「さらん弓(さらんきゅう)」とは…
天竺より伝来したさらん儀 [Saran-gi]と、
唐より渡来した胡琴 [Fu-chin]とを原型に、
武蔵の國におはします菩薩様・天神様が融和なさったと云われている、
旧き良き大和の伝統を今に伝える弓曳き邦楽器でございます。
中臣の鎌足、平の清盛、パキケファロのサウルスらが活躍した動乱の世にあって、
各々手製のアイデア鳴り物を傍らに練り歩く造形宗(ぞけしゅう)の放浪僧、
造形僧(ぞけそう)らが盛んに奏した「さらん弓」。
なめ猫免許証を勧進帳がわりに関所の通行を許された経緯と相まって、
造形僧は日本各地の霊廟を巡礼、ときにウェーダー履いて荒海へも分け入り、
「さらん弓」の妙音をもって神仏のご眷属である鳥獣虫魚を労いました。
一般家庭にインターネットが普及し始めた江戸中期、
「さらん弓」の弓曳き念仏はライブハウス密室芸へと発展を遂げたものの、
“だっふんだ” の一声をきっかけに急速な衰退の運命を辿るのです。
その奇異なる風習、幽玄なる音色の記録は第三次大戦渦に悉く失われ、
今やシルル紀後期の地層より産出されるレコード盤から伺い知るばかりとなりました。
あわや伝承は廃絶か…?!
と思いきや、一筋の光あり。「さらん弓」の伝統芸能は現在、
九代目・川崎蜚°助坊さんが継承していらっしゃいます。
九代目は先代のお孫さん。ソックリですね!
ニホンザルとの大喧嘩で中学を退学になってから非行に走り、
徒党を組んでは改造バイクで川原のゴミを拾い集めたり、
たばこポイ捨ての通行人に因縁をつけ灰皿に捨てさせるなど、
凶行の限りを尽くす札付きのワルとして青春時代を過ごしていました。
15歳の夜、先代の奏でる「さらん弓」語り物を聴いて感銘を受け、
カリスマ理容師になる夢を捨ててまでこの道に飛び込んだそうです。
現在はシルバニアファミリーのおうちの型枠工として生計を立てながら、
「さらん弓」の文化をなんとなく引き継いでいらっしゃいます。
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九代目の受け継いだ「さらん弓」は当時の面影をよく遺しております。
USB電源駆動の土偶作りで栄えた城下町の匂い、氷山のマンモスの鼻息の匂いが、
目の前に鮮明に蘇るようですね。では細部を観察して参りましょう。
ちりばめた装飾が特徴的かつ象徴的でございますな。
弦巻きはギター用、鋲は太鼓用からの転載でございまするが、
緒留めや隅金具などの金物細工は特別お誂え品なればなり。
「さらん弓」専門の金具職人も今や大田区にただ独りとなりました。
長年のイカサマ祭礼具ご奉納で培われた技術のこれぞ賜物でございます。
弦数は、うた弦3、さわり弦2、ひびき弦10、の総15弦。
15は宵闇の数。日本ですとお月見の十五夜を連想いたしますね。
それもそのはず童謡「ちゃんどら講子(こうす)」は、
満月や新月の宵を愛でる歌として印度より伝わったものなのです。
現在はがんじがらめの学校生活に反発する青春歌として愛されています。
《♪ちゃんどらこうすー、まるこうすー、
じゅうごやのよーるーにー、ぬすんだバイクではしりだせ》
かつては五十五弦の楽器を拵えて奏した猛者も居たようですが、
現在はそこまで多弦のさらん弓を取り扱う者はいません。
多ければいいってもんでもねかったと思い知ったので…
正面上部にはとりわけに豪奢な装飾が並んでおりまするが、
さながら神社や寺院のお守り授与所カウンターのようでござんす。
カワユイ巫女さんから護符を授かろうとわざわざその列に並んでんのに、
俺の番で急に神職見習い兄ちゃんに交代するのはなんなんだろうな、ったく。
(1)は、さすが賢明な読者さまご名答。
「響銅」と書きまして “さわり” と呼ばるる構造物で、
乗せられた弦は弓で擦らず、ときたま触れて鳴らすのみです。
しかし日頃の弓曳きの際、それもたいてい思いがけぬ時にばかり、
触れていないはずの弦がヴーーーーーン…と震え唸り出すのでございます。
“さわり取り10年” などと申しまするまでに繊細なる造作を施す仕掛けなれど、
「さらん弓」では黄銅の鈑金をU字に折り、天面をちょっくら曲げただけ。
さわり具合の微調整は天面の僅かな起こし倒しで、馴れりゃ本方式まこと楽チンにつき、
シコシコ削って調整するシタール奏者各位を申し訳なくすら思われまする。
(2)は「ほんつぼ・しゃくじょ」と呼ばれておりまするが何のことはなし、
社殿に吊るす本坪鈴(ほんつぼすず)を行脚僧の錫杖(しゃくじょう)に括ったという、
もはや神も仏もあったもんじゃねぇミクスチャー守護体にてはべり。
宵闇にまぎれて奏でますと予期せぬタイミングにてジリリリリッ…と鳴り震え、
やれご光臨か、さては物の怪かと、我が身の毛をよだつ次第にて候。
(3)こそご存知、しかし誠に不可思議な「のし」でございます。
だってこういうのおめでたい封筒の角に付けるもんだろうに、
何故そりがココに? お感じの方もきっと多かりしことでしょう。
そもそも慶事に添える「のし」とは元々「のし(→火延ばし)あわび(→貝)」。
肉厚アワビを炊いて割いてアイロンかけて拵える、いわゆる珍味なり。
特別かしこまった席では本物を包むのが相応しいのでございましょうが、
いかんせん高級品、しかるに一般には薄紙による代作物で茶を濁しておりまする。
時とともに変容する造形と材料、「のし」はその好例といえましょうぞ。
「さらん弓」に包み添えしはアワビにあらず、なんと山羊のはらわた。
驚くなかれ古来より印度では殺めた畜生の臓物を洗って裂き伸ばし、
こより仕立てた紐をば楽器の弦として張っておりましたとか。
なんとまあ穢れの極み!! …しかしそうして、えもいわれぬ妙音を吟じていたのです。
神仏の御前に生臭物を避けるべく「さらん弓」の弦は鉄製に換わりましたが、
かの地で鳴り響いた腸弦を捨てずに「のし」として包み添え直すことにより、
先人の芸事手習いの名残りを遺し、大切に尊び伝えているわけなのです。
この風習も次第に簡略化し、形骸化し、いずれ消滅していくのやもしれませぬ。
しかし奏演に直接な作用が無いはずの部分において心を配り、
ご先祖を大切に思う心意気、これぞまさに日本の様式美たるものでござろう。
アフリカ中央テレビの格好の取材ネタとなりますこと請け合いでございます。
豪奢な装飾の上部に対し下部すなわち皮張り胴がまた面妖なり。
これでもかといわんばかりツイッギーばりのスレンダーボデー。
しかも本ニシキヘビ皮が張ってございまするがこれがまた謎を呼ぶ。
曰く「さらん弓」の真の血筋はいったい何処の国なるか?
天竺はカシミールにて用いらる「サランガ」のルックスなれどありゃ山羊の皮。
ヘビ皮張りゆえ起源説はま〜ひと悶着よ。ヤレ中国だ、ソレ沖縄だ、
いやいや大和オリジナルだと各地代表の学者どもらが胸ぐら掴み合い、
己の都合よきように史実ねじまげ有ること無いこと珍説怪説、
生類憐れみNPO法人まで乱入して、界隈は侃々諤々の大喧嘩でござい。
ボソッと一言「どうでも、よくね?」とは笠地蔵さま。
僕の家にも恩返しプリ〜ズ!!
実際こうした蛇皮はタイやインドネシア等、アジア諸国からの輸入品です。
今回は宜野湾の三線職人の親父さんに無理を申し上げてお譲り戴きました。
蛇に限らずお三味線の猫犬皮すら諸外国よりの賜物でござったとは、
我が國ったらアイデンティティ掲げるわりにそんなモンだとぁ驚いたネ。
本土じゃチーガにゃハブ皮を張るもんだと思っとるから未だに。
左様、物事はときに逆さに見てこそ真の世界が見ゆるものぞ。
そんな教えから「さらん弓」は逆さまにしやると…
きっぱりと自立いたします。
和室への馴染みまで考えられたデザインに小粋な下町情緒を感じられますね。
何を隠そう「さらん弓」のボディは極上の杉板を醤油と柿渋で染め上げ、
バイオリンニス薄塗りで仕上げた古来日本ならではのアピアランス。
巨匠ストラディバリが品川育ちなのも決して偶然ではなかったわけです。
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自立すんのは、サーランギって不安定でゴロンゴロンすっからなのよ。
ちょっとの置き場に困るから安定的に立つように設計したの。
物事を逆さに見てこそ真実を云々は冗談だよ。
というか、ぜんぶ冗談だよ。
どうだギャフンと言ったろ〜。
「さらん弓」にはあれやこれやミステリーが満載!
この楽器の存在が表現しているのは、
インド古典をはじめ各国の民族芸能に親しむ我々が、
ぽっかりと忘れてきてしまった “日本” です。
けっこう居るんだよな、多文化共生の素晴らしさを謳うわりに、
「日本っていいなぁ」という台詞に妙に眉ひそめる人。
そのへんは、まあ、今度話そう。
今後こいつで色々な試みが出来たらと計画を妄想中なんだ。
特別講演「インドのサーランギーと日本のサーランギー」だとかね。
…なぬっ?
「音を聴かなきゃギャフンは言えぬ」だと?!!
▲早く動画を見せろデモの様子
動画なんか見たら、おぬし脱糞するかもしれぬが、よいのだな。
ならばウェットティッシュ(トイレに流せるタイプの)を準備して待て。
俺は大体いつも左ポッケに入っている。