◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題をそっちのけに、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者ならびに変態ケモナーでもある異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
★トップページには最新2〜3記事のみ表示。過去記事は【アーカイブ】で総覧できます。
★ YouTubeなど外部埋め込みがクソ多い記事は、お使いのクソ環境によって読み込みにクソ時間がかかります。クソしてお待ちくださいませ。


浮世の波に友を想い、碧き器に我を思う、の話

                      \ わりと反応あるだろ? /

そりゃまあ、あるし、有難いけどもさぁ…

X(旧ツイッター、参加して1ヶ月経ちましたが、やっぱこりゃ危ねぇ装置だわいや、
総勢が日常リポーター役を担い合っているような使命感覚でユーザーを鈍麻させ、
矢継ぎ早の情報量に依存させる構造をしている。程々にしておこう。
ツイートに忙しいあまりサーランピーを書かなくなる事態はありえない。

ブログの女王うんぬん皆こぞって書いていたウェブ日記の体裁がまるで衰退した理由、
乗り合いや待ち合いに誰もが四六時中スマホを覗き込んでやまない理由、
もう長文を読めない書けない思考できない人が急増した理由が、だいぶ解った気がする。
そりゃそうなるわいや、まやかしの絆に飢え、終わりなきムダ情報に溺れていたのでは、
他人の自撮り独り言どうでもいい!高評価された繋がりにぶら下がりたい!渇望症に罹るのは必然。

ゆめゆめ企業システム内に人生を踊らされませぬよう。
ネバーエンディング大喜利と申しますか、ミヒャエル得ンで、ほんまに。


ま、フォロワー幾十万人・拡散希望・インプ稼ぎやら、私は数字の競合にからきし関心無く、
ただ最近知り合ったド変態さん達と連絡したくて参加を決めたまでなのですが、
それでも約40名様と繋がって戴けたうえ1000~5000ビューを打つ小記事を提供できた。

充分、充分、全くの初心者の短期間にしちゃ出航オーライ、ひとえに皆様のおかげさま。
人気者やベテラン各位はこんなもん日常というから凄いが、一方で全ては幻影でもある。

人は人を、見えている一側面、どう数字に表れているかという、
ごく僅かな情報でしか判断しませんし深く考えようともしないものです。
多面的な考え方をいざ引き出されるともうどう捉えていいやら狼狽えてしまう。
惑わされず、地に足をつけ、暮らしの中の確かな物事と美を見失わないようにしたいね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



サーランピーならびに造形オフィス狸化室(りかしつ)は相変わらずの雑多運営、
もちろん楽器直し対応やら新作設計も継続しておりますけれども、
主たる業務は資料や標本の整理、つまりは常設ゴミ屋敷でございます。

目下課題はコロナで中途だった「日本サランギ学会・サリンダ協会」のイメージロゴ作成、
湯沸かし空間を転用した私用プチ画廊はほぼ完成したのでじゃんじゃんディスプレイ撮影、

とは別途に白バックブースで撮影、等々やること山積みです。

どうせ持っては逝けない俺チョイス、記録が形になり次第、出して参ります。


で今はね、青磁釉(せいじゆう)・糠青磁釉(ぬかせいじゆう)・灰釉(かいゆう) と呼ぶんだが、
前回記事で少し紹介した碧い陶磁器をピックアップすべく、そこかしこの食器店を巡っている。


日本民藝館、べにや民芸店、備後屋、銀座たくみ、ほかデパート上階、etc。

出光美術館の「青磁」展はとても良くて2回行っちゃったし。


ぽってりした青緑色の器をどうして好きなんだよな、こんな、おかずに向かねえ色の。

といってもお宝鑑定団じゃないよ、普段使いの安物雑器の中から良い出来を見つける楽しみ。

衒いが無く極力シンプルで一様なものが美しいが、納得できる品は少ないんだ。
無作為を謳いながら無駄に釉を遊んだりと如何にも民藝調を狙った品は却って鼻につく。

色味も微妙で、淡色では退屈な無印になるし攻めたトルコブルーもいけない。
織部の深いガラスな緑も作為的であんま好みじゃないんだよな、もっと朴訥マットでいい。
翡翠色から抹茶色までか、許容範囲は。

自分で言っててクソ喧しく思う。しかし実際これだッてのがなかなか…
作務衣の陶芸家が出来上がりに納得いかなくて割るだろ、あれと同じで。

見つけた時はもう財布の紐が、ッてゆーか生理的に締め付けないんだけど〜。


好例に、こちら↓は TODAY’S SPECIAL で見つけた器。


なんとまあこのシンプルを気取らない温かな飾り気の無さ!
いわゆる民藝専門店でないお店でも意外やこういった素直な作家工芸に出逢える。

かの民藝運動は日常に埋もれし美を掘り出さんとする反骨に大きな意味合いがあった。
その最々々々々…ィィィ末端に俺が居るぞと盛大に勘違う勢いで、発見し鑑賞したいものだね。
サーランギーも民藝運動の流れに充分沿うものであると確信している。

これ↓など、じつに300円。こうやってちゃんと撮ると悪くないだろ?

低価格雑貨の NATURAL KITCHEN で見つけた高台小鉢。
婆ちゃんチの仏壇のらくがんとか赤飯を供える皿だろと笑うことなかれ。
粗い作りの量産品ながら、宋代・汝窯(じょよう)青磁っぽさを借りているのが伝わる。
色調このままに釉のオモテがつや消し梨地だったらなおのこと良かったね。
抹茶アイスや栗きんとんを盛ると実際よく合い、ごちそう感も増しました。


こういうことでいい。なんや…お宝、箱書き付きで数千万だの、全部ゴミだ、ゴミ。
元よりゴミ雑器が映える侘びの美を見出すのが提案だのに、価値観がまるくそ転倒している。

人は物さえも、見えている一側面、どう数字に表れているかという、
ごく僅かな情報でしか判断しませんし深く考えようとせず決めつけます。
内在する美をいざ引き出されるとやはり捉え方に狼狽えてしまう。
“いい仕事” してますか否か、評価は誰に惑わされず自分で決めてよいのです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



碧き器の取材行脚に並列して、

ピースキーを連れ立っての各種イベント出没を計画、

さあ効率よく行動しましょうと、結局よく知らない街の混雑を右往左往していたら、
うっかり軽い喉鼻の風邪を貰ってしまった。
や、全然、楽しかったからいいし、布団にくたばるほどような状態でもないのだが、
次の催し参加への影響を考えてプチ療養、X(旧ツ)を少し離れてこの記事を書いています。
勉強しすぎ→からの寝不足→からの疲労も原因だろうなあ、気をつけよう。

検査は?注射は? いえ、このくらいの風邪ではどちらも検討しませんよ。
葛根湯、龍角散、緑茶鼻うがい、多めの睡眠で、自分の免疫系に頑張ってもらうのが俺のやり方。
少し罹っておくと次に入ってきたときの防衛に体内の覚え書きが役立つんです。

俺の分身かつペルソナ(仮面)として、ピースキーにはマジ卍感謝してるチョリス。
全く範疇でない分野に堂々突入し学べているのはコイツの厚顔のおかげである。
明らかに俺よりモテるし…… クソがッ!! 複雑な心情を隠しきれんチョリスよ。


民族音楽や生物学に携わる諸氏は考えてみてくれ、聡明な貴方がたとて、
しかしエロやフェチといった分野を公然と声高に言及し得るだろうか?
社会的地位の失墜に怯え震え上がるだろう。イスラーム圏ならば死罪を免れ得ぬ。
が、その奥底に学問的無知が眠るとすればどうなのか。
己の無知に蓋をする、これを専門馬鹿という。
日本国は追求にそこそこ許容的なはずだが。

ふと気づけば俺、緑色グッズにまみれて囲まれて。これを専門馬鹿という。
同じ色にこだわるのは発達障害だヨと鼻で嗤われたこともありますが、はてさて。
人一倍に鋭敏な美の感覚を、烏合の衆が ‘障害’ だとご認定なさるのなら、
仰る世間一般ごく普通とやらが一体どれほどのものか。

誰が鼻白もうとも俺は行くとこまで行きますよ。










    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。