はい完了。インドの古い真ッ二つブッ壊れちゃんの修理が終わりました。
カッコいいでしょ?
アルダッロ、アルダッロと、糞味噌に文言を垂れといて未完成じゃ格好つかないもんな。
ネックを力学的に固定しましたから、強く張った弦が引き倒す心配もまずありません。
諸国民藝ご紹介で名高い[東京かんかん] https://t.co/LXJj1ZJ6X3 様より賜った、インド擦弦楽器「サーリンダー」。大変古く、真っ二つに大破した状態で授かりましたのを当方で改造修理、終えたてほやほや音映像です。
— ピースキー (@peeeeeeeeesukey) 2024年3月10日
歌を忘れて幾年月…日本のキチガイ職人の手に渡り、再び歌を取り戻しました次第。 pic.twitter.com/5NhSB19NGc
電気タブラをズンドコ鳴らしながら試奏。ピッチの甘さはご容赦くださいね、試したことないスペックで、いま仕上がったばかりの個体の、ぶっつけ演奏だもん。練習もケッタクソもねえだよ。 pic.twitter.com/8N0HJunD1W
— ピースキー (@peeeeeeeeesukey) 2024年3月10日
おまけ映像。グルーヴをいっとき離れ、即興の旋律を一息でのびのび歌い上げるのは、インド民謡の何よりの醍醐味。伴奏楽器でしっかりリズム取りながら自由に歌うの難しいんだけどね。
— ピースキー (@peeeeeeeeesukey) 2024年3月10日
ミュージシャン各位もぜひ試してほしいが…それ以前にインドの歌のこぶし回しの練習からだわな。 pic.twitter.com/FgT9hpzKBK
もともと3弦楽器であったのを勝手に1本増やしただけでなく、
頭頂の鳥さんの横ッ腹に勝手に新規ペグをブッ刺すという無茶苦茶をやったうえ、
潰れて錆びた鉄パイプの小断片を勝手に差してジャワリ駒(矢印部分)にするイレギュラーぶり。
触れてビョーンと鳴らすのは勿論、触れなくても共鳴してくれます。
おまけに孔雀の羽根と鈴でお茶目にデコっちゃお♪とは文化破壊もいいところ。
ええ、ええ、こんな仕上げはインド人もやってません。が、だからなんだと仰る?
なになに? 自分の楽器もこんなふうにしてほしいって? ウルセーーーッ!
むろん皮張りも自前です。が今回はちょっとばかし難儀したな…
急な必要に対処していった結果ものすごいやり方になってしまった。
アジア弦楽器の皮張り歴は長いのですが、胴の形、皮の質が異なるたびに初心者の気分です。
まず準備した皮の質が思いのほか良くなくて、最初はロフタールに張ろうとしたのだが、
裏の皮下脂肪の削ぎが甘くて接着がまるで効かず、やむなく延期に。
乾かして状態を再チェックし、裏を削ぎ直してからサーリンダーに移した次第。
しかもこの楽器の胴体は非常に皮を張りづらい形状をしています。
本来、弦が数本でこのぐらいの面積の楽器の皮張りなら本来は手延べで充分、
現地でも濡らしてニカワか何かで貼ってヨシとしたはずで、その痕跡が残っている。
が、パンッとした音にしたくて、相応のテンションをかける判断をした。
専用の皮張り治具なんてありませんし、この為だけに作るの面倒ですから、
手持ちの道具を総動員し、皮と対話しながら張っていく。
結果、治具を外しても皮が緩まず、叩いてカンッカンッと高音が出ればOK。
どんな手段だろうと結果パンっと張れてさえいればオーライなのだ。
逆にどれだけ長く正統に偉そうにインドを学んだところで、張れてなければ失格。
さてここで復習(復讐?)です。
問1)今ここにこうして存在している1台は、なんですか?
答え → インドの民族楽器サーリンダーの、壊れていたものですね。
問2)ではなぜ壊れていたサーリンダーから再び音が出るようになったのですか?
答え → 直せる人が直し、弾ける人が弾いているからですね。
問3)ではなぜその人はサーリンダーを直せて弾けるのですか?
答え → そういう勉強をしてきた専門の人だからですね。
問4)その人は専門家なのに日本から出たことがない、生粋の日本人です。
そんな日本人のもとでなぜインドの民族楽器サーリンダーが蘇ったのですか?
答え → ・・・・・・・・・・。
(((こいつ天才なんだ…)))という認識だけは絶ッッッ対に避けたがるんです、みんな。
インドでは民族楽器があれこれであーだこーだ、間違った解釈は他民族への冒涜だ!と、
なにを貶されたところで今この楽器は日本に存在し、立派に機能している。
“民族音楽を正しく真似ない日本人はインチキ”という理解は、いま俺が作って弾く現実には敵わないのだ。
いわく、理解の範疇を越えている人なんか無視したい、無視したい人が辿り着きたい夢を叶えてる。
認められる何者かになりたいから民族楽器を始めたのに、既に何者な人なんてズルイ! と。
その↑動機から間違っているんだよ。
外国の誰かの人生の在り方をただ真似るのではなく、自分の在り方を見付け出そうじゃないか、
この視点こそが先述の概念アルダッロ・ツクーリァの本懐なんです。単なる楽器自慢ではない。
単に物品への執着なのではないか、という意見には心当たりがなくもない。
仏教に “色即是空・空即是色” という重要な考え方があります。
いずれ分解する万物は今この瞬間とりあえず今の形をしているだけで、
その形を保つことになった原動力は “縁” だと仰るんですね。
私はただこの壊れかけのサーリンダーとのご縁を賜ったということ。
インドでは云々…日本では云々…楽器とは云々…じゃないんですよ。
そんなレベルで留まってる民族楽器ファンとのご縁は、う~ん、どうなんスかねぇ。
彼らは自分の血の池の薄さにあえぐ承認地獄の餓鬼だからなぁ。
ドロドブス、サーリンダーに目処がついて、次に復活を待つ弦楽器は “グスレ” である。
これもまた無理な構造をしているあまり、壊れて私の研究室に届いた。案の定、案の定。
似た名前の楽器が沢山あるんです!とか、抒情詩の弾き語りが文化遺産に登録されました!とか、
正しいとか間違っているとか、嬉々として楽器ウンチク、今どうでもよろしいこと。
私の元に縁あった以上、歌を取り戻す以上の、妖怪以上に生まれ変わらせる。
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陶磁器というのは色即是空・空即是色の説くご縁の最たる結果物だと思う。
土・砂・泥・灰を、経験則で練り替えて、一昼夜かけて燃やすと、芸術品になるのだから。
モコつきアリクイ少年ボウイ&ドューポッコモコちゃんとの出逢いを発端に、
ブックオフスーパーバザーにちょいちょい通うようになってしまったが、
ここで単に “食器・雑貨” として売られる中古品の棚を見逃してはならない。
心底ろくでもない量産品、要らないガラクタ類が殆どではあるが、
柳宗悦らの提げた “民藝” の後進と捉えるべき土の仕事が流れ着いているのである。
いつだか、益子焼… 上野(あがの)焼… 丹波立杭(たんばたちくい)焼が素朴でイイのだと話してたら「中島ピーの助先生!!鑑定を!!」と、居酒屋その場の盛り皿や灰皿を俺にけしかける冗談へ発展したっけな。バカにすんなっつの。
— ピースキー (@peeeeeeeeesukey) 2024年2月27日
…4つ目の国宝・曜変天目ですねぇ〜。嫌いなんだ曜変天目。この話おわり。 https://t.co/TylidyScDv
X(旧ツ)にこう↑書き込んだ後ふと思い立って再び来店、新たに買ってきたのは…
おい待て待て。これは民藝の最たる、小鹿田焼(おんたやき:大分県)の皿じゃい。
飛び鉋(とびがんな)といって、焼く前の生地にバネのきいた鉄板の刃をあて、
ダラララララッと連続キズをつけていく装飾技法がとりわけ著名だ。
皿の後ろの壺も小鹿田焼のように見えるのだが、飛び鉋の目が緻密でなく、
釉の柄杓の三彩(色つけ泥をヒシャクでパシャ掛けする技法)の雰囲気からみるに、
もしかしたら小石原焼(こいしわらやき:福岡県)の方かもしらん。
違ったらごめんね、この両窯は作風を見分けづらいです。皿のほうは小鹿田で間違いない。
絶句するのは、じつにゴミ捨て場と揶揄される同店の価格設定である。
¥550-
¥1,760-
ひぇ~、こんなんじゃ卸値だ。民藝運動もヘッタクレもない。
この値段で捌いてる以上、おそらくブックオフはこれを50円前後で仕入れている。
作家にとって手を離れた品の値段はどうとでもなれではあるのだが、
もしこれが直売の価格だったらとてもじゃないが作家はやっていけません。
参考相場は、新品ならそうさな…、皿が8寸で4,000円、壺は20,000円弱といったところか。
それでも安いくらいだよ、数を作らないと割に合わない。
や、もう、なんぼ、今こそ民藝だ古き良きデザインだと訴えたところで、
もう古臭いし興味も無いっちゅうことよな。要らない皿、邪魔な傘立てでしかない。
でも捨てるのをしのびない持ち主はブックオフに捨て値で引き取ってもらう判断をした。
捨てる神ありゃブックオフ、拾う神ありブックオフ、ってとこ。
俺ね、工業デザイナーでなく楽器作家でなく生物研究者でさえもなかったら、
僧侶になりたかったのよ、お坊さん。欲を封じて人生の芯と真を見抜き拡める仕事。
でも現実をみてガッカリしたよね、質素清貧や法典だのを建前に、地獄の沙汰もカネ次第。
浄財やら布施やらあやかりグッズ販売やら、あの手この手で掻き集めんとやれないし、
金色の仏様やら金襴緞子の袈裟やら、豪勢な還元で自分を救済しとるやないの。
色即是空、=全ては幻だ執着するな、と尤もらしい説法をよそに、
生きていくためにモノに頼らざるを得ないという嘘も同時についてるんだよね。
そこに気づいて以降、せっかく三次元の世に産まれたこの縁起を大切に、
貪る物欲や執着でなくモノの魂をもっとよく見て真を押さえたいと考えるようになった。
編み出したのが危ない坊さん芸術家キャラ。いわば珍怪古物趣味の織田無道みたいな設定だけど、
徐々に困ったよね、キャラを偏見に見られたり、本当にどこぞの悪徳新興宗教と思われたり。
このままだと設定に自己を喰われると思い、アピアランスを素のままに切り替えたの。
物事の真の魂を見抜く修行だったら在家でも出来るわけだからな。
仏といえば出身大学の先輩みうらじゅん氏、誌面表現のみならず珍品蒐集や、
見仏記に知られるように仏法の面でも、大先達である。
在学時、学園祭の特別トークショーにみうら先生のご登壇を提案し、実現したな。
キャラ付けやユニット結成の形で発信しても、ご自身に芯をきちんと残しているから、
ある一分野で著名な先生ですと分け難い=自分を分野にカテゴライズさせない強みがある。
私の場合、古い雑器に目が行くのは、棄てられた物の良さを分かってやりたい気持ち。
モノとの縁が見え過ぎて、優し過ぎるんですよ、たぶん。
おかしな発信材料に出逢う為に全国行脚に赴くMJスタイルとはだいぶ異なる。
現実的に辿り着く職種は、古物商・古道具屋さんだねぇ。本望ではある。
雑種の老犬を保健所で譲り受けるのと同じ、と言って通じる演奏家がどのくらい居るやら。
血統書付き新品ゲット!自慢しか念頭にない奏者の渇望を全て救済してやるほど、
私の優しさは易しく出来ていない。
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随分な言われようを言われ放題なX旧Twitterの、不躾ながら “民度” ですが…
読まない・読めない、1投稿でしか判断しない・前後関係を推察しない、
フォロワー数で値踏みはするがプロフィールすら読んでない、は本当かもな。
そのくせ、ハハハ無知な莫迦がいたものだと吊るし上げ嗤える側には多勢で回りたがる。
嘲笑を裏打つ “常識” とやらが、まさか吊るしたこの莫迦者がもたらした情報とは知らずに。
そこでちょっぴりイタズラを…愚か者を装ってみたのだが、こうも覿面(てきめん)に垣間見るとは。
この投稿が誰をキチガイ博士などと言っているか、サーランピーを識る方ならすぐ分かるのですが。
物知り~。でも、砂浜の虫が人に噛み付くなんて、本当かなあ。都市伝説じゃないかしら。実際に確かめたキチガイ博士でもいるのかなあ。 https://t.co/67cuF4GqDf
— ピースキー (@peeeeeeeeesukey) 2024年3月4日
谷の仲間たちとかくれんぼ遊びの際、入れたものが著しく変容してしまうとはつゆ知らず、
飛行おにの所有物であった大きなシルクハットの中へ身を隠すムーミントロール。
「きみはだれだい?」変わり果てたムーミンを誰ひとり見破れず皆でタコ殴りに処すが、
醜い怪物野郎の瞳の中にムーミンママだけが息子の怯えた心を見抜くのである。
きっとトーべ・ヤンソンも、そんなもんよ人間…との思いからこの寓話を着想したものと思う。
ムーミンに関しては絶対的な原作至上主義者です。
描き起こしアニメはどの作品も頑張ってはいるが、余計な演出を加え肝要な演出を欠いている。
あの陰鬱に終始する皮肉の応酬を、どうせ子供ふぜいに理解できぬし教育上不向き、と思ってか?
「あなたたちもごぞんじのとおり、人はあんまりいく度もおどかされると、ときによって、すがたが見えなくなっちまうわね。そうじゃない?」
とは、山室静訳「ムーミン谷の仲間たち」に収録のエピソード〈目に見えない子〉より、
どうみてもヤンソン女史の親友がモデルである、おしゃまなトゥーティッキ姐さんの弁。
じつに皮肉ではないか。よもやX民こそ、やれブロックだの垢消し逃亡だのと、
陰鬱な皮肉の応酬に終始する “目に見えない子” の集まりやもしれぬとすれば。