先に済ますべきタスク多々のため、プレ告知から少し間が空いちゃいましたが、お待たせのお知らせ。
でプレ告知先は読みに行ってくれたかな? どうせ読んでねえの知っているぞ!
そこでもっかい告知です。去る9月9日より、サーランピーからの独立ウェブログ、
『眷狐ランド武蔵野 (けんこらんど むさしの) 』が出発進行の運びと相成りまして候。
★直リンクこちら→ 『眷狐ランド武蔵野』(https://kenkoland.hatenablog.com/)
…どぇ… 今さら神社ブログ…。noteのほうが断然イマドキだのに。
幼少より神社の狐像に異様なシンパシーを抱き、ばっかり愛でて歩く偏執趣味を持っており、
せっかくなら写真に撮り残そう → だいぶ溜まってきたのでせっかくならweb写真館にしよう →
情報量が膨大になるのでサーランピー内でやるにはさすがに窮屈だので別館にしよう →
かつサーランピーの地続き引き続きにしよう → で、そっくり同じクドいスタイルを踏襲しました運び。
45歳になったら始めたいなと思ってたら47歳になっちった。
タイトルは旧施設名のもじり。埼玉の川口に「健康ランド武蔵野」っていうスーパー銭湯があって、
良さそうだな、24時間だし、埼玉探検に寄ろうかなと思ってたら、閉業しちゃったのよ。
昭和のともしびがまた消えていく…って淋しさから、勝手に拝借しました。
町角にひっそり佇むプチ神社も、あそこにあるな〜思ってると突如マンションに建ち替わったりする。

武蔵野と称するからには武蔵野全域を伺いたいが、ひとまずは東京23区の網羅を目指して、
サーランピーはサーランピーで並走して参りますのでサーランピー越しに何卒よろしゅう。
安っぽくて好きになれない "AIを有意義に使ってみる" 試みにも挑戦しています。
狐どうせ興味ねえでしょうけど、忘れた頃に忘れずに覗きに行ってみてください、
いつのまに増えたものだなあと驚くことでしょうよ。私は更新を忘れてること多々と存じます。
なになに? サーランギーやコツブムシを放り出して今度はネズミ講ならぬ、
キツネ講にご執心ですかって? 呆れましたね・根性ないですね・節操ないですねって?
失敬だな。私のどこを見て、お稲荷さんに取り憑かれたなどと仰るのやら?!

一体どう見て、眷属信心にどっぷりハマってしまったと仰るのやら?!!

ご存知のとおり、そもそも私は仏法に根ざして御座いますのんぞ?

いいかげん、目に見えるものばかりに執着しすぎではないでしょうか??

妖かしの鵺に囚われ過ぎではないでしょうかー???? っつの。
だって狐の趣味は今に始まったことじゃねえだもん。
このブログの大看板(ページの一番上↑)の両端にはずっと狐がいますでしょ、
千両箱を抱えてる左下の黄色い狐は ”伏見人形" といって、京都の伏見まで買いに行ったのよもん。
それに、仏教徒が神社を参拝?ってのも決しておかしな沙汰ではない。
どこだって同じに見える稲荷神社には神道寄りと仏教寄りがあり、見どころツッコミどころ沢山。
特に仏教系稲荷は採り込み要素がむちゃくちゃで、拝観していて愉快ですよ。
あとね、向こうにも同じこと書いたけど、重要なスタンスを付け加えておきます。
神社仏閣ご紹介サイトに星の数が腐るほどござる、
”正しいご由緒説明・正しい神様分類・正しいスピリチュお説教” は、
眷狐ランドに限り、バッサリ割愛申し上げ候。
本殿にはホニャノヘヒャラノカミが祀られ〜、左手から始めるのが正式な参拝作法で〜、云々。
狐に焦点を当て、狐だけに焦点を当て、本ッ当に狐ばっかしにしか焦点を当てませんので。
とは、ほれ、ようあるやないの…

こういうの↑とか…

こういうの↑。ウチはようせなんだで、ご安心あれ。
無論この画は心にもない大袈裟パロディですが、どっかで見たことありません?
なんで神社仏閣ご紹介ってこぞってこういう↑大きな袈裟を拡げっちまうんだろうな?
なんでか、それはね、無智蒙昧な民に語りたい教えたい授けたい!って時点で欲が出るからですよ。
増上慢というんですが、まず現世修行中の身にあって我欲ど真ん中の段階でもうアウトですし、
心の底で ((( 衆生無明=このバカチンどもが ))) と聴衆を見下してなきゃ、ああはならんよな、坊さま。
ええ、ええ、そうでしょうよ、ご高僧チューバーに較べりゃ我らバカチン市国の家畜民でしょうよ。
無明バカチン家畜にしてスーパー大阿闍梨くんであらせられる拙僧こと我輩は、
必要な道程や工程に応じて扱う題材がバカスカ変わるのを特長としています。
美術、工業デザインに始まり、楽器、人形劇、甲殻類、狸、羊、魚…
ところが悲しい哉、衆生もまた無明のバカチンでありますから、
私が少しサーランギーを弾けば=サーランギー奏者ピースケさん!と捉え、
サーランギー極めて下さい~と仰っては、他のテーマを始めるとソッポ向きなさる。
私が少しコツブムシを飼えば=コツブムシ研究の川崎先生!と捉え、
コツブムシ極めて下さい~と仰っては、他のテーマを始めるとソッポ向きなさる。
私が少しピースキーに扮すれば=ワ~イ可愛い動物くんやってきたヨ!と捉え、
可愛いんだから触っても虐めても許されるとナメてかかり、ガッツリ咬まれなさる。

果てに、何か1つを誰よりも極める先生こそが何よりスゴイ存在のように勘違い、
あれもこれもと関心事に手を出す輩をしょせん中途半端な挫折者と嘲笑い、
1分野ッぽっちに執着しては成し遂げた顔をして、中途半端に人生を終えて逝かれる運命数多。
ついては楽器や生物や造形に関して私にライバル心ニラニラ燃やしてくる人が時々あるが、
それは誰より一番コンテンツを何かしら身につけねば自身など空(=くう)にすぎないアンタの執着、
加えてそのコンテンツ冥利を私に侵されると自身が空(=カラ) になるアンタの恐怖なわけで、
意味ないよ、んなとこで勝負なさんなよ、ってのはそこを諌めて申し上げ続けておるわけです。
自称専門家、なんとかクラスタ等、何かにあてはめ人生の方々はその落とし穴をまるで分からない。


あのね、かく申す私は今や、限られた領域ひとつの専門家ではないのよ。
ヒト・モノ・ケモノの狭間にまつわる諸々を研究する、或る種の哲学者です。
でも我こそ哲学者ぞとぬかすと角が立ちますからせいぜい一介の造形業と称しております次第。
ましてや教え導こうなどと、己が未熟であるのに。 ”ピースケ真狸教” とさえ揶揄されて…
なべて偏見は、他者というものを "何をやる人か" 、つまり権威主義でのみ判断する、
やっぱし無明のバカチンだからです。高僧の仰る通りさね。
毎度の余談さておき、実際のところ私の発信っていかがですか。
ふざけ倒しているようで探究心の芯は全くブレてないと自分では思っているんですけど。
例えば楽器、多くは動物体から作られますが、サーランギーをはじめ擦弦楽器はその最たるもの。
コツブムシほか等脚目の暮らしは、標本イジリのみならず道具立てで接近できると提唱しました。
動物と物品の狭間に在する家畜とりわけヒツジの愛らしさにも実地で言及しましたし、
そうして生まれたピースキーに至っては村上信五クンに苦笑いされる事態に至りましたっけ。
一体全体バラバラのようで全部がどこかで繋がって見えますれば幸い。
何をする人!何で有名!ではなく、様々なコンテンツの繋がりを見つけ、より濃く繋げ合う、
これもまた仏教でいう ”ご縁” のあらわれの一つではないでしょうか。
空即是色、色即是空、空間つまり空と空の間を繋ぐ蜘蛛の糸を私は見たいんです。

中でも神社の狐は、ヒト・モノ・ケモノ観と、カミとを繋ぐ、要(かなめ) にあたるのではないかしら。
あの動物を民がどう捉えたか?に始まり、実態あって実体なく、実体あって実態ない、
どうして普通に居るのか知れないのに怖カワイイ営みの極致だからね。
仏教系稲荷の場合、崇めている荼枳尼天さまの肖像の元になったのが、
インド神話の羅刹ダキニであったことはよくよく知られている一方、
あまり知られていないことには、ダキニは傍らにジャッカルを連れてるんですよ。
察するに、屍肉食であるジャッカルをダキニの化身として同一視している面があろうか。
その属性を日本で担うことになったのが姿の似たキツネであったとする定説は賛じつつ、
「いいえ狐は神使であり!」と神道および知識ッたかぶり屋がしつこく頭ごなすのは、
古代中国を経由した霊獣ジャッカルの生々しさを清く忌避せんがため?と私は見立てていますが、
今じゃその末裔のプチ像がホームセンターの神棚コーナーに売ってる。考えると不思議じゃない?
なぜインド古典楽器系の造形作家ピースケが狐像をテーマにする?ことにも自然とリンクするわけです。
ひいては "日本のサーランギー" に着地、円環させるのが、私が辿り着いた夢想かな。

その態度を「なにが日本スゴイだ…右翼!軍靴!差別!」と疎む海外ラヴァーもあるやもしれないが、
川越モスク問題然り、シタールタブラカレー教室で異文化カブれとる場合じゃないのは明白でしょ。
我が国は狭く遅れた劣等国→世界の民族文化こそ素晴らしい!で一本槍の面々が、
社会の振り子にハシゴ外される時勢が着実に到来しつつありますからね。
youtube.com
世界の楽器を一堂に並べ民族衣装で酒飲めば先進的平和理解ポジションに立てる、
日本の体制を粉砕し無明の衆生を差別なき楽園に導ける、と騙されてきたわけよ。
再余談さておき、

今さら神社の狐だけに関心ある人はよっぽど少ないと思いますし、
調べて何やら判ったところで何に役に立つやらすら滅法知れません。
みうらじゅん学でいう「ゴムヘビ」レベルで共感し難いとんま具合と重々存じ上げつつ、
立ち現そうじゃないの、いかに好きかを越え、もう好き嫌いなんかでやってない境地を。
先達ご発案の ”ない仕事” の愉快な大行進に、やっぱり衆生は無明のバカチンゆえ、
さすがマニアックですゥ~着眼点が違いますゥ~、理解者然と平伏してばかりです。
先達が暗に伝えたい人生訓とは、諸君はオレの苦行を目撃していかなる謎やテーマを追う?のはずだが、
では我もと狐を追い、同志の少なさに嘆きながらも、先達のご偉業に倣って… あれっ待てよ、
意外や、みうら先輩すら狐像は追っていらっしゃらない。
恐竜や植物はお好きでないそうで、そしたら狐像にはグッと来なさらないのかなー。
さればこそ追ってみる価値があるまいか? 私は逆に仏像=人物像をさほど興味持てないから。
尚、「天狗」って、最初から皆さんご存知の鼻デカ赤ら顔の山伏の妖怪ではなくて、
最初は流れ星にして犬だったのよ。鼻が長いのは鳥の嘴(くちばし)の転化と考えられる。
えっ… 星?犬?嘴?どういうこと??? の人は、ぜひ調べて繙いてごらんさい。
なんでもない習わしを何故に思う、これこそが民俗学の入り口です。

仏像めぐり御朱印集めに始まり、手袋片っぽとかマンホールの蓋の珍しいのとか、
探訪テーマは様々。同時に、ヘンなモノに注目する自分ヘンでしょ~匂わせが鼻につく危険もある。
狐像っていうのは像自体が放つ取っ付きづらさ畏れ多さが丁度よい研究材料と思うんだよな。
どこまで追ってもモノにならない、この意味でも狐は概念の狭間に位置している。
そして何より、狐像が日本の古き良き市街の風景を彩る一要素であるのを我々はつい忘れがちである。
謎めきを外国人に説かれて漸く照れ笑い、だのに稲荷に良いイメージを持てない日本人の多いこと。
こうしたギャップこそが当該テーマの深掘り甲斐だ。独り進める価値は存分にある。

目下の問題は参拝そのものより投稿更新のモチベーションなわけだが…
幼少からずっと続いてる着眼点だから苦じゃない苦行だし、いずれ届き悟ることを願って。
つきなみながら記録はGoogle地図、現地でピン留めしながら巡詣しており、
(C) Google Maps.

やってますよの証拠に、私のスマホのスクリーンショットをチラ見せ申す。
青い印が既に行った稲荷神社で、緑の印が今後行きたい稲荷神社です。
ハートとか星は、イイ狐がいるから絶対行けの神社とか、狐いっぱい見逃すなの神社ですよ。
200社参拝に届いた時点でブログ立ち上げに着手し、現段階で335社を参拝申し上げました。

うち墨田区は両国駅の周辺をもって全社ご挨拶となります。まだまだ序の口も口。
序の口ったって、半年で三百社を周る散歩道をいっぺん考えてみてくれ?
それで出版社からお金もらえてるわけじゃないんですから結構大変よ。引き続き頑張って参ろう。

だけど次の10月は、ピースキーのメンテナンスに加え、前衛いけばな業務も混んできますゆえ、
参詣行脚をやや控え、研究室に抱えた物事を在るべき姿に整える月にしたいなと考えています。
で11月頭にはピースキー連れてご紹介きっかけの遠出を調整中。

やれ “インドでも珍しい楽器サーランギーをご紹介!インドの奥義ラーガとターラをご紹介!”
日本随一の外国代弁者なんぞ気取ってたら到底叶い得ぬ、日本の、普通の、しかし私だけの人生を。
でなかったらまさか、知らない祭りの粋な姐さん兄さんと記念撮影なんて。


















