュングシュン泣いているのは、さて今度はどうした?
当研究室きっての恐喝スケバン犬ジュエルペットちゃん。
また負け犬に逆襲を喰らって泣きベソかいてるのか?


  年パ持ちなんよエグウ!! 
  じゃのにパーク入れんでムカついて、
  券はネット売りだけじゃ言われてムカついて、
  支払いはクレジットだけじゃ言われてムカついて、
  帰ってクレジット作ったのに買うページ繋がらんでムカついて、
  やっと繋がったらクレジット不正じゃ言われて止められてムカついて、
  ダフ屋おったけぇ金払ったったらバックレられてムカついて、
\ 外の売店で勘弁したったら売店も予約じゃ言われてムカついて…   /
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/なめよんか舞浜。嫌いになりそうじゃ。くやしいのうくやしいのう。\
 エグウゥ… エグウゥ… エグウゥ… ィグゥウゥ…!!!!

孤独なる格闘の末に神秘オルガスムスに達するとはこりゃ重症の舞浜病だな。
ポックンお気に入りのシーツを知らない犬汁でビシュンビシュンに濡らしてくれよってからに。
そろそろ洗濯すっ頃じゃったけ勘弁したるけれども。

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いやはやしかしデーズニランド今そんだら事態になっとるべか、可哀想に。
夢いずこ、遠くなりにけり。早いとこどうにかならんもんなのか。


  えっと、あの、 ほんとうにごめんなさい…
  私、おとつい行ってきちゃいました…
  スマホ予約できてラッキー、クレカ決済できてラッキー、
  乗り物の抽選もぜんぶ当たっちゃってラッキーラッキーで…
\ あっでもちゃんと皆さんにおみやげ買ってきましたので…  /
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\ 美女と野\ てめえっ。この、フレーベル館!! /
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ちょちょ、チョマテヨ。暴れたらまたグアンタナモ少年院に逆戻りぞ。
そう仰るキミんとこの事務所だって運営芳しからずや?
稼ぎ頭のヘロキチ姐さんが仕事を選ばんと気張りよるけぇやっとこさじゃろうに。



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さいですか、だったら今少し、耳が痛くなる核心を突いて差し上げようか。


インド古典研鑽の界隈でも私だけ浮いて見えるのは、究極のところ、
((( 恥ずべき自画自賛島国根性を早く捨てて進歩的 “多文化共生・地球市民” であれ )))
などという脅迫的ペテンに引っ掛かっていないからではないでしょうか。

この↑お題目の正体が日本国を潰したい思想による悪賢い折伏(しゃくぶく)、
実態が頭ごなしでお為ごかしな宣教であり、文化破壊・洗脳浄化が腹の底と気づかぬまま、
他国の様式への無条件降伏を信条とし本式に染まることでマウントの座をとる態度を、
至福の正解そしてゴールにしてしまっている… そんな様相を多くの先達や同志から感じます。

取り乱して ((( 右翼ッ!! 差別主義者ッ!! ))) とご憤慨なら、実際すっかり騙されているのだと思う。

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異文化に親しむことは確かに楽しくて勉強になります。本格実践もじつに結構。
しかし参考に留めて、最終的な自己の芯までを見失わないことも大切だ。
特定ジャンルにただ感化された単なる劣化コピー人間にならないためには、
根底で常に「自分は何者であるか?」を問い続ける覚悟と強さが必要です。

民族文化愛好の分野はその視点を決定的に欠落したまま異文化布教の素晴らしさばかり説いては、
腰蓑の部族が親しむROCK音楽やらTシャツを、あんなものは村本来の土着伝統ではない悪影響!
ダブル舌ンダードを呈するのだ。どの村がどう暮らそうと本来アンタに関係ねぇのである。

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天狗の鼻の実体は “自軸” 、アイデンティティなんですよ。
私は日本に生まれた日本国民というブレない軸に支えて貰っているおかげで、
内外多方から事象を考える機会を戴き、おかしな実験もやらせてもらえていると思っています。
ただ、他国に学ぶことはあれ、日本を唾棄してまで浸る義務はないとも考えている。

伝統と舶来どちらも大切に学び、そこにちょっぴり自分のアイデアを加えて、
なお面白いコンテンツを生み出す。むしろこれこそ日本人らしい気質かもしれませんね。

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自軸の確かさをこの国に見出せず、その細さや頼りなさに怯える人ほど、
他人の軸の太さを気にし、確かさを外向きに探しに出るしかなく、
折ってやりたい折られてたまるかと互いに必死に頑固になってしまうような気がする。

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この芸能の日本唯一日本代表です・現地にも認められた架け橋です・
日本の皆さんどうぞ褒めてください・アンタら愚民と違うんです…って?
これって高級ブランドバッグ持ってハイソ気取るのと殆ど一緒であって、
ニンジャに憧れサムライ・ハラキリ・ビショウジョモエ~言ってる外国人を決して嗤えない。

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ならばと取り急いで和服に着替え和楽器を見よがしに携えて、
今更ながら祖国オリジナルなアイデンティティーを鼓舞するのも結構、
しかし実はそれらもまた相当数がもともと渡来の考案物や様式だったりする。

ハァ?! あんた何様?! じゃあ一体どうしろと?!
そこまでケチョンケチョンにけなされてきっとお怒りの、実はそこにこそ、
器楽芸能という生きる意味の根問い(ねどい)が隠されてはいまいか。

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いま作ってる楽器が完成したらより詳しくお話ししましょう。

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ああ、折伏といえば…

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銘典インド音楽序説』(B.C.デーヴァ著:中川博志訳/東方出版に、こんな↓話がある。

f:id:saran-p:20201204192343j:plain (c)榎本俊二

=== 47・48ページ ===

神々の歌い手、ナーラダは、自分の音楽的才能を自慢していた。ヴィシュヌ神は彼に謙虚さを教えたいと思った。

あるとき、神はナーラダを森の散歩に誘う。2人が森を歩いていると、近くの洞穴から泣き声とうめき声が聞こえてきた。好奇心と哀れみを覚えた彼らは、洞穴の中へ入っていった。中には、苦痛に身もだえ、すすり泣く男たちや女たちがいた。彼らは皆、不具であった。ヴィシュヌ神は彼らを案じ、その不幸の原因を訪ねた。そこで彼らは涙ながらにこう訴えた。

「おお、神よ。わたしたちの苦しみをどう表現したらよいのか。わたしたちは、ラーガとラーギニーのディヤーナムールティーなのです。実はナーラダという、何も知らないくせに自分は偉大な音楽家だと思い込んでいる愚か者がいるのです。どうです、彼があんまり出鱈目に歌うものですから、わたしたちの腕や足は折れてしまうし、顔も醜くなってしまったのです」

これは、ナーラダにとっては十分すぎる授業であったし、あらゆる音楽家にとってもそうであろう。

===============

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私はこの訓話を好きではありません。

ディヤーナムルティとは、簡素には、祈りが結んだ実像、かな。
これが五体不満足であるのは、ラーガ旋法を破って無茶苦茶に歌うからだ…
お前は間違えている… 心改めて正統になさい… というお叱りなのだが、
何とも説教臭くお為ごかしく、真の謙虚さ真摯さとはかけ離れた、
語り手の尊大を却って感じさせる。

インド神話らしいと捉えればそれまでだが本音はなんのこともない、
他人の活躍の鼻ッ柱をポキ折ってやりたいグギギ未熟者が、
神や聖人を尤もらしく登場させて書いたマウント創作話
とみています。

「謙虚さを教えたい」?「あらゆる音楽家にとってもそう」?
考えてみれ。ハ? なんの筋合いがあって?
説法垂れたいアンタの驕慢と毒吐きを保証するだけでないか。


書かれていない後日談をどう捉えるかだ。こんな話ならさしずめこう↓なんだろうよ、
「(以降ナーラダは悔い改めて修行に励みましたとサ。
  おかげで彼は偉大な聖仙に。従ってきみも同じく謙虚に謙虚に…)」
偉大な権威に自軸を預けよ喜捨せよと諌め、向上しても追い抜くなよという牽制にも機能する。

だがもし俺がその愚かな若輩者の立場にあったとしたら、泣き崩れる異形たちにたぶんこう誘う。

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「そうか俺のせいですまない。よし、苦しむことはない。共に参ろう。
 汚い鳥たちも、石の裏の虫たちも、足蹴にされる家畜たちも、共に参ろうぜ。
 君たちの姿でしか歌えない命の歌を共に歌おうではないか。」

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この台本にないアドリブ展開において果たしてヴィシュヌは、

「(う… 少し諭すつもりだったが、完全美こそ至高たる私の考えの方がよほど驕っていた… )」

って、なるか?なるか? ならねーわな絶ッッ対に!
なぜなら神だから上司だからとこうだ、どっちがよっぽど思考停止の天狗かって話。
あらゆる音楽家にとってそうであろう? ホレ、そうであろう?のう?



やれやれ釈迦に説法なこの観点は、私がインド文化を勉強してきて後々学ぶことになり、
ああ俺そこハッキリ嫌いだな、反面教師に思っとこ!と感じる根底の民族性に繋がる。

ひとつは、1)絶対服従的な師弟愛の強要。

今日までの己を全て猛省し全てを捨てて偉大な師に平伏し慕い遂げますという盲信を、
テメェから要求してくる師と、そうでないと位置関係を納得しかねる観客があるのだ。
事実上の権威主義だわな。


もうひとつは、2)完璧で美麗で優れたるものにのぼせる。

そうあらざるものを穢れと捉えて思考を塞いでしまい、多角的な考え方をしない。
駅前にたむろする物乞い達のバクシーシをアンタッチャブルにあしらい、
煌びやかな神々・ナンバルワン(=No.1)・Made in JAPANを盲信するのは多分これです。
これも事実上の権威主義なンだわ。

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事象の微細な彩りを視聴覚で表現するラーガ芸術がある一方、
その心奥、物事の中身や裏側を、神秘を名分に随分ゴソッと無視する態度をインドに感じる。
これをわざわざ拾い上げ受け止めて愛を探そうなどと表明する態度は、
己をうち捨て全てをままに受け入れよと迫る流れに対する、けしからん反発、
謙虚さを忘れた尊大不遜にも映るだろう。

まるで真逆なんだよ。権威主義は怯えの裏返しです。
そんな尊大極まる修羅の域から学ぶものはあんまり無いな、
せっかく生まれたこの国にせっかく生まれた意味を私のやり方で掘り下げよう、
そう気付かせてくれたのもまたひとつの学びでした。


「人間にはインドへ行ける者と行けない者がある」とは三島由紀夫
あちら様からお招きにあずかる時期が来るとか。すまないがそれは少々間違っている。
そんなん待たずとも、己の中身の魅力を磨き、安易に呼ばれても断る者であれ。
真に折れない男気あらば無闇に肉体改造やら刀を振り回して遂には割腹の必要もない。



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寺岡精工柳宗理の喧嘩上等男気タッグが生んだ、
昭和のはかりのナンバルワン「ノーブル」の、こりが中身の魅力だ!!

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魅力だ!! …ったって、興味ある人ごくわずかだと思うが…
前回記事でご覧戴いた6台ではなく、えっなんでまた新たに1台譲って戴いたもの。

どういう構造になってるのかな?の勉強目的と、
ついでに中身を取り出して、この美しい筐体を別の用途に活かすまいかと思ってね。
なにせ無駄に6台持っていて、重さを計るのに使ったこと一度もないですもん。


特筆はダンパー/ショックアブソーバーの存在だ。

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こんな丁寧な気遣いが入っていたのか。

とは、テコの作用点に設置してある空気ピストンで、
秤り皿に豚肉を乗せると同時にピストンも上下動する仕掛けになってます。
さて、目方を確かめるならただ天秤になっておれば済むものを、
何故こんな余計物が備わっているか。

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ピストンヘッドとシリンダの内外径はテコの動作に影響しない程度に緩い精度で、
空気の出入り具合をシリンダ尻のバルブに繋いだ外ネジで調整できるようになっている。
つまりこのパーツに爽やかなアルプスの風がプスーッパスーッと窮屈に出入りすることで、
テコに適度な抵抗を掛け、秤の要であるバネが余分にダユンバユン暴れるのを防ぎ、
計器が求めの目方をスッと表示して、ひいては肉屋のおばちゃんのテキパキを邪魔しないのであった。

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横っ腹の外ネジはその調節のためのものだったんだ。は~気づかなんだ。
ネジ頭が幅広マイナスだから適当なコインなどで対応でき、特別に工具を添える必要もない。
ご商売の現場ならドライバーなんかより小銭の方が手元に有り易いからね。


限らず、これは色々な示唆が読み取れる造形だな、うーむ。

舞台裏のクッション役の大切さ・優しさは、覗こうと思わないと気づけないということ。
機能装置として以上に、コミュニケーションを見越した心遣いが機構になっているということ。
そしてこれら構成に際しては、表皮の内外で何が起き何が求められるかと同時に、
外から内、内から外へのアクセスについてもよくよく吟味すべきということだ。

このことは同時に誠実さにも繋がる。物事を公平にジャッジするための装置にさえ、 
その気になればご都合インチキ悪知恵システムだって搭載可能だからだ。
ついては非科学的で異様な得票数を後からコッソリ付け加えることもできる。
インターネットに繋いで外国から結果を操作できる時点でもうおかしいでしょうがに。

NHKピタゴラスイッチをただボケーッと眺める子と、
そうか!こうなってああなるからそうなるんだ!と発見する子では、
優しさを形にできる賢さの発達が当然異なってくるだろう。



加えてサーランギー演奏術にも掛かってくるやもしらん。
インド古典音楽でガマク、西欧風にトリルやビブラートと呼ぶ、音を細かく揺さぶる技術があるが、
これは無闇にやりすぎ禁物。針が揺れてしまい重みが分からない秤に等しい。
褒めて褒めて!とこれ聴きよがしに毎回多用するとカッコ悪いということだな。

俺は古典サランギ弾く時も、いかにもインド風にならないように気をつけてる。
単なるインド人の真似だねご苦労さんハイハイと軽くあしらわれると悔しいだろう。
あっピースケの音だな…って気づいてもらえる生(なま/き)の音を目指したい。

そうして肉屋のおばちゃんの真心にもスッと響き込みたいではないか、どうせなら。
おばちゃん! 豚バラと、三島の小腸、500g! ちょっとオマケして! 



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ほれ元気出せ。年間パスポートの割に合わない代金、払い戻してくれるってよ。
倒産の危機だってのに客人に気ィ遣ってくれるとは、
巻き上げてトンズラの浮世にあってなんとまあ優良企業じゃねいか。


      返しちゃうんかい… 金の問題でねえのんじゃい…  
      持っとるけえ夢の国の住人でいられるのんじゃい…
      持っとらんとワシ何のために生きとるのんじゃい…
    \ くやしいのうくやしいのう、エグゥ… エグゥ…  /
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舞浜はキミのような無頼派ヤンキー娘にとってさえも心の拠り処であったのだな。
憐憫の情を隠し得ぬ心優しきピースケ大統領でした(写真左)。

この話つづく。



…今日のこれ何なの?って何故わからんじゃい、どれも、隠れたる優しさの話。
滲み出るもので、外観からは見えないし、見せかけは偽りという点で通底する。

威張り屋め暴れん坊めと虎の親分が妙に悪く言われるのは、おそらくあの人が、
本当の根っこではサービス精神と思いやりある利他の人物だからとみた。
対応実行をみるにむしろ少々甘チャンぐらいなのかもしらん。
優しき人物に国を丸く良くまとめられたのでは食いっぱぐれる連中が居るのである。

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従って今回の記事は
クリスマス前後にもう一本更新しちゃるきに。







    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。