(1) 精肉バザール・ホニほふーるでゴザール、の巻
(2) まきばのエロス、の巻
(3) 楽器羊はダッチワイフの夢を見るか、の巻
という感じで今回のテーマはド直球の猥談で満載、
犯罪スレスレの言及にどなたさまも辟易にくたびれたことと存じますし、
あーあこいつ露骨な下ネタに走っちゃったかと見限った方も多いと思われます。
でもこの課題の真意はそこじゃなかりけり。
なかなか共感してもらえないだろうなと承知で始めた企画です。
自作品の中でもかなり私的で異質、作ってから公開を躊躇しました。
ま、やっと最終稿、これまで苦虫噛み噛みご高閲くださいました皆々様には、
意味が分からない… 意味が分からない… と最後までお苦しみ戴きたく存じます。
第一おめえたちゃ家畜なんぞまるくそ興味ねえわけじゃんかろう?
そっからあることないこと言い訳せにゃならん俺の身にもなってみれ。
砂肝ザリザリ食いつつ読んでりゃいいんだから楽でいいさね、ったく。
【 終話:たねあかし 〜詭弁の怪物〜 】
本作はいわゆる美術の文脈上でいう俺的 “パストラル” 芸術、
或いは俺的「横たわる裸婦」「レダと白鳥」なのです。
そりゃ恥ずかしいけれど、立ち現したい世界の為ならば。
と同時に、表現行為としての道具とはいったい何ぞや?という問いを、
事象の狭間から取り出そうと試みた解答の1つでもあります。
生物と死物、思想と科学、執着と嫌悪、貞淑と淫猥、耽美と醜怪。
命ある者の命を奪う作法にならい、命なき物に命を吹き込みながら、
狂気と笑気の狭間を覗き見る、偏執的獣愛の解剖学。
大切なのは奥に秘められた真を見抜く目と、体腔に溜まった血を掬い取る心。
それらの関係性を楽器という総合芸術にまるごと注ぎ込み、
自分で自分に一種の思考実験を仕掛けたのが本作ともいえます。
「ピースケさん… もうついていけません勝手にしてください…」
そう。私自身どうしていいか知らぬままただ奏でるのみ。
わからぬわからぬと遠い目をされてこそ、狭間に漂う道具は輝くのだ、と思う。
大変だったんだぞ野原で撮影。
背負って電車乗ってサッと撮って帰るつもりが、
「エッ」「うわッ」「羊だ 」「フフッ乳出とる」
じろじろ見られて笑われて勝手に写真撮られて。
「あーっキャハハおっぱいがあるからメス!!」と絶叫のチビッコならまだしも、
観光の外国人すら「ワーオ。BAAA…」。うっせえなこの国ではこりが日常なの!
楽器ですらあのざまだもの。ダッチワイフ所有の殿方は真の勇者だな、
生半可な愛情じゃ人目を気にせず車椅子デートに連れ出すなんて無理だ。
……遠回しな話になるが幾つかすればもう少し解ってもらえるだろうか。
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《 仲が良いにも程がある、の話 》
動物好きな人なら、願わくばムツゴロウさんのように、
愛する動物と恋人のように心を交わしたいものです。
よく手懐けている人はソロモンの指輪の持ち主のように魅力的だ。
愛のアプローチがどのように表出するかは人それぞれ。
遠巻きに眺めるのが好き、撫でるのが好き、一緒に遊ぶのが好き、
愛猫を口に含めちゃいたい中川さんのお嬢さんみたいな人や、
思い余って愛犬に挿れちゃいたい人、挿れられちゃいたい人もいたり…
しかし、
イチャイチャするほど羊を好く人はそう多くないようです。
私は自他ともに認めるクソ狸でございますが、
未年生まれという意識もあって、羊だぁい好き。
狸は同性、羊は異性っていう感じかな。
当の羊がウフーンうっとり夢心地でも飼育スタッフに叱られちゃう、
どうやら普通じゃないらしいって話は前にさんざん致しました。
でも猫ちゃんワンちゃんとカフェで仲良しすんなら構わないわけだろう?
何の為の動物かの決定権は管理人に、ってこと以外に実は何も無いんだよな。
線引きに適い認められるかが二人の「ふれあい」の行方を左右する。
ロミオとジュリエットじゃねえんだからさあ。
これは楽器の取り扱いにも少し似ている面がある。
「楽器は恋人」「恋人のように楽器を扱いなさい」と教えられるのは、
その道具を大切に抱き、自分の肉体の延長のように心を交わし合い、
相手を知るようにして操ることで無意識に微妙なニュアンスを引き出し、
発露する結果によい変化を期待するためです。
気持ちを込めて奏でれば楽器も応えてくれるわよと教える先生。
でも楽器に喜ばれるほどまで感動的に弾きこなされると、
世に送り出すべく全力で応援してくださる先生もいれば、
畏れ妬み潰してしまわねば気の済まない反面教師もいるわけだし。
楽器取り扱い、家畜取り扱い、どちらも問題は程度と線引きなんでしょうよ、
もともとヒトとモノとは心を通わせられるわけがない間柄と考えられている。
この物体はこういう概念でこう位置付けなきゃ許されないの!! と決めつけている。
そこへきて、想定以上の効果を引き出してしまう物と者とは一体何者かということ。
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楽器は恋人! → かっこいい!
羊と仲良し! → すごいですね!
羊殺し! → かわいそうに!
ジンギスカン! → くさいけどおいしい!
羊殺し楽器と仲良し! →( ・・・・。 )
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少なくとも要注意人物は確定よな。
どう腑に落としたらよいやら知れないから気味悪がり、
気味悪い暗闇に得体の知れなさを覚える次第。
動物を殺してその亡骸で作った音具を演奏することや、
楽器を動物の形にデザインして抱き寄せて弾く行為は、
概念の狭間を覗き見て生きる意味と力をこの手に掴もうとする営為なんです。
そこまで到達しようとハナからしない者の多かりし現世なれば、
得体の知れなさを自在に多用せし者を、やれシャーマンだの魔導士だの、
しまいにはピースケ大僧正だのと形容するより他に腑に落ちないわけ。
\真実を見抜くには嘘まやかしも必要ですぞ…/
/一心不乱に唱えれば必ずや救われましょう…\
★同一人物の印象2態。キミはどっちを信用したい?
カリキュラムに沿わない漢字や計算法を使った答案にバツつける教育や、
高い生産性を見込める育て方でも筋を通さなければ認めない農業組合など、
伸ばす可能性を摘み取る共産主義的足並み揃え主義というものは、
まったくこの国の発展を……あっ楽器の話だっけな、脱線脱線。
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《 いつも楽器と、の話 》
アイデアの原初は小学生の頃の遊びです。
俺、なんでだか、昔から楽器が好き過ぎて、同じ布団で寝てたんですよ。
ぬいぐるみちゃんと一緒じゃないと寝られないの〜、と同じ感覚でね。
ティッシュ箱やクッキー缶に輪ゴムを多数かけたのが最初の自作弦楽器。
ジャワリ(ビョーンと鳴る弦仕掛け)の原理を自発的に発見したのもこの頃です。
だから「シタールは精緻すぎてインド人しか調整出来ない」なんて変な話だなあって。
決定的だったのは親父が社員旅行で行った伊豆の土産のヤシの実ウクレレ、
っても演奏には不向きな飾り物なのに自力で改造して演奏できるようにし、
布団に潜り込んで真っ暗い中で弾いて遊んでいたんです。
手指が憶えていれば真っ暗くても弾けるんだよ。
そのまま眠っちゃって朝、気付かずにウクレレの上に寝ててバキッたことも。
もちろん自分で直して引き続き使ってました。
教わったことないのにギター弾いてたなあ。
きちんとした楽器を、きちんとした楽器店で高く買って、
きちんとした先生から、きちんとした教則本どおりの音楽を習い、
きちんとした専用ケースにしまって壊しちゃ駄目…ってのと真逆のことを、
誰にも教わらずに勝手にやってる幼年時代だったわけ。
高校ではコントラバス。吹奏楽コンクール前にはやっぱり添い寝しましたさ。
楽器と添い寝すると心からパートナーになれる気がするんだよね。
ウッドベース用の布製ケースは巨大な寝袋のようで出し入れが面倒なので、
少しだけ触りたい時はケースに入れたまま手を突っ込むだけで弾いてました。
手指が憶えていれば楽器が直接見えてなくても弾けるんだよ。
で、おかげさまでオッサンになりました現在の私。
幼少のまま駆け抜けてしまってこのていたらくです。
ホニホフール製作にはこうした幼少青年期の原体験が大ヒントになりました。
ぬいぐるみと楽器とそのケースを同時に手探りで愛そうとするならば、
事象は自ずとどう癒合して参ります? つまり、
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大好きな動物ぬいぐるみ型の弦楽器だったら、
いつも一緒に寝られるネ♪
+
ケースに入れたままでも手指の憶えで弦楽器を弾けるなら、
ケースに弦が張ってあれば出し入れの必要がないから便利ネ♪
‖
大好きな動物ぬいぐるみ型ケースに弦が張ってあれば、
出し入れの必要なく一緒に寝ながら手指の憶えで弾けるネ♪
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ってなるわけでしょ誰だって。
…ならないか、あっはっはっはっは。
しかし、だとするならば、楽器やケースの存在意義っていったい何ですか?
このとき道具は各々の役割を乖離し、シュレーディンガーの猫の如く半透明な、
“重なり合った状態” を漂うことになるのです。
♪バイオリンのケース、トランペットのケース、
シュレーディンガーの猫がわりにして、出発だ〜♪
「ホニホフール」はモコモコ防音ケースの内側に弦を張った構造によって、
抱きながらこの “量子論的もつれ状態” を好き放題に弄ぶことができるわけだ。
掛け布団に潜って弾くとモフド〜ンと響いてまるで胎内のよう。
抱ッコしたまま寝落ちても寝返りで楽器バキッする心配もないので安心、
だって弾いてるのは楽器ではなく、もこもこ緩衝材に包まれたケースですもん。
愛する楽器、愛する獣とともに、ひとつのベッドで裸で眠り、歌い…
バター犬ならぬ『ギター羊』。やるならそこまで突き抜けねば。
シュレーディンガーの猫、モンティホールのヤギ、ビュリダンのロバ、
箱の中のカブトムシに続く「ギター羊」をよろしく。ぜひ憶えて帰ってください。
…もうちょっと丁寧に話さなきゃ駄目みたいだね。
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《 みんなだっていつも楽器と、の話 》
や、別に俺だけが変態なのではないと思いますが。
最近多いじゃないですか、ずんぐりリュック型ギターケース背負う女学生。
しかも小生意気ちゃんなことにリッター社の高級ソフトケースなんぞをさ。
あの中には楽器のほかに青春と若き日の悩みがパンパンに詰まっている。
だからあの子達の演奏は青い音がするんだろうと思います。
三味線や大正琴の着物オババはこれから発表会なのだなあ…
ほうあれはマンドセロ、 マンドリンクラブ会員かしら…
おっ揚々とラスタな青年はアフリカのコラとは珍しい…
テューバを背負った学生はいかにもテューバの体格で感心感心…
ケースの形状で何の楽器かを推察し、持つ人の活躍に思いを馳せることは、
街歩きや電車利用のひそかな楽しみであります。
ああ、サキソフォン全体に着せる消音スーツも愉快ですね。
木管楽器は構造上ミュートしづらいの丸ごと覆わざるを得ないのですが、
あれもまたオルルフに近い行為を行っているといえましょう。
ケースというものは普通、本体よりも地味にシンプルに製作してあるものです。
だって中身の楽器よりケースが目立っちゃったらどうするんですか。
しかし逆に考えてみてください。もし動物型だったら? ちょいとおしゃれですよね。
猫好きだったら猫型ケース、犬好きだったら犬型ケース。
未年産まれで羊がだぁい好きな僕ちゃまが弾く楽器のケースなら、
羊型だったら楽しいな〜、連れ出すたびにお散歩気分だもの。
その夢想をとうとう本気にしてしまったのがホニホフールというわけ。
でも実際に街に連れ出すと目立って大変という事がわかりました。
もしホニホフールを担いで電車移動の折、駅員さんに、
「すみません動物はケースに入れて戴かないと〜」と叱られてもご安心。
いえいえこりは楽器のケースであり楽器そのものですと申しますれば、
駅員はたちまちタハタハ笑いにて撤退のこと受け合いでございます。
と同時に、ケースに限らず動物型の楽器、動物の体内に弦を張るアイデアは、
それこそ小学生ん時に思いついてて、中学でもう実物にしていたのです。
しかも当時から「既成の楽器に動物要素を加えただけで満足してたまるか、
どう弾いてよいやら困るようでなければ」と頑なに考えていた次第。
だって例えばよ、羊をモチーフにオリジナルギターを作ってくださいと、
ギター学校出身の職人さんに依頼したところで起こしてくる設計なんてどうせ、
せいぜいこんなもんじゃねーかな。これじゃいかにもつまらんじゃんか。
職能に凝り固まった乏しい発想、既存の製作スキルを超越できなくて、
「そんな楽器は無理。あんた弾けるの? 他をあたって」と断られるに決まってます。
作った本人すら扱いに困るくらいの問題作を拵える覚悟でなきゃ。
私の場合、その亡骸は今も研究室の片隅で眠っています。
これ「リブドッグ」って呼んでて、さんざん馬鹿ライブで使ってきたのに、
自分で作っておいて正しい演奏法を未だに知らんのよ。
この頃のモチーフはまだ羊でなく架空のブタイヌくんで、
肋骨が指にも弦にも当たるのでまともに弾けないのよ。
しょうがないから肋骨で弦を押さえて音を選んでました。
ピエゾで拾ってアンプに繋いで、どったんばったんスラップしたり。
これはこれでグロ可愛いのですが常にオープンなルックスが退屈だし、
そもそもブタイヌの体内である必然性が無いのが、いま思うと詰めの甘さです。
例えば弾く時だけアジの干物のようにパカッと開くなんて愉快じゃんか。
ならば次回作のモチーフはリアル羊のパカッで決定だぞと確信していました。
というのも、羊は素材利用のほか実験動物としても飼育されていて、
特に第1胃で行うゲロ発酵メカニズム研究にうってつけの生体材料なんですが、
いちいち吐いたり飲んだりしてもらうのでは無理をさせますゆえ、
「ルーメンカニューレ」って言ってね、文字通り土手っ腹に風穴をあけて、
その窓から胃内容物に直接アクセスする方法をとるんですよ。
★実際はこんな肉眼で観察するわけじゃないですよ、
専用のゲロ採取器を突っ込んで分析器にかけます。
こえーだろ。穴あき羊はどうなるのって、そのまま生きるんよ。
エサ代わりにボール(硬式テニス3個!)を胃にブチ込んで偽の満腹状態にさせ、
ゲロ成分と満腹感との関係を証明しようとした実験もあるんだ。超こえーわ。
オルルフだよね、オルルフ入ってるよね。
そんな経緯と妄想構築があって、きっと羊が良いモデルになってくれる、
エログロサイエンスアートの表現に羊がバッチリ合致する!と、
確信はしたものの技術と勇気の不足もあって長いこと躊躇していました。
だってほら、羊は優しくて牧歌的なイメージがあるだろう?
それを殺すだの弄るだのとは…
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《 やっぱり羊ヘブンで正解なんだ、の話 》
さていよいよ再々度セルフ・リメイクの機運が立ち上がり、
だからって剥製の改造じゃ安易だし、奇をてらうなとの批難は目に見えること。
ついてはリアルにしたいけどメス羊で作ったらやっぱりエログロかなあ…
が、心配いらなかった。映画「ズートピア」に登場する羊の悪女、
ベルウェザー副市長を見ていて股間にピーンときたわけです。
ああ、羊がモチーフで正解なんだ、そういうふうに使ってもよかったんだ。
羊は決して間抜けで頭の弱い従属的なばかりの動物ではありません。
荒っぽく喧嘩っ早く、だいぶお利口で、私はそこいらを含めて好きなのです。
か弱いルックスにどす黒い劣等感と野望を秘めた動物キャラクターは、
物事の表裏を内包する作品の設計にうってつけの押し出し役になってくれました。
米トランプ大統領はしかし全国民の半数以上の熱い支持を得たわけだろう?
ズートピアのライオン市長が羊を要職につけて囲わざるを得なかった、
一定数の根強い支持層、まさにあれが「ひつじ票」だったわけですし。
なのでホニホフールには当初メガネをかけさせる予定もあったのですが、
ちょっと安易だし、過度に擬人化してしまい興醒めすると思われボツ。
代わりに政治家繋がりで思い浮かんだのが、懐かしのチチョリーナさんです。
オッパイと政治という相反する要素を併せ持つぶっ飛びの存在だなあ。
ジェフ・クーンズと創った「メイドインヘブン」は美術界への挑発でしたし、
きったねえぬいぐるみちゃんをいつも抱っこしてくる登場も象徴的だ。
★ちなみにクーンズは無為な俗物の意外な顕在化を得意とする美術家。
馬鹿げたようでいて妙な気品があり、ウォーホルより断然ステキです。
まず当人が洒落た男前だもんズルいよなあ、井上順みたいな軽妙さがある。
で試しに眼鏡じゃなくて造花を被せたら乳出しチチョリーナみたいになったもんで、
んじゃホニホフールの個体名=愛称も「チッチ」ちゃんでいいかってなった。
薄着(or裸)で花冠ってのはとてもエロ可愛いと思うんだ、ヘブンリーで。
被せたままなのはその名残りです。
ああそうさ、俺のチッチちゃんさ。
羊に名前をつけてしまって何が悪い?!
こりで僕ちゃん毎晩好き放題メイドインヘブン!
…あのね、ドン引いてないで皆さんもやってみたらよいのよ。
檀蜜によく似たハイレグコビトカバ型グランドピアノとか、
小栗旬そっくりのイケメンカマドウマ型トロンボーンなど、
お好きなモチーフでお好きな音具をご密造なさりベッドで抱いて鳴らせば、
思いがけないエクスタシーに辿り着けるかもしれませんよ?
どういうふうに作ってどう弾くのか知らねえですけど。
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《 シャレになる変態・ならない変態と、社会の話 》
ところで当連載中またもや凄惨な殺人事件が発覚しましたね。
暗い気持ちになります。また少し脱線しますが、挟む必要のある話だから。
愛玩と屠畜の狭間の話題を扱ってくると、じゃあヒト同士は?と考えざるを得ない。
してよい殺しといけない殺しの違いが在るのか?なる問いが生じるのです。
こういうドライな言い方は非常に不本意なのですが、
殺害や破壊への衝動にかられるメンタリティを予め備えた人というのは、
アポトーシスよろしく必然的に一定数現れるのではなかろうかと私は考えます。
好奇心や狩猟本能との関連も強いように思われるし。
みんな「法律で決まってるから当たり前」と思考にフタしちゃうだろ?
そりゃね、改心を期待した懲罰と教育をもって、
立派な社会人に更正できるのなら越したことはないのさ。
だが衝動者の場合は逆だと思うんだ、約束の外の住人なんだから。
死刑になりたくて殺したのだ早く死刑にしろと主張する類がそれです。
で、事が起こってから約束の中だけの約束事で処理しようとする。
もし迷惑をかける因子が一定数産まれることが仕方のないことならば、
健全な社会維持の名目でどんどん殺処分しましょうという方向が生じます。
間引くべき出来損ないか、そうでない者かの判断基準と審判は、
誰が為し誰が担うというのか。選民? ここにまた闇と苦しみがある。
「精神鑑定の結果、罪に問えない」や「家畜に名前を付けてはいけない」は、
裏返せば誠に都合のいい、その実、健全社会の間抜けな敗北でしかないのです。
幼女誘拐殺害事件が世間を震撼させたあの時、
「フィギュア萌え族」なるレッテル貼りが問題になりましたね。
提唱したジャーナリスト氏、さもさも社会悪を見抜いたりと息巻いて、
毎度おなじみの偏向テレビ的論調を展開し、逆に吊るし上げられた顛末。
世の表裏を評さば穴二つ、後ろの穴に前の穴というわけか。
アニメ人形に恋するオタク男子は性犯罪予備軍だから抑制をとは、
言いたいことはよくわかるんだが凄い物言いよな。
イメージへの執着と表現はむしろ誰もが心に秘めた自然な発露です。
理想そして祈りは様々な型代(かたしろ)に身をやつして命を与えられ、
ときに子供たちの発育を願い、ときに落ち込む少女を優しく包み、
淋しき者の股ぐらにしなだれかかる夜もありましょう。
媒体の性質ばかりで健全か変態かを審判できるものでもありません。
まして封殺せよと良い子ヅラして斬り捨てることができましょうか。
健全を自認する社会の皆さんはどんな媒体に欲情を駆り立てられるのかしら。
ビニ本なら紙面萌え族、ビデオなら電磁萌え族といったところか。
まさか成熟した生身の女をいやらしい目で? キャッお巡りさんこの人です!
\俺の相棒… 恋人以上かな。乗ってみるかい?/
/レインボーダッシュたん萌え萌えキュ〜ン♪\
★リトルポニーLOVE男子2態。キミのお友達はどっちかな?
予備軍たちよ、犯罪は駄目だ。相手の人生を奪うようなやり方は美しくない。
だがせっかく犯罪スレスレの変態エネルギー、有り余らせ燻らせているならば、
衝動を破壊でなく創作に回してみようぜ!
その方がよほど世間を驚かせ鼻白ませる未来へのステップにもなるはずだ。
ちょいと変わりし性癖者なら、規範と妄想を混同しない采配を心に決めることが、
重たいこの社会をなんとか乗り切る手段そして結果的に心の逃げ道となる。
「漫画ならいくらでも殺せるんですヨ…」とは蛭子さんの至言だ。
しょうもないし、空恐ろしい反面、まったくもって真理である。
創作ならば遠慮は無用。パンピーどもが大いに凹ます常套句に、
よく言ったもので「自慰行為にすぎない」があるが、なにが悪いか。
評論ゴッコにうなだれ時間を奪われてはいかん。
自慰からさえも果てしない物語を引き出してやらんとするくらいでないと。
分類不可能、評論不可能、グウの音も二の句も継げぬ混沌を提示し、
ハイハイもうどうぞ勝手に進めてくださいと呆れられ、
作った自分もいったい何をやっているんだろうと立ち尽くす、
そのくらい宙ぶらりんでこそ、芸術作品は本望なはずだ。
自信を持って一歩一歩、笑われて参ろうではないか。
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で、俺の場合は音響造形に身をやつすうち知らず知らずに、
ヒト・モノ・ケモノの織り成す思考の渦を漂う羽目になった。
詭弁に次ぐ詭弁の応酬に自ら呑み込まれる思考の渦だ。
人殺しが許されぬなら、羊殺しなら構わぬのか。
羊殺しが許されぬなら、偽の羊なら構わぬのか。
では偽の羊が「私を屠り、心を奏で、死の歌を」と寄り添う時、
私でよければ構わぬが、貴方なら構うか構わぬか。
だが煩悶の対岸で静かに立ちはだかる意外な結実については、
芸術家気取りのエンパス患者は得てして無頓着である。
すなわち…
おいおいなんてこった、出来ちゃったんかーい。
ヒツジ女とタヌキ男がまぐわえば怪奇の楽器妖獣が産まれる?
ひゃあ、おいらも晴れて名実ともにモロー博士の島。
まいったな、おめでたい限りだが、養っていけるんだろうか。
異獣同士のハーフと知れたら同級生にいじめられないだろうか。
こじらせて悪に手を染めて、復讐と征服なんぞ夢見るに至って、
ゴッドマンに倒されたんじゃ親としては泣くに泣けんぞ。
もうっ。今さら何をおっしゃるつもり?
死んでる物に命を宿すお仕事なんて、
あなたはいっぱいいっぱいヤッてきたじゃない。
産まれてくる子は、食べちゃうの?
名前をつけて、殺しちゃうの?
責 任 と っ て よ ね …
受胎そして母と子は、生命が我が身をもって織り成すエロティックアート、
自らの細胞で分身を彫塑するという意味ではピュグマリオニスムの究極だ。
祝福のうちに迎えもすれば、駆け引きの道具ともなるのだろう。
道具の研究者を自負してきた私もまさかそいつにゃ気付かなんだわいや。
♪白ヤギさんから(受胎告知の)お手紙ついた、
黒ダヌさんたら低収入、がんばれがんばれ猫目くん〜♪ってか。
…女 っ て 、 こ わ ぁ い !
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ヒツジほふり弦楽器「ホニホフール」の解説は以上で終わりです。
長文お付き合いくださりありがとうございました。
デモ演奏はYouTubeで公開予定ですのでお楽しみに。
次回よりこのブログの本分でありますインド楽器の話題に戻ります。
日本のサーランギーの現状にはまだまだ納得いってないのでね…