◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題を中心に、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者や変態ケモナーとしても知られる異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
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民藝売るならブックオフ、老犬買うならブックオフ、嘘見抜くならトゥーティッキ、の話




はい完了。インドの古い真ッ二つブッ壊れちゃんの修理が終わりました。

カッコいいでしょ?
アルダッロ、アルダッロと、糞味噌に文言を垂れといて未完成じゃ格好つかないもんな。

ネックを力学的に固定しましたから、強く張った弦が引き倒す心配もまずありません。


もともと3弦楽器であったのを勝手に1本増やしただけでなく、

頭頂の鳥さんの横ッ腹に勝手に新規ペグをブッ刺すという無茶苦茶をやったうえ、

潰れて錆びた鉄パイプの小断片を勝手に差してジャワリ駒(矢印部分)にするイレギュラーぶり。
触れてビョーンと鳴らすのは勿論、触れなくても共鳴してくれます。

おまけに孔雀の羽根と鈴でお茶目にデコっちゃお♪とは文化破壊もいいところ。
ええ、ええ、こんな仕上げはインド人もやってません。が、だからなんだと仰る?
なになに? 自分の楽器もこんなふうにしてほしいって? ウルセーーーッ!


むろん皮張りも自前です。が今回はちょっとばかし難儀したな…
急な必要に対処していった結果ものすごいやり方になってしまった。
アジア弦楽器の皮張り歴は長いのですが、胴の形、皮の質が異なるたびに初心者の気分です。

まず準備した皮の質が思いのほか良くなくて、最初はロフタールに張ろうとしたのだが、
裏の皮下脂肪の削ぎが甘くて接着がまるで効かず、やむなく延期に。
乾かして状態を再チェックし、裏を削ぎ直してからサーリンダーに移した次第。

しかもこの楽器の胴体は非常に皮を張りづらい形状をしています。
本来、弦が数本でこのぐらいの面積の楽器の皮張りなら本来は手延べで充分、
現地でも濡らしてニカワか何かで貼ってヨシとしたはずで、その痕跡が残っている。

が、パンッとした音にしたくて、相応のテンションをかける判断をした。
専用の皮張り治具なんてありませんし、この為だけに作るの面倒ですから、
手持ちの道具を総動員し、皮と対話しながら張っていく。

結果、治具を外しても皮が緩まず、叩いてカンッカンッと高音が出ればOK。
どんな手段だろうと結果パンっと張れてさえいればオーライなのだ。

逆にどれだけ長く正統に偉そうにインドを学んだところで、張れてなければ失格。




さてここで復習(復讐?)です。

問1)今ここにこうして存在している1台は、なんですか?

   答え → インドの民族楽器サーリンダーの、壊れていたものですね。


問2)ではなぜ壊れていたサーリンダーから再び音が出るようになったのですか?

   答え → 直せる人が直し、弾ける人が弾いているからですね。



問3)ではなぜその人はサーリンダーを直せて弾けるのですか?

   答え → そういう勉強をしてきた専門の人だからですね。

問4)その人は専門家なのに日本から出たことがない、生粋の日本人です。
   そんな日本人のもとでなぜインドの民族楽器サーリンダーが蘇ったのですか?

   答え → ・・・・・・・・・・。




(((こいつ天才なんだ…)))という認識だけは絶ッッッ対に避けたがるんです、みんな。

インドでは民族楽器があれこれであーだこーだ、間違った解釈は他民族への冒涜だ!と、
なにを貶されたところで今この楽器は日本に存在し、立派に機能している。
民族音楽を正しく真似ない日本人はインチキ”という理解は、いま俺が作って弾く現実には敵わないのだ。

いわく、理解の範疇を越えている人なんか無視したい、無視したい人が辿り着きたい夢を叶えてる。
認められる何者かになりたいから民族楽器を始めたのに、既に何者な人なんてズルイ! と。

その↑動機から間違っているんだよ。
外国の誰かの人生の在り方をただ真似るのではなく、自分の在り方を見付け出そうじゃないか
この視点こそが先述の概念アルダッロ・ツクーリァの本懐なんです。単なる楽器自慢ではない。



単に物品への執着なのではないか、という意見には心当たりがなくもない。

仏教に “色即是空・空即是色” という重要な考え方があります。
いずれ分解する万物は今この瞬間とりあえず今の形をしているだけで、
その形を保つことになった原動力は “縁” だと仰るんですね。

私はただこの壊れかけのサーリンダーとのご縁を賜ったということ。
インドでは云々…日本では云々…楽器とは云々…じゃないんですよ。
そんなレベルで留まってる民族楽器ファンとのご縁は、う~ん、どうなんスかねぇ。
彼らは自分の血の池の薄さにあえぐ承認地獄の餓鬼だからなぁ。

ドロドブス、サーリンダーに目処がついて、次に復活を待つ弦楽器は “グスレ” である。
これもまた無理な構造をしているあまり、壊れて私の研究室に届いた。案の定、案の定。

似た名前の楽器が沢山あるんです!とか、抒情詩の弾き語りが文化遺産に登録されました!とか、
正しいとか間違っているとか、嬉々として楽器ウンチク、今どうでもよろしいこと。
私の元に縁あった以上、歌を取り戻す以上の、妖怪以上に生まれ変わらせる。



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陶磁器というのは色即是空・空即是色の説くご縁の最たる結果物だと思う。
土・砂・泥・灰を、経験則で練り替えて、一昼夜かけて燃やすと、芸術品になるのだから。

モコつきアリクイ少年ボウイ&ドューポッコモコちゃんとの出逢いを発端に、
ブックオフスーパーバザーにちょいちょい通うようになってしまったが、
ここで単に “食器・雑貨” として売られる中古品の棚を見逃してはならない。
心底ろくでもない量産品、要らないガラクタ類が殆どではあるが、
柳宗悦らの提げた “民藝” の後進と捉えるべき土の仕事が流れ着いているのである。

X(旧ツ)にこう↑書き込んだ後ふと思い立って再び来店、新たに買ってきたのは…

おい待て待て。これは民藝の最たる、小鹿田焼(おんたやき:大分県の皿じゃい。
飛び鉋(とびがんな)といって、焼く前の生地にバネのきいた鉄板の刃をあて、
ダラララララッと連続キズをつけていく装飾技法がとりわけ著名だ。

皿の後ろの壺も小鹿田焼のように見えるのだが、飛び鉋の目が緻密でなく、
釉の柄杓の三彩(色つけ泥をヒシャクでパシャ掛けする技法)の雰囲気からみるに、
もしかしたら小石原焼(こいしわらやき:福岡県)の方かもしらん。
違ったらごめんね、この両窯は作風を見分けづらいです。皿のほうは小鹿田で間違いない。

絶句するのは、じつにゴミ捨て場と揶揄される同店の価格設定である。

 ¥550-
 ¥1,760-

ひぇ~、こんなんじゃ卸値だ。民藝運動もヘッタクレもない。

この値段で捌いてる以上、おそらくブックオフはこれを50円前後で仕入れている。
作家にとって手を離れた品の値段はどうとでもなれではあるのだが、
もしこれが直売の価格だったらとてもじゃないが作家はやっていけません。
参考相場は、新品ならそうさな…、皿が8寸で4,000円、壺は20,000円弱といったところか。
それでも安いくらいだよ、数を作らないと割に合わない。

や、もう、なんぼ、今こそ民藝だ古き良きデザインだと訴えたところで、
もう古臭いし興味も無いっちゅうことよな。要らない皿、邪魔な傘立てでしかない。
でも捨てるのをしのびない持ち主はブックオフに捨て値で引き取ってもらう判断をした。
捨てる神ありゃブックオフ、拾う神ありブックオフってとこ。


俺ね、工業デザイナーでなく楽器作家でなく生物研究者でさえもなかったら、
僧侶になりたかったのよ、お坊さん。欲を封じて人生の芯と真を見抜き拡める仕事。
でも現実をみてガッカリしたよね、質素清貧や法典だのを建前に、地獄の沙汰もカネ次第。
浄財やら布施やらあやかりグッズ販売やら、あの手この手で掻き集めんとやれないし、
金色の仏様やら金襴緞子の袈裟やら、豪勢な還元で自分を救済しとるやないの。

色即是空、=全ては幻だ執着するな、と尤もらしい説法をよそに、
生きていくためにモノに頼らざるを得ないという嘘も同時についてるんだよね。
そこに気づいて以降、せっかく三次元の世に産まれたこの縁起を大切に、
貪る物欲や執着でなくモノの魂をもっとよく見て真を押さえたいと考えるようになった。

編み出したのが危ない坊さん芸術家キャラ。いわば珍怪古物趣味の織田無道みたいな設定だけど、
徐々に困ったよね、キャラを偏見に見られたり、本当にどこぞの悪徳新興宗教と思われたり。
このままだと設定に自己を喰われると思い、アピアランスを素のままに切り替えたの。
物事の真の魂を見抜く修行だったら在家でも出来るわけだからな。

仏といえば出身大学の先輩みうらじゅん氏、誌面表現のみならず珍品蒐集や、
見仏記に知られるように仏法の面でも、大先達である。
在学時、学園祭の特別トークショーにみうら先生のご登壇を提案し、実現したな。
キャラ付けやユニット結成の形で発信しても、ご自身に芯をきちんと残しているから、
ある一分野で著名な先生ですと分け難い=自分を分野にカテゴライズさせない強みがある。

私の場合、古い雑器に目が行くのは、棄てられた物の良さを分かってやりたい気持ち
モノとの縁が見え過ぎて、優し過ぎるんですよ、たぶん。
おかしな発信材料に出逢う為に全国行脚に赴くMJスタイルとはだいぶ異なる。
現実的に辿り着く職種は、古物商・古道具屋さんだねぇ。本望ではある。

雑種の老犬を保健所で譲り受けるのと同じ、と言って通じる演奏家がどのくらい居るやら。
血統書付き新品ゲット!自慢しか念頭にない奏者の渇望を全て救済してやるほど、
私の優しさは易しく出来ていない。




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随分な言われようを言われ放題なX旧Twitterの、不躾ながら民度 ですが…
読まない・読めない、1投稿でしか判断しない・前後関係を推察しない、
フォロワー数で値踏みはするがプロフィールすら読んでない、は本当
かもな。
そのくせ、ハハハ無知な莫迦がいたものだと吊るし上げ嗤える側には多勢で回りたがる。
嘲笑を裏打つ “常識” とやらが、まさか吊るしたこの莫迦者がもたらした情報とは知らずに。

そこでちょっぴりイタズラを…愚か者を装ってみたのだが、こうも覿面(てきめん)に垣間見るとは。
この投稿が誰をキチガイ博士などと言っているか、サーランピーを識る方ならすぐ分かるのですが。

谷の仲間たちとかくれんぼ遊びの際、入れたものが著しく変容してしまうとはつゆ知らず、
飛行おにの所有物であった大きなシルクハットの中へ身を隠すムーミントロール
「きみはだれだい?」変わり果てたムーミンを誰ひとり見破れず皆でタコ殴りに処すが、
醜い怪物野郎の瞳の中にムーミンママだけが息子の怯えた心を見抜くのである。
きっとトーべ・ヤンソンも、そんなもんよ人間…との思いからこの寓話を着想したものと思う。

ムーミンに関しては絶対的な原作至上主義者です。
描き起こしアニメはどの作品も頑張ってはいるが、余計な演出を加え肝要な演出を欠いている。
あの陰鬱に終始する皮肉の応酬を、どうせ子供ふぜいに理解できぬし教育上不向き、と思ってか?

「あなたたちもごぞんじのとおり、人はあんまりいく度もおどかされると、ときによって、すがたが見えなくなっちまうわね。そうじゃない?」

とは、山室静訳「ムーミン谷の仲間たち」に収録のエピソード〈目に見えない子〉より、
どうみてもヤンソン女史の親友がモデルである、おしゃまなトゥーティッキ姐さんの弁。

じつに皮肉ではないか。よもやX民こそ、やれブロックだの垢消し逃亡だのと、
陰鬱な皮肉の応酬に終始する “目に見えない子” の集まりやもしれぬとすれば。







浮世の波に友を想い、碧き器に我を思う、の話

                      \ わりと反応あるだろ? /

そりゃまあ、あるし、有難いけどもさぁ…

X(旧ツイッター、参加して1ヶ月経ちましたが、やっぱこりゃ危ねぇ装置だわいや、
総勢が日常リポーター役を担い合っているような使命感覚でユーザーを鈍麻させ、
矢継ぎ早の情報量に依存させる構造をしている。程々にしておこう。
ツイートに忙しいあまりサーランピーを書かなくなる事態はありえない。

ブログの女王うんぬん皆こぞって書いていたウェブ日記の体裁がまるで衰退した理由、
乗り合いや待ち合いに誰もが四六時中スマホを覗き込んでやまない理由、
もう長文を読めない書けない思考できない人が急増した理由が、だいぶ解った気がする。
そりゃそうなるわいや、まやかしの絆に飢え、終わりなきムダ情報に溺れていたのでは、
他人の自撮り独り言どうでもいい!高評価された繋がりにぶら下がりたい!渇望症に罹るのは必然。

ゆめゆめ企業システム内に人生を踊らされませぬよう。
ネバーエンディング大喜利と申しますか、ミヒャエル得ンで、ほんまに。


ま、フォロワー幾十万人・拡散希望・インプ稼ぎやら、私は数字の競合にからきし関心無く、
ただ最近知り合ったド変態さん達と連絡したくて参加を決めたまでなのですが、
それでも約40名様と繋がって戴けたうえ1000~5000ビューを打つ小記事を提供できた。

充分、充分、全くの初心者の短期間にしちゃ出航オーライ、ひとえに皆様のおかげさま。
人気者やベテラン各位はこんなもん日常というから凄いが、一方で全ては幻影でもある。

人は人を、見えている一側面、どう数字に表れているかという、
ごく僅かな情報でしか判断しませんし深く考えようともしないものです。
多面的な考え方をいざ引き出されるともうどう捉えていいやら狼狽えてしまう。
惑わされず、地に足をつけ、暮らしの中の確かな物事と美を見失わないようにしたいね。



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サーランピーならびに造形オフィス狸化室(りかしつ)は相変わらずの雑多運営、
もちろん楽器直し対応やら新作設計も継続しておりますけれども、
主たる業務は資料や標本の整理、つまりは常設ゴミ屋敷でございます。

目下課題はコロナで中途だった「日本サランギ学会・サリンダ協会」のイメージロゴ作成、
湯沸かし空間を転用した私用プチ画廊はほぼ完成したのでじゃんじゃんディスプレイ撮影、

とは別途に白バックブースで撮影、等々やること山積みです。

どうせ持っては逝けない俺チョイス、記録が形になり次第、出して参ります。


で今はね、青磁釉(せいじゆう)・糠青磁釉(ぬかせいじゆう)・灰釉(かいゆう) と呼ぶんだが、
前回記事で少し紹介した碧い陶磁器をピックアップすべく、そこかしこの食器店を巡っている。


日本民藝館、べにや民芸店、備後屋、銀座たくみ、ほかデパート上階、etc。

出光美術館の「青磁」展はとても良くて2回行っちゃったし。


ぽってりした青緑色の器をどうして好きなんだよな、こんな、おかずに向かねえ色の。

といってもお宝鑑定団じゃないよ、普段使いの安物雑器の中から良い出来を見つける楽しみ。

衒いが無く極力シンプルで一様なものが美しいが、納得できる品は少ないんだ。
無作為を謳いながら無駄に釉を遊んだりと如何にも民藝調を狙った品は却って鼻につく。

色味も微妙で、淡色では退屈な無印になるし攻めたトルコブルーもいけない。
織部の深いガラスな緑も作為的であんま好みじゃないんだよな、もっと朴訥マットでいい。
翡翠色から抹茶色までか、許容範囲は。

自分で言っててクソ喧しく思う。しかし実際これだッてのがなかなか…
作務衣の陶芸家が出来上がりに納得いかなくて割るだろ、あれと同じで。

見つけた時はもう財布の紐が、ッてゆーか生理的に締め付けないんだけど〜。


好例に、こちら↓は TODAY’S SPECIAL で見つけた器。


なんとまあこのシンプルを気取らない温かな飾り気の無さ!
いわゆる民藝専門店でないお店でも意外やこういった素直な作家工芸に出逢える。

かの民藝運動は日常に埋もれし美を掘り出さんとする反骨に大きな意味合いがあった。
その最々々々々…ィィィ末端に俺が居るぞと盛大に勘違う勢いで、発見し鑑賞したいものだね。
サーランギーも民藝運動の流れに充分沿うものであると確信している。

これ↓など、じつに300円。こうやってちゃんと撮ると悪くないだろ?

低価格雑貨の NATURAL KITCHEN で見つけた高台小鉢。
婆ちゃんチの仏壇のらくがんとか赤飯を供える皿だろと笑うことなかれ。
粗い作りの量産品ながら、宋代・汝窯(じょよう)青磁っぽさを借りているのが伝わる。
色調このままに釉のオモテがつや消し梨地だったらなおのこと良かったね。
抹茶アイスや栗きんとんを盛ると実際よく合い、ごちそう感も増しました。


こういうことでいい。なんや…お宝、箱書き付きで数千万だの、全部ゴミだ、ゴミ。
元よりゴミ雑器が映える侘びの美を見出すのが提案だのに、価値観がまるくそ転倒している。

人は物さえも、見えている一側面、どう数字に表れているかという、
ごく僅かな情報でしか判断しませんし深く考えようとせず決めつけます。
内在する美をいざ引き出されるとやはり捉え方に狼狽えてしまう。
“いい仕事” してますか否か、評価は誰に惑わされず自分で決めてよいのです。



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碧き器の取材行脚に並列して、

ピースキーを連れ立っての各種イベント出没を計画、

さあ効率よく行動しましょうと、結局よく知らない街の混雑を右往左往していたら、
うっかり軽い喉鼻の風邪を貰ってしまった。
や、全然、楽しかったからいいし、布団にくたばるほどような状態でもないのだが、
次の催し参加への影響を考えてプチ療養、X(旧ツ)を少し離れてこの記事を書いています。
勉強しすぎ→からの寝不足→からの疲労も原因だろうなあ、気をつけよう。

検査は?注射は? いえ、このくらいの風邪ではどちらも検討しませんよ。
葛根湯、龍角散、緑茶鼻うがい、多めの睡眠で、自分の免疫系に頑張ってもらうのが俺のやり方。
少し罹っておくと次に入ってきたときの防衛に体内の覚え書きが役立つんです。

俺の分身かつペルソナ(仮面)として、ピースキーにはマジ卍感謝してるチョリス。
全く範疇でない分野に堂々突入し学べているのはコイツの厚顔のおかげである。
明らかに俺よりモテるし…… クソがッ!! 複雑な心情を隠しきれんチョリスよ。


民族音楽や生物学に携わる諸氏は考えてみてくれ、聡明な貴方がたとて、
しかしエロやフェチといった分野を公然と声高に言及し得るだろうか?
社会的地位の失墜に怯え震え上がるだろう。イスラーム圏ならば死罪を免れ得ぬ。
が、その奥底に学問的無知が眠るとすればどうなのか。
己の無知に蓋をする、これを専門馬鹿という。
日本国は追求にそこそこ許容的なはずだが。

ふと気づけば俺、緑色グッズにまみれて囲まれて。これを専門馬鹿という。
同じ色にこだわるのは発達障害だヨと鼻で嗤われたこともありますが、はてさて。
人一倍に鋭敏な美の感覚を、烏合の衆が ‘障害’ だとご認定なさるのなら、
仰る世間一般ごく普通とやらが一体どれほどのものか。

誰が鼻白もうとも俺は行くとこまで行きますよ。










    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。