◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題をそっちのけに、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者ならびに変態ケモナーでもある異常造形作家【川崎ピースケ】が執筆運営しています。
★ 研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
★トップページには最新2〜3記事のみ表示。過去記事は→【アーカイブ】←で総覧できます。
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【近業掬イ2026/9/25】新ブログ『眷狐ランド武蔵野』創建のお知らせ




先に済ますべきタスク多々のため、プレ告知から少し間が空いちゃいましたが、お待たせのお知らせ。
でプレ告知先は読みに行ってくれたかな? どうせ読んでねえの知っているぞ!

そこでもっかい告知です。去る9月9日より、サーランピーからの独立ウェブログ、
『眷狐ランド武蔵野 (けんこらんど むさしの) 』が出発進行の運びと相成りまして候。


★直リンクこちら→ 『眷狐ランド武蔵野』(https://kenkoland.hatenablog.com/)


 …どぇ… 今さら神社ブログ…。noteのほうが断然イマドキだのに。

幼少より神社の狐像に異様なシンパシーを抱き、ばっかり愛でて歩く偏執趣味を持っており、
せっかくなら写真に撮り残そう → だいぶ溜まってきたのでせっかくならweb写真館にしよう →
情報量が膨大になるのでサーランピー内でやるにはさすがに窮屈だので別館にしよう →
かつサーランピーの地続き引き続きにしよう → で、そっくり同じクドいスタイルを踏襲しました運び。
45歳になったら始めたいなと思ってたら47歳になっちった。

タイトルは旧施設名のもじり。埼玉の川口に「健康ランド武蔵野」っていうスーパー銭湯があって、
良さそうだな、24時間だし、埼玉探検に寄ろうかなと思ってたら、閉業しちゃったのよ。
昭和のともしびがまた消えていく…って淋しさから、勝手に拝借しました。
町角にひっそり佇むプチ神社も、あそこにあるな〜思ってると突如マンションに建ち替わったりする。

武蔵野と称するからには武蔵野全域を伺いたいが、ひとまずは東京23区の網羅を目指して、
サーランピーはサーランピーで並走して参りますのでサーランピー越しに何卒よろしゅう。
安っぽくて好きになれない "AIを有意義に使ってみる" 試みにも挑戦しています。
狐どうせ興味ねえでしょうけど、忘れた頃に忘れずに覗きに行ってみてください、
いつのまに増えたものだなあと驚くことでしょうよ。私は更新を忘れてること多々と存じます。


なになに? サーランギーやコツブムシを放り出して今度はネズミ講ならぬ、
キツネ講にご執心ですかって? 呆れましたね・根性ないですね・節操ないですねって?

失敬だな。私のどこを見て、お稲荷さんに取り憑かれたなどと仰るのやら?!

一体どう見て、眷属信心にどっぷりハマってしまったと仰るのやら?!!

ご存知のとおり、そもそも私は仏法に根ざして御座いますのんぞ?

いいかげん、目に見えるものばかりに執着しすぎではないでしょうか??

妖かしの鵺に囚われ過ぎではないでしょうかー???? っつの。


だって狐の趣味は今に始まったことじゃねえだもん。
このブログの大看板(ページの一番上↑)の両端にはずっと狐がいますでしょ、
千両箱を抱えてる左下の黄色い狐は ”伏見人形" といって、京都の伏見まで買いに行ったのよもん。
それに、仏教徒が神社を参拝?ってのも決しておかしな沙汰ではない。
どこだって同じに見える稲荷神社には神道寄りと仏教寄りがあり、見どころツッコミどころ沢山。
特に仏教系稲荷は採り込み要素がむちゃくちゃで、拝観していて愉快ですよ。

あとね、向こうにも同じこと書いたけど、重要なスタンスを付け加えておきます。
神社仏閣ご紹介サイトに星の数が腐るほどござる、
”正しいご由緒説明・正しい神様分類・正しいスピリチュお説教” は、
眷狐ランドに限り、バッサリ割愛申し上げ候。

本殿にはホニャノヘヒャラノカミが祀られ〜、左手から始めるのが正式な参拝作法で〜、云々。
狐に焦点を当て、狐だけに焦点を当て、本ッ当に狐ばっかしにしか焦点を当てませんので。

とは、ほれ、ようあるやないの…

こういうの↑とか…

こういうの↑。ウチはようせなんだで、ご安心あれ。
無論この画は心にもない大袈裟パロディですが、どっかで見たことありません?
なんで神社仏閣ご紹介ってこぞってこういう↑大きな袈裟を拡げっちまうんだろうな?

なんでか、それはね、無智蒙昧な民に語りたい教えたい授けたい!って時点で欲が出るからですよ。
増上慢というんですが、まず現世修行中の身にあって我欲ど真ん中の段階でもうアウトですし、
心の底で ((( 衆生無明=このバカチンどもが ))) と聴衆を見下してなきゃ、ああはならんよな、坊さま。
ええ、ええ、そうでしょうよ、ご高僧チューバーに較べりゃ我らバカチン市国の家畜民でしょうよ。


無明バカチン家畜にしてスーパー大阿闍梨くんであらせられる拙僧こと我輩は、
必要な道程や工程に応じて扱う題材がバカスカ変わるのを特長としています。
美術、工業デザインに始まり、楽器、人形劇、甲殻類、狸、羊、魚…
ところが悲しい哉、衆生もまた無明のバカチンでありますから、
私が少しサーランギーを弾けば=サーランギー奏者ピースケさん!と捉え、
サーランギー極めて下さい~と仰っては、他のテーマを始めるとソッポ向きなさる。
私が少しコツブムシを飼えば=コツブムシ研究の川崎先生!と捉え、
コツブムシ極めて下さい~と仰っては、他のテーマを始めるとソッポ向きなさる。
私が少しピースキーに扮すれば=ワ~イ可愛い動物くんやってきたヨ!と捉え、
可愛いんだから触っても虐めても許されるとナメてかかり、ガッツリ咬まれなさる。

果てに、何か1つを誰よりも極める先生こそが何よりスゴイ存在のように勘違い、
あれもこれもと関心事に手を出す輩をしょせん中途半端な挫折者と嘲笑い、
1分野ッぽっちに執着しては成し遂げた顔をして、中途半端に人生を終えて逝かれる運命数多。

ついては楽器や生物や造形に関して私にライバル心ニラニラ燃やしてくる人が時々あるが、
それは誰より一番コンテンツを何かしら身につけねば自身など空(=くう)にすぎないアンタの執着、
加えてそのコンテンツ冥利を私に侵されると自身が空(=カラ) になるアンタの恐怖なわけで、
意味ないよ、んなとこで勝負なさんなよ、ってのはそこを諌めて申し上げ続けておるわけです。
自称専門家、なんとかクラスタ等、何かにあてはめ人生の方々はその落とし穴をまるで分からない。

あのね、かく申す私は今や、限られた領域ひとつの専門家ではないのよ。
ヒト・モノ・ケモノの狭間にまつわる諸々を研究する、或る種の哲学者です。
でも我こそ哲学者ぞとぬかすと角が立ちますからせいぜい一介の造形業と称しております次第。
ましてや教え導こうなどと、己が未熟であるのに。 ”ピースケ真狸教” とさえ揶揄されて…
なべて偏見は、他者というものを "何をやる人か" 、つまり権威主義でのみ判断する、
やっぱし無明のバカチンだからです。高僧の仰る通りさね。


毎度の余談さておき、実際のところ私の発信っていかがですか。
ふざけ倒しているようで探究心の芯は全くブレてないと自分では思っているんですけど。

例えば楽器、多くは動物体から作られますが、サーランギーをはじめ擦弦楽器はその最たるもの。
コツブムシほか等脚目の暮らしは、標本イジリのみならず道具立てで接近できると提唱しました。
動物と物品の狭間に在する家畜とりわけヒツジの愛らしさにも実地で言及しましたし、
そうして生まれたピースキーに至っては村上信五クンに苦笑いされる事態に至りましたっけ。

一体全体バラバラのようで全部がどこかで繋がって見えますれば幸い。
何をする人!何で有名!ではなく、様々なコンテンツの繋がりを見つけ、より濃く繋げ合う、
これもまた仏教でいう ”ご縁” のあらわれの一つ
ではないでしょうか。
空即是色、色即是空、空間つまり空と空の間を繋ぐ蜘蛛の糸を私は見たいんです。

中でも神社の狐は、ヒト・モノ・ケモノ観と、カミとを繋ぐ、要(かなめ) にあたるのではないかしら。
あの動物を民がどう捉えたか?に始まり、実態あって実体なく、実体あって実態ない、
どうして普通に居るのか知れないのに怖カワイイ営みの極致だからね。

仏教系稲荷の場合、崇めている荼枳尼天さまの肖像の元になったのが、
インド神話の羅刹ダキニであったことはよくよく知られている一方、
あまり知られていないことには、ダキニは傍らにジャッカルを連れてるんですよ。
察するに、屍肉食であるジャッカルをダキニの化身として同一視している面があろうか。

その属性を日本で担うことになったのが姿の似たキツネであったとする定説は賛じつつ、
「いいえ狐は神使であり!」と神道および知識ッたかぶり屋がしつこく頭ごなすのは、
古代中国を経由した霊獣ジャッカルの生々しさを清く忌避せんがため?と私は見立てていますが、
今じゃその末裔のプチ像がホームセンターの神棚コーナーに売ってる。考えると不思議じゃない?

なぜインド古典楽器系の造形作家ピースケが狐像をテーマにする?ことにも自然とリンクするわけです。
ひいては "日本のサーランギー" に着地、円環させるのが、私が辿り着いた夢想かな。

その態度を「なにが日本スゴイだ…右翼!軍靴!差別!」と疎む海外ラヴァーもあるやもしれないが、
川越モスク問題然り、シタールタブラカレー教室で異文化カブれとる場合じゃないのは明白でしょ。
我が国は狭く遅れた劣等国→世界の民族文化こそ素晴らしい!で一本槍の面々が、
社会の振り子にハシゴ外される時勢が着実に到来しつつありますからね。
youtube.com
世界の楽器を一堂に並べ民族衣装で酒飲めば先進的平和理解ポジションに立てる、
日本の体制を粉砕し無明の衆生を差別なき楽園に導ける、と騙されてきたわけよ。


再余談さておき、

今さら神社の狐だけに関心ある人はよっぽど少ないと思いますし、
調べて何やら判ったところで何に役に立つやらすら滅法知れません。
みうらじゅん学でいう「ゴムヘビ」レベルで共感し難いとんま具合と重々存じ上げつつ、
立ち現そうじゃないの、いかに好きかを越え、もう好き嫌いなんかでやってない境地を。

先達ご発案の ”ない仕事” の愉快な大行進に、やっぱり衆生は無明のバカチンゆえ、
さすがマニアックですゥ~着眼点が違いますゥ~、理解者然と平伏してばかりです。
先達が暗に伝えたい人生訓とは、諸君はオレの苦行を目撃していかなる謎やテーマを追う?のはずだが、
では我もと狐を追い、同志の少なさに嘆きながらも、先達のご偉業に倣って… あれっ待てよ、

意外や、みうら先輩すら狐像は追っていらっしゃらない。
恐竜や植物はお好きでないそうで、そしたら狐像にはグッと来なさらないのかなー。
さればこそ追ってみる価値があるまいか? 私は逆に仏像=人物像をさほど興味持てないから。

尚、「天狗」って、最初から皆さんご存知の鼻デカ赤ら顔の山伏の妖怪ではなくて、
最初は流れ星にして犬だったのよ。鼻が長いのは鳥の嘴(くちばし)の転化と考えられる。
えっ… 星?犬?嘴?どういうこと??? の人は、ぜひ調べて繙いてごらんさい。
なんでもない習わしを何故に思う、これこそが民俗学の入り口です。


仏像めぐり御朱印集めに始まり、手袋片っぽとかマンホールの蓋の珍しいのとか、
探訪テーマは様々。同時に、ヘンなモノに注目する自分ヘンでしょ~匂わせが鼻につく危険もある。
狐像っていうのは像自体が放つ取っ付きづらさ畏れ多さが丁度よい研究材料と思うんだよな。
どこまで追ってもモノにならない、この意味でも狐は概念の狭間に位置している。

そして何より、狐像が日本の古き良き市街の風景を彩る一要素であるのを我々はつい忘れがちである。
謎めきを外国人に説かれて漸く照れ笑い、だのに稲荷に良いイメージを持てない日本人の多いこと。
こうしたギャップこそが当該テーマの深掘り甲斐だ。独り進める価値は存分にある。

目下の問題は参拝そのものより投稿更新のモチベーションなわけだが…
幼少からずっと続いてる着眼点だから苦じゃない苦行だし、いずれ届き悟ることを願って。
つきなみながら記録はGoogle地図、現地でピン留めしながら巡詣しており、

 (C) Google Maps.

やってますよの証拠に、私のスマホのスクリーンショットをチラ見せ申す。
青い印が既に行った稲荷神社で、緑の印が今後行きたい稲荷神社です。
ハートとか星は、イイ狐がいるから絶対行けの神社とか、狐いっぱい見逃すなの神社ですよ。
200社参拝に届いた時点でブログ立ち上げに着手し、現段階で335社を参拝申し上げました。

うち墨田区は両国駅の周辺をもって全社ご挨拶となります。まだまだ序の口も口。
序の口ったって、半年で三百社を周る散歩道をいっぺん考えてみてくれ?
それで出版社からお金もらえてるわけじゃないんですから結構大変よ。引き続き頑張って参ろう。


だけど次の10月は、ピースキーのメンテナンスに加え、前衛いけばな業務も混んできますゆえ、
参詣行脚をやや控え、研究室に抱えた物事を在るべき姿に整える月にしたいなと考えています。
で11月頭にはピースキー連れてご紹介きっかけの遠出を調整中。

やれ “インドでも珍しい楽器サーランギーをご紹介!インドの奥義ラーガとターラをご紹介!”
日本随一の外国代弁者なんぞ気取ってたら到底叶い得ぬ、日本の、普通の、しかし私だけの人生を。
でなかったらまさか、知らない祭りの粋な姐さん兄さんと記念撮影なんて。





エレクトロニコスファンタスティコスニビビビットキタゼゼブラガニ!! の話



  先日の大和町八幡神社大盆踊り会DAIBONでは、
淀川長治さん(のゾンビ)↑をはじめ、実に様々に不思議で愉快で豪華な表現者の皆様に出逢いましたが…

その中で「ぜひ賑やかしに来てください!」とフライヤーのコピーを賜った、
おっこちらも賑やかそうで楽しそう!と惹かれたイベントがこちら↓。


” 和田永&ELECTRONICOS FANTASTICOS!(エレクトロニコス・ファンタスティコス)”
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あっ思い出した、いつだかネット記事で見た、扇風機を楽器にする人か!

裏から光を当ててその明滅をセンサーで読んで音階を作る、よく工夫されたあの家電楽器の。
こんなに大所帯だったのか、これは是非遊びに行ってみようと即決しました。

でも河川敷の橋の下で開催となると、夏の夕立にあたったら中止だろうに…
実際、開催日が近づくにつれ、厚い雨雲までもが黙黙と開催日に近づいていく。
出逢いが飛んじゃうと残念なので、同チームの屋内展示の機会が前後日にあるか検索したところ、
うへっ今日の夕方までじゃんかい。ということで慌てて遊びに行って来ちゃったのは、
和田永「蟹宇宙を横歩きせよ展」@虎ノ門タイガーマウンテン。



いやぁ、これがね、大いに刺激を賜る素晴らしい展示でした。
作家ご本人にお目にかかる機会にも恵まれて、終了時刻までじっくり愉しませて戴いた。
なによりお客さんが楽しそうに展示を体験なさっていて、光景にこちらまでほっこり。

 和田永さん


音具を自分で生み出せる能力は、新地平の模索において極めて大きな比重を占めます。
作れる作れないで魅力に斯くも大差が出る。だからこそ作りたくなるんよね。

電子楽器を製作しステージ演奏する先達はそりゃもう数おいでです、
クラフトワーク、立花ハジメ、平沢進、明和電機、etc…
どなたとどう比較やら影響やらを今ここで語るのは野暮なことではあるのだが、
度々思うに、自己の表現スタイルやトーンに道具を当てはめていく彼らの姿勢は、
コントロールされた窮屈なナルシシズムに道具を押し込める膳立てにも見え、
本来の広がりを意外や欠いて感じられてしまう瞬間がある。

一方、廃家電を楽器として蘇らせ輪を広げる和田永さんらの姿勢は、
スタイル構築に拘泥されない、ひときわ自由な "電磁遊動" に見えるのだ。これは大きなこと。
現象を引き出すために生み出した仕掛けがどう繋がりどう育つか、
仕掛け人側も知れないまま、謎を解きながらの冒険を楽しんでいる。

さらに感心したのは、その遊泳がなんと綺麗に ”日本” へ着地している点。
家電ネイティブである我々にとっての奇祭、いずれは民族音楽となることが目標だそうだが、
この視点の集約としての、みんな輪になって盆踊り大会、なんだそうだ。
だとしたらそれはもう既に歴と民族音楽よ。日本という奇異な民族の音楽のあり方です。


ジャンルとしての”民族楽器” 界隈は、日本はダサ恥ずかしい国というコンプレックス強要を鵜呑みに、
学び方・活かし方・進化の仕方を大きく踏み間違えてしまいました
。
海外の方法論を正しく学び伝える伝道師こそ凄エラい、手早く特別な何者かになるには、
海外で学び母国の誰もやってない技法を持ち帰れば日本一の先生になれる!…という観念が固定され、
自分は本家に学んだ希少な存在サマだ教室に学びに来いという借り物のプライドばかり肥大させ、
では母国の環境で何を為すべきか?に対して発想力が非常に貧しい人材ばかり育ってしまった。
外国のアイデアをコピーしただけです~ぐ本家本物本元家元になろうとしてしまうんだよ。

民謡クルセイダーズや切腹ピストルズといった日本回帰バンドの力強い活躍めざましく、
海外の方が日本にこぞって来たる今、単なる出羽守な海外楽器バカはますます必要とされなくなるでしょう。

結果、自分では創れない借り物民族楽器アイデンティティ〜い屋は、
”楽器を自分で作れやがって! = 借り物でない独自の世界を持ちやがって!=タダで楽器直せ作れよこせ!” と、
楽器クリエイター層に対する劣等感・羨望・嫉妬の念をニラニラグギグギと…

テレビにも出やがって!

逆よ。各国の先人の工夫に学び、自分で楽器を工夫する意味の強大さに打ちのめされて漸く、
えっちらおっちら自前で作り始め・発見し・確立する、むしろその姿勢とプロセスこそが、
借り物のモノマネでない民族音楽の真のスタートラインなんだから。



苦難の新地平にかくも飄々と漂着し、まさに手探りの構築を楽しんでおられる、
これはリーダー和田さんの愉快な ”生み出す” お人柄が大きいとみた。


その和田さんの世界観を垣間見る上でさらに興味深いテーマは ”蟹” 。エビカニの、カニ。
幼少から蟹に強烈なシンパシーがおありで、巨大ガニの脚が生えた地平をずっと夢見てきたそうだ。


言語化が難しいが、確かに伝わる部分が多々ある。
明暗・陰陽・位相逆相・プラスマイナス・あちらと向こうを眼柄(がんぺい)振りかざして睨み、
横歩きに自由闊歩、時空や次元を行き来する生き様に、存在動機が同期なさっているのだろう。
つまり氏は単なる珍楽器奏者ではない。それを手段としてひたすらに現象と戯れる人なのである。
その機能的象徴、案内役としての、蟹…。いやはや感動した、素晴らしくどうかしてるぜ!

中でも笑わせて戴いたのは身近な蟹宇宙と全身で戯れる実験映像作品でした。
京王線・笹塚駅の電車ホーム屋根に設置された乗降確認カメラのあっちカメラ向こうカメラ2台、
つまりカニ眼カメラに自分の姿を撮られ込み、運転士用モニター2台からの同時カニ出力を遊ぶや、
なんと駅周辺にはカニ看板が目印のイタリア料理店が線路を挟んで2店舗存在すると判明、
同地のカニ濃度の濃さに驚き、早速カニを食べにカニ扮装カニ歩きで店へ突入するというもの。
ッハッハッハ、何しとん… と突っ込みながら繰り返し観させて戴きました。

電磁楽器アンサンブルの妙、のさらに奥を突く感覚の境地だな。
等脚目甲殻類の生態研究を離れてややしばらく経ちますが、
まさかこんなところで甲殻類的思考と邂逅するとは!


そして盆踊り会当日は、直前の通り雨を乗り越えて無事に晴れを迎えることに。
ピースキーは手ぶらでは手持ち無沙汰なので "みのる" を抱えて参戦申し上げました。


こちらも楽しかったなぁ、忘れられていく旧式家電が有機的に稼働し、
えもいわれぬグルーヴを刻んでいく。なにやら夢を見ている気分になった。


わあ、ニコスの新しいメンバーさんですか?>

<ニコスの新しい楽器ですね!初めて見ました!

めっちゃ言われた。違うんだ、すまんすまん。白黒シマシマ獣なのは完全なる偶然なのよ。
それに "みのる" は家電楽器じゃないんだ、農業機械の風力でリコーダー吹かすだけの生音だから。

当初 ”みのる” はリコーダーだけなく内部に自転車のダイナモを組み込み、
発電をそのままアンプに繋いで光りながらヴィ〜ンと音を出す予定だったんだ。
そしたらかろうじて電磁楽器の一種だったけど、笛ぶっ込んだまま止まってる状態。


明和電機社長が司会のミニライブ出演期日にそこまで改造が間に合わなかったの。


和田永さん&ニコスさんとは、またどこかでお目にかかれたら嬉しいですね。
ここまできたらいつかきっと本当にカニ電波タワーを創り上げて、
おお、これが見たかったのだ、と歓喜する和田さんと仲間達を祝いたいじゃないか。



★追伸:
海に「ゼブラガニ」という白黒シマシマの蟹が実在します。そいつはこれまた「ラッパウニ」という、なぜかラッパ型に進化した猛毒トゲをもつ異常ウニの、その自慢のトゲをウニに無断でむしり、空けたスペースに勝手に住んでいる。

魚も人も怯えるビビビ環境を敢えて好むゼブラ柄のカニの、紡ぎ出す命の音楽とは……?




ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 




【サーランピーからお知らせ】

このブログは相変わらず多面多方向の話題をインド古典擦弦楽器サーランギーのお役立ち情報なんざ堂々そっちのけで抱えながらまだまだ引き続いて参る所存ですが、運営方向に関しまして9月9日にプチニュースがございます。

今年に入ってからの、何やら取り憑かれたんじゃねーの?かのような私の傾倒ぐあいから概ねお察しかもしれません、そちらの情報量がこちらサーランピー1本ではちょっと抱えきれない膨大さになること確定だので、思い切ってそちらを分離独立させちゃうことにしました。今その準備に鬼クソ追われているところ。で、かねてより製作予定の "日本のサーランギー" はそちらとこちらを繋ぐ路線に決まった。

どういうことになるかはお知らせをお楽しみに。
こういうことは機運が高まったときにエイヤッと捕まえるのが一番いいのよ。






    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です。

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。