前回のつづきにちょっと加筆したら長くなっちゃったんだけど、
切り離すことはできない内容なのでそのまま載っけました。一気に読んでくれ。
キーワードは《 客観 》vs《 主観 》です。
海洋生物好きの皆さんは民族楽器の特集などいつもザッと読みでも構いませんし、
インド音楽好きの皆さんは甲殻類の話題なんていつも流し読みのことと存じます。
しかし今回のコラムだけは両分野に関わるとても大事なお話になりますので、
関係ない興味ないとお考えにならず、お読みくださいますと幸いです。
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遺伝学を紹介する展示が日本科学未来館の5階にあるんだが、
ここが妙に音楽的アプローチを絡めていて、ちょっと印象的でした。
まずどういう関連を意図してか、このコーナーに流れるBGMが、
シタールによるアーラープ(拍子なしの自由独奏)みたいなインド音楽風。
怪しげで不思議な雰囲気作りとしてのことだけなんだろうけど。
隣の医療研究ブースの壁パネルでは遺伝子音楽、 (写真撮り忘れ)
塩基配列に音程を割り振って並べてなぞると音楽に聴こえるという電飾アクトを用い、
キミの体の設計図はキミだけのメロディーなんだね!という理解の深め方でDNAを紹介していた。
パパポポププポピパパプピポパポピポポパポポピプポポパパポピプププポ…
円周率をドレミに置き換える試みや、山に木琴を並べて玉を転がすCM、あれに似てる。
無意味な音の連続に、我々の脳はつい何らかの意味性や意図を見出そうとする。
では逆に、遺伝子のように設計的意味が込められているデータに音程を与えた場合、
カエルの子がカエルに産まれるように、音の配列から具体的なイメージを再構築することは可能か?
再構築を図るための音の配列には果たしてどのような性質や論理が内在しているのか?
…の解明を試みたのが、何をかくそうインド音楽におけるラーガの概念なんです。
ターバン巻いた仙人が大麻吸いながらボヤ〜ッと編み出した魔法に思われがちですが、
ラーガの概念自体はむしろ《 客観 》的な意図を持っていて、どちらかというと天文学者の切り口。
つまり「音波信号を耳に入れただけでなぜ我々の心はこうも彩られるのか」を、
ランダムな音の連続から宇宙の法則性を引き出し切り取ることで証明しようとして、
演奏したり、分類したり、膨大な実験を繰り返したけれど、未だによくわかっていない状態。
しかしながら目前に立ち現れる実体無きエナジーを、他に例えようなく仕方なく、神、と呼んでいる。
そりゃ、事前知識として「メジャーコード=楽しい」「マイナーコード=悲しい」、
「セブンス(第七音:ドレミでいうシを半音下げ)が入ると意味ありげに展開」などと教育されて、
音曲をそう捉えて理解してきたからそのように聴こえるだけだという見解は確かにある。
その点はラーガ音楽も一緒です、この音階とフレーズはシヴァ神に祈るインド伝統曲だとか云々、
まつわるエピソードを最初に教えてもらって曲のイメージを固めるからね。
ピースケおじさんの言いたいのはそういうことじゃないんだ。
ラーガ音楽の真骨頂は、自然の為す《 客観 》にあります。
すなわち、意図するイメージを目前に、より明確に立ち現すにあたっては、
ふさわしい季節・時間帯・天気などの自然条件にできるかぎり寄り添い、
演者はそこにひとすじの風を吹き込みイメージを膨らませる手伝いの程度でよく、
演者や楽器といった《 主観 》的人為は消え、
その場をイメージのみが包み込む状態を良しとする。
“このラーガを演ずると不思議な何かが起こる!”
というトンデモくせえ伝承は、己を無にし、神なるパワーの降臨を待つという、
自然の為す《 客観 》を大切に音楽行為をさせて戴く心構えに起因するものなんです。
お笑い芸人がおいしいハプニングショットを目を丸くして崇める “笑いの神が降りる” 状態に近い。
近代のインド音楽界はだいぶショービジネス化していて、それはそれで別に結構なんだが、
オレがオレがの《 主観 》パフォーマンスは本来のインド音響哲学が目指す境地ではありません。
山・海・空に向けて、ただ独り、歌い奏で、この全宇宙と対話する行為こそが本道だったんです。
…そればっかでも退屈で疲れちゃうんだけどね。
塩基配列に音階をあてがい、宇宙の不思議を解析しようと試みる思考術をラーガとするなら、
生物や現象のこれほどまでの多様性は、いわば宇宙の神々が歌ったフレーズの断片だ。
とすれば、人工的な生命操作の実験は新作ラーガを作ってみるのと一緒で、
神すら聴いたことのない素晴らしいコンサートが出来る夢とは裏腹に、
真摯な気持ちで取り組まないと奇形なイメージが産まれてしまう危険性を孕むわけだ。
【注意】グロテスクな表現が含まれています。
インド音楽の修行ではそういうのベシュラ(音痴)と言って細かくダメ出し喰らいますし、
お前ちょっと歌うまいからっていい気になって奇形な歌ばっかり産みやがってバカ者と、
腕前を鼻にかけた若造ミュージシャンを神様が諌める話も残ってんだよな。
俺がエビカニとサーランギをどうも区別して考えらんないってのはこれなんです。
インドの音響哲学思考を日本の自然科学が受容する日は、はて幾時ぞや。
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その上だから余計ハラハラしながら聴いてるんですよ、理研の小保方さん騒動。
ゴッドハンド藤村の再来になるぞって。あっちは教科書の訂正までいっちゃったしなあ。
スキャンダルに巻かれ、あることないこと書かれ、本当に気の毒にとは思う。
個人の事情と細胞のフシギ発見は別問題じゃないかとも思う。
だが学問の《 客観 》重視志向は、ときに関係者の人生を狂わせる冷酷な側面も秘めているのだ。
これは日本の学問全体における大事件です。おそらく掘れば掘るほど深い闇が見えてくる。
にわか論者だと思われると悔しいから申し上げておきますけど、
だってサーランピーではさんざん論じてきたじゃねえですか、立体作品にもでっちあげてさあ。
生物学や歴史学のような分野では厳格に、自然の為す《 客観 》現象のみが評価され、
嘘や捏造のような、報告者の《 主観 》的ねじ曲げ行為は永久追放の対象となる。
でも妄想が豊かな人は現実世界の検証作業だけだと窮屈に感じてしまうだろうし、
欲しいデータが得られないとか、ライバルに勝てないとかいった、
《 主観 》的事情に迫られて出来心が働く場面もあるんだろうよ。
そんな人はパラレル(もう一つの世界)観を持つことが有意義な逃避とヒントにはなるが、
これには自制心をもって空想界と現実界とを器用に交易し分けなければならない命題を伴うんだよ。
空想世界の構築の巧妙さとオトボケのバランスをうまく操れるならば、
関心と笑い、郷愁と憧れをもって、多くの人が受容してくれるキャンバスになり得るし、
そこを下手に、あるいは無自覚に越境しようとすると、現実界の警備兵に射殺されてしまう。
かく言う俺は日本の擦弦楽器的思考を再発掘するという真面目な視点から、
しかし小泉文夫ルポの踏襲はしない決意の象徴として「サーランギーの化石」を掘り当て、
過剰進化から滅びる運命に陥ったバカ郷土芸能としての「ドドバシキメラ」を紹介した次第。
あれは科学と文学、ウソとホントの隙間に対する、僕なりの解答です。
ノリツッコミ待ちの客イジリと言われたらそれまでなんだけど…
あの子、ムーミン女子なんだそうで、どこまでファンか分からないけど、余計やるせなく思う。
ムーミンは確固たるパラレルの谷の生き物だからこそ愛らしく切ないのです。
だって考えてごらんなさいな、国際生物学会大会あたりでトーベ・ヤンソン女史が、
「北欧に生息する新属哺乳類ムーミントロールの一種について」と真面目に発表しようものなら、
じつに興味深い、まず病院へ行かれては? と摘み出されるに決まっています。
ほんとにトトロいたんだもん… うそじゃないもん…
かと言って、ムーミンはカバじゃないのよ妖精なのよと遠い目をする淑女の前で、
広川太一郎の声で「そもそもムーミンは実在しないのである」と喝破するのもあんまり無愛想だろ。
スナフキンの名言集でほっこりしようと自由だけどそもそもあれ全部作り話だからね。
現代版ベートーベン実は聴こえた事件の顛末がドリフ大爆笑で済む道筋があるのは、
あれが商業音楽という、人為的にどうにでもなる現実世界の産物だからです。
小保方さん事件の場合、誰がどう考え何をしたか実際のところホントに惹起すんのか以前に、
真実のみの追随で自らをギスギスドロドロさせてきた科学界の《 客観 》崇拝の舞台上に、
どういう了見ででっちあげたんか知れないパラレル論文をブチ込み、結果として無様に暴かれ、
科学のプライドに大赤面を味わわせる事態を引き起こしたという、問題はこの点に尽きます。
袋だたきの末の一発大逆転で全世界を見返してほしいとは願うけれども… さて決着はどうなるか。
もうひとつ。これを今のタイミングで言うのは誠に卑怯ですが、
STAP細胞を発見♪ リケジョの星♪ そして歴史的会見♪ の流れを拝見する中で、
実験の真偽は別として、また羨望や嫉妬のようなつまらない感情では決してなく、
私が持った極めて正直な感想は「本当にこの女子ひとりの手柄か」というものでした。
むろん押し上げた裏方はいるだろうが、ここで言いたいのはもっと込み入った憶測… つまり…
うちのカワイ子ちゃんに華を持たせてやろうという裏方の愛情がだいぶ介入しちゃいまいか?
そんな下世話な疑念をどうしても消せず、世紀の大発見を僕はどうも両手で喜べませんでした次第。
だからせめて第三者の《 客観 》的な追試で証明されるまではお祝い記事を控えていました。
実状はどうだったんだろうか。
というのも、私の経験から回想するに、純粋科学を切り拓く人たちというのは得てして、
対人関係、なかでも他者に自分をよりよく見せるという点で想像以上に不器用です。
去るポスドクくん然り、偏見的な色眼鏡をむしろ掛けて臨まないとこっちが驚かされる場面がある。
そして筋金入りのサイエンス女子というのもまた、( 俺わりとタイプだから言うんだけど )、
何というかこの、特定の事柄となると体裁を気にせずズンズン突き進むがどこか無頓着、
なんでそんなトコ急に恥ずかしがったり? というような、独特の観点や雰囲気を持っています。
具体例は謹んで申し上げないでおきますけど…
小保方さん活躍の報道の様子、とりわけラボの佇まいを拝見するにつけ、
いかにもアタシ垢抜けてないでしょアピールの羅列が妙〜に綺麗な説得性を保ち、
隙が見当たらないあたりに、僕は却って不自然に取り繕った《 主観 》をみたのです。
本当に独自な蓄積をしてきた人間の外観やオーラとは少し異なると感じていました。
そういうのわかる奴にはわかるわよ〜?!
ただ確実に言えるのは、こういった残念ないざこざで、
万能細胞のカンタン惹起性という発想の火を消しちゃ勿体ないということ。
思いがけない身近なヒントから良い方法が導き出せるかもしれないし、
人類のためという素直な志あればどこの国の誰が手がけて発見してもよい。
この意味においても科学は、自然の為す《 客観 》のみを重視し、
《 主観 》的人為に左右されてはならないわけです、本来はな。
業界のドロドロから遠く離れた現場のどなたかがヒョコッと見つけて、
「ノーベル賞なんか要らないよ」なんて言ってのけたらかっこいいものだけどね。
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俺は今後もドドバシキメラみたいな未知なる伝統芸能をジャカスカ発掘して、
よいこのみんなを思いっクソ困らせてやるまいかと目論んでいます。
だってお互い分かりきった上での捏造遊びだし、自在にやれる立場を選んできたんだから。
《 客観 》のみが評価される土俵だったらこうは参りませんよな。
でも自分で作った楽器を「過酷な現地調査で手に入れた貴重品」などとウソぶきたくはないし、
インド古典音楽の超科学的神秘をお客の目前で表出して驚かせたいが為に、
会場にこっそり泣き女や発火装置を忍ばせるような不正トリックは絶対やりたくないんです。
まして穿孔コツブムシを食い物でつって無理に穴に入れたりとかは一切やってませんよ。
そういう線引きを持てるかどうかが、手品師か詐欺師かの分かれ目だと自戒しております。
ああ、そのことでもうひとつ追記。
今回の小保方騒動は、他者の作成したWebサイトの記事、画像、論旨といった、
正式な学術資料とはみなされない報文でも、引用・参考リストに入れずに論文執筆に用いれば、
結局はパクリとして叩かれることになるというよい事例を提示してくれました。
Webが正式でないというのは、いくら素晴らしい報告文を掲げたところで、
“ほぉむぺぇじ” 上なんかじゃ科学者の学位的実績とは認められないよという意味で、
だからといってネット上の情報を自分の手柄にポイポイ転用してよいわけではありません。
今回のような騒動が出てくる限り、教育機関各位も性善説に陥らず、
学生のうちからガッチリと倫理を指導していく必要に迫られているってことだわな。
しかし指導教官の側、よもや科学界全体が既に腐っていた場合は…
「コピペしたことがない者がまず石を投げなさい」と仰ったのはイエス様だっけ?
ついてはこのブログの記事をパクり、多摩川コツブムシの報告をピースケから横取りして、
先に権威誌や情報誌に報告してあのクソだぬき潰してやる!なんて企んでる人がもし居るなら、
後々恥ずかしい思いをするだけだからお控え戴いた方が身のためですよ〜。
ブログに出すということはだいたい先行きの目星がついているってことだからね。
「こつぶ荘」なんてのはコツブムシと対話するようにヤツらの行動をお伺いし、
コツブムシを通して海の神の歌うラーガを切り取ろうとした産物であって、
僕が為した技なんてほんの僅か。カマボコ板に穴あけて、後は虫の思し召し。
論文が全てだ他人を蹴落としてアカデミーに生き残れだのとちっぽけな了見ぬかす現場の人間が、
そんな発想に思い至りッコねえんだよ。悔しかったら追試してみれ追試〜。
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みんなで楽しく好きな分野を盛り上げればそれでいいじゃないかとは思うんだが、
渦巻くプライドに呑まれて突き落とされるという、実際問題としてキツい教訓になったな今回のは。
全ては《 客観 》と《 主観 》のさじ加減か。面倒くさいものだ。
執筆にあたり長時間座ってたからおケツが痛いです。
《 客観 》的に申し上げて、ボラギノール塗りたいんだけどいい?