◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題を中心に、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者や変態ケモナーとしても知られる異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
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🐇🐇🐇近業掬イ 2023/01/01〜01/18🐇𓆝🐇




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【1/18】‘キモい’ は無学のキャパオーバー、の話

さんざんぱらカッ繰り拡げといて何をか謂わむや、
べつに俺、性的な話題ばかりを好むわけじゃないですよ。
含蓄や造詣や理知や機知を伴わない下ネタの強要をと申すべきか。
日常で下品に振られても面倒なだけです。

しかしだ、大胆に表現すべき場面で…自分はそういうのチョット…とモジモジ恥じらってみせ、
情熱をキッパリ開示できない自尊心というのもまた精神のインポテンツとは思わないかね?

徒に掻き立てるふしだらな氾濫は目に余ることだが、さりとて闇雲な遮断もヒステリック。
だからこそ己にまだまだ当該分野の不勉強、秘められし愛や美の謎めきを模索してやまぬ次第。
当ブログで展開した表現論はなべてこの意志に根ざすものと自負しております。


限らず概するに、私の人生の大仕事は 《構造と本質を見抜く》 作業 に在るかと存ずる。
物事にどんな魅力や課題が内在しているかを考える、いわば智の宝探し。
この視軸さえ持っておれば、音響造形であれ動植物であれ、ときに性表現であれ、
ジャンルの八艘飛びを厭わないのです。必要ならどんな事柄も摂り込んで考えるようにしてる。
サーランギーの器楽と、スナホリムシの命題と、ウサギ男のプリケツは、至って同列なのだ。


このニュアンスに疎い、思考の受け皿に乏しく自己というものの薄弱が過ぎる者ほど、
新たな概念が目前に現れるや、認めざるを得ない実際と認めたくない心理の間に説明し難い断層が生じ、
果てに「生理的にキモい」云々、せめて拒絶や無視を自己中心的に決め込んでみせるくらいしか、
なけなしのプライドをどうにも支えておけないのだ。顔グギグギしかめる人の多いこと。
ネガティブはなぜ自分の心に刺さるのか?を考え栄養に転用しまいかなどとはよもや考え至らないだろう。

ピースケ氏は高尚なるインド音楽をやめて低俗になった云々と嘲笑う者どもの安直さ浅はかさよ。
こちとら幼稚園児にして「生命とは?芸術とは?」を一貫して問うてきとんのぞ、
既成知識や既存分野を取ってつけたようなおめェら凡愚とは年季も意味も違うのんじゃい。



同様に、性とあらば吐き気だの弱者だの、蛇蝎の頭の如きごなしに忌み嫌う方々がおいでです。

ではその大層お上品な紳士淑女のうち、いったい何故ソコを目に入るなり忌み嫌うのか?べきなのか?
自問を投げかけズバリ答え得る人が果たしてどれだけおいででしょうか。
常識、自制、マナー、法律、そんな社会の為ごかしは二次的二度漬け理由付けにすぎない。

敢えてこうお答えしよう。 無教養の正当化 です。

性イコール自分に牙を剥いた不純な誘い→おぞましき! と直結に勘違う思い上がりがあるのよ。
ヒトの繁殖生態は相当の割合で視覚に頼っているゆえ往々のすれ違い食い違いは致し方ないとして、
妙に取り乱し閉ざさねば耐えられぬ社会道徳然とした拒絶はなにか。
なんのことはない、せいぜい脆弱個体による概念不整合の喘ぎに他ならない。

…ああ、まったく酷い物言いに、存分に吐き気の物議を醸すがよろしい。
その血みどろの吐瀉のうちに生命の本質を見い出せるか、やはり臭きに蓋して閉ざしてしまうかだ。


他方、子連れヤンキー夫婦のサンダルでアルファードでイオン寄る幸せの風景とはなにか。
不整合の正当化でなく ‘受容’ によって、軽々かつ立派に本懐命題をクリアしてるんだよ。いわく、
「ゴムねーけどいっか〜ってヤッちったらデキちったんで、結婚すんべ!って、そのままっスね〜」。

照れ笑う旦那を前に、やれ羞恥やら嫌悪やら権利やらと振りかざす取り繕いが如何に野暮で矮小か。
むしろ生命力溢れる素晴らしい国家貢献と俺は思うよ。勉強しゃらくせえぜ。



つまり、いいかい、

生命の歓喜を、人権ぶってテメェの貞操ひとつに代表させようとするな。
宵闇のサバンナ、ブチハイエナたちの歌声に原初の音楽を想いながら、
そのメスの陰核における不可解極まる構造と機能について驚かんとする論壇で、
テメェの朝まで安心横もれガードなんぞに気ィ遣っとる暇はないのである!

 
(言われてようやく、えっなになに、ブチハイ…エ…ナ…? とwikiに頼るようでは遅いのよ… ) 


お忘れと存じますから念のため申し上げますが、そうまで性を忌み嫌うあんたをして、
ご両親の安っぽいまぐわいの果てに半ば博打みたいにして産まれてきたのです。
聖なるコウノトリに運ばれてきた顔を自称して、あろうことかパパの玉袋に優しく包まれていたとは。
あらいやだ。そんな穢れた堂々出自こそいかにも淫らな公然猥褻ハラスメントではありませんか?
その臆面の無さこそが最低最悪のポルノ陳列とお気付きになりませんか?

生きていてよく恥ずかしくないものですね!

 ・
 ・
 ・
 ・

…なあに、詭弁、詭弁。
‘臆面なき出自’ 、或いはこれぞ生きるというしたたかな連綿の本質やもしらむ。
ひいては、生命とはなにか、宇宙とはなにか、そう根問いしていくところに大きな意味がある。
(((ハァ?! なにコイツっ!! 言ってくれるなッ!! 激しく嫌悪ッ!! 言い返したいっ!! 二度と近寄りたくないッ!! )))
と、画面の向こう側より私宛てにわんさと聞こえ届き来る、
そのちっぽけな自己愛忿怒を皆さんはどんなふうに哲学世界へ昇華しますか。


\一歩、踏み出そう! 二歩、三歩、/





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(((バッグスバニー補足)))

健全な子ども向けコンテンツをいやらしい目で… と眉ひェそミニストは、くたばれ。

性表現文化の変遷考察とテメェの貞操は全く別次元の話であるのに、
両者を一緒くたに考えてしまうから余分に恥じらったり毛嫌ったりするのです。
やれ、ゾーニング? 場にそぐわない云々でなく、個々人の場の狭さ、智能の足りなさ、
すなわちテメェらの智力の足りなさ、議論の出来なさなのです。

この、おたんちんの、おおばかものやろうッコめらどもめが。



でしたらワーナー謹製、じつに1950年作「Hillbilly Hare」の頭出し済み映像をご覧あれ。
この作品がいちばん取っ付き&解りやすいと思うんで。

性的もへったくれも、これ↑よもん。
このケバいウサギ娘は女装したバッグスバニーだからね。
今回の追ッ手である河野大臣フェイスの兄弟を、この変装とスクエアダンスで手玉に取る。

解説を要する、スクエアダンスというのは、
 
順序を即興に連呼される独特の “コール” に従ってステップを踏む、結構難しいダンスなんだそうです。

ダンス大会の練習を可愛いウサ子ちゃんに誘われてウっキウキ付き合うW河野さん、
化けの皮を剥いだバッグス野郎に気付かずリズムにほだされブンチャカ乗っかったまま、
ハイ飛び込んで~♪殴り合って~♪飛び降りて~♪ の自滅コールにそっくり従ってしまう。

概ねこのように己の女性性を駆使して男をたらし込むのがバッグス作品の定番であり名物なのだから。
ドラァグな両性的気質で煙に巻き微笑ましく茶化す作風に、いちいち目くじら立てるんじゃないの。
古典から近作までご覧戴くと解りますよ。相変わらず女装してるもんな、あいつ。


感心するのはアニメーションの異様な滑らかさ、生々しさです。
3人で踊り出すカットの様相には近年のCGがとんと疎い ‘重力’ を感じさせる。
おそらくコマ打ちをスタディ(生身の人間の動作をフィルムに撮って分割し作画の参考に)してるね。

とりわけバッグスのまずなんですかこの格好は。
スカート履いたら前述の白ふんどしが尚のことパンチラに見えるし、

足踏みしながらポイッポイッとストリップしていくお尻の、まあ愛らしいこと。

ジュークボックスの伴奏と自身のすり替わりとに間髪を入れないよう、
ィドルを掻ッ弾°きながら電源コードを蹴り抜く動作の妙も秀逸だ。
コード抜く効果音ガパンッ!!の臨場感よ。この瞬間をもって突如、男性に戻る。

…というか、フィドルも弾けるんか。楽器なんでも弾けてケモノ女装すんのか。他人事と思えねえな。

 

で、この顔。ケツにニンジン突っ込んでやりたくなりますね。2本突っ込んでやりたくなりますね。



ついでにもう1作… 鼻持ちならなかったバッグスをいっぺんに好きになっちった、
当人の生い立ちを綴る回想録。この回は「ぶっちぎりステージ」放送時を鮮明に憶えている。

人間社会に産まれ才気に溢れてショービジネス界に入るも前座にくすぶり不遇に鬱々、
運良く売れっ子に拾われてボケ担当、冷や汗ながら放ったアドリブが何故かウケて持ちギャグになった話。
バッグスをして最初から順風満帆の大活躍というわけではなかったのだ。
現実のアニメ史における登場経歴とは異なるが、こまけえこたあ。

ワ社に限らず米国漫画の非常に粋であるのは、キャラクターを空想上の人物としてだけでなく、
一人格ある演者と捉え、現実に存在するかのような ‘メタ設定 ’ を遊んでやまないイタズラ心だ。
このことで親しみが一層膨らむものね、俺は敢えてよく ‘ 劇中劇中劇 ’ と呼んでるんだけど、
宿敵同士←普段は演者仲間←の設定で演じる←設定の映像劇作←といった多重構造、になる。
こうした世界観を先駆かつ徹底、縦横無尽にいじくり倒したのが後の長編「ロジャーラビット」なわけ。


にも増してこの回のスマートなのはオチだわな、感激したもん小学生ん時。
古くは ‘天丼’ 、近年で云う ‘こする’ 手法は、ここぞ!!の瞬間を逃がして幾度も重ねれば野暮になる。
そこへきてラスト、…今日は特別な収録なのさ!ジャジャ~ン!… からの結局それかいッ。
観る者の脱力とツッコミを華麗にスルー、そそくさと終幕してのける臆面なき頓珍ぶり。上手い。

きっとこの脚本自体このボケをやりたくて書いたんじゃねーかな、っはっは、この話おわり。





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             \ギャーーーース!!!/

卯年の到来とあって調子ぶっちぎりまくっておいでのウサギどもめら。
マルチ商法詐欺がバレてバンコクへ高飛びしたのではなかったのか?


昨年までの当ブログは低俗極まる話題ばかり、しまいには夜更けの獣装趣味を披露などと、
勤勉な読者様方をこれでもかと愚弄し総スカンの限りをむさぼり尽くして参りました。
インド音楽にストイックで無垢童貞なピースケ君でいてほしいのにッ!もう読みたくないッ!

猛省して心機一転、本年からは性根を入れ替えて楽器造形研究のみに身を捧げ、
破廉恥な変態フェチエロ話などは一切、金ッ輪ッ際、振らないことをドドド滝行のもとに誓って、
今後はお子様も安心して召し上がれる「おいしくてつよくなるサーランピー」を目指します。
なにとぞ宜しくお付き合いくださいませ。

さっそく厳かに初春1発目。今年の干支にちなんで、ウサギさんのお話でもしましょっか。
ウサギっていうのはインドや仏教にも大変ゆかりが深い動物なんですよ。

おお、そうだ、せっかくですからどうでしょう晴れ着の皆さん、
次のウサギさんの話のタイトルを私と一緒に唱和しませんか。
新たな年を祝い、富士山に向かって大声で… せーの!

  ↓


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【2023/1/1】
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> バッグスバニー先生となら喜んでふんどしケモカマセックス <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

HAHAHA残念だったな。少しも間違っていないし間違っていると思ってすらいない。
性自認と性指向ならびに芸術表現における “ウサギ” の真面目な話題です。


氷川きよしも遂にきーちゃんへ限界突破したことだし、
俺も人前でこんな格好を披露した手前、誤解なきよう断っておきたいのですが、

昨年の異装だけで人様をカマだのホモだのと短絡しないこと。ケモです。ケモナー
仏門を志すも生類を憐れみ過ぎて眷属に魅入られてしまった造形破戒僧こと頓珍欲ッ求さんですよ。


まずなにより昔っから可愛いのが大好きなの。エロ可愛いとなお良いの。
もちろん可愛い女性を素敵に思うけど、同じように可愛い動物が好き。
可愛い動物の可愛いメスが好き。=だからエロ可愛い動物人間のメスをとても好きです。

   ↓

しかし類人猿とくにヒトHomo sapiens の造形はまるくそ好きじゃねいのよ。
だってマズルの短い頭蓋骨からして既にブスだもんね。ブス!
ほんとマダガスカルキツネザルの系統から進化したかったものだ。

   ↓

次に雌雄の問題、「ケモナーはゲイが多い」との議論・揶揄・実際について。
ストライク範囲の雑多さ複雑さの内包の意味合いであれば言い得てるかもしらんけど、
あまり断言的・忌避的だと、いーや言い切れないだろと疑問を覚える。
男が好きッ男しか愛せないのッって心情は、個人的には皆無ですね。

   ↓

踏まえて自身に照らし、ならば肉体がケモノならホモやカマと抱き合えるか?と想像するに、
ガチムチケモホモはちょっと勘弁だけど、ふわふわセクシー女装獣さんなら俄然オーライだ。

   ↓

ヒトもまた動物なのだから並列にヒトのホモやカマと付き合えるんじゃないのか?と己に問えば、
ガチムチヒトホモはなお勘弁だけど、見紛うほど美人さんなら相性次第で案外オーケーかな。
デーズニランドのひとつでもズッパディーしてみたいものですね。


   ||

ってことは俺の場合、種の自認はケモノ・性自認はオス・自他共に女性性を好み・
しかし相手の生物学的帰属を問わない、
ってことになるか。
肉体がどうかよりも存在として内面に寄り添えるかどうかを重視するが、重視しすぎが嵩じて、
リアル動物相手でも愛らしく意思疎通でき合意あれば親密になっていい!とさえ思うもんね。

他方、男臭マッチョ遠慮傾向については該当メン各位にまこと申し訳なく、
合わせる兜も顔もございません。男性と関係に及んだことはまだ一度も無いなあ。
女性とは…相応に。きっぱり振られたりこちらが突き放したり、色々ありました。
こども動物園のふれあいヒツジの特定のメスに会いに行くのを怒る子もあるわけよ。

飲みの席でそんな話に及び、同席の女性から笑って叱られたことがありましたっけ。

 「え~なんなん? 人間の顔が嫌いで? 顔だけ可愛い動物だったら嬉しくて?
  体がメスっぽければちんこあってもなくても関係ないってこと?
  じゃあめっちゃ女好きで面喰いで超バイなんじゃん!! 呆れた~!! 」。

ぐぬー、そう言われちゃうと… あくまで理想上・想像上の好みの話よ。
獣人など現実に存在しないわけで、仮にそんな存在と付き合ったとして、
相手さまのご立派サマをどう扱ったもんやら悩んじゃいそうだし。

こういう話題を嗤ったりそらしたり眉をひそめたりなさるだろうけれど、
皆さんだって多少あれクロスオーバーな領域を秘めているのではないかな、表出できないだけで。
やれ、健全男女は成人まで一切我慢! 結婚してから突撃一番! 産めよ増やせよ進め一億火の玉だ!
なければならない!あってはならない!…の社会風潮をよっぽど鬱屈と偏執的に感じます。



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でだ、こっからがウサギの話。

そういった ‘架空の動物人間’ なんぞに胸キュンしがちな歪曲性癖が、
果たして私の場合いつ頃のナニを原点としたものなのか?
えてして指向は幼少期の経験が発端と伝え聞きますが、
シルバニアファミリー人形で遊んだぐらいじゃこうはこじれないと思うのです。

時々振り返って考えるたび、うーんどうにも行き着くやっぱりアイツの影響か?と、
悔し恥ずかしちょっぴしシンパシ覚えることになった存在が、確かに1人居る。
嗚呼、君の綽々とした伏し目流し目、ふわふわほっぺ、キュッとすくめた肩、
細身ながら逞しい胸板、スラリとしなやかな腰つき、 プンっと突き上げたケツ! 


告白します。それは忘れもしない小学… 何年生だか忘れたが、
毎週水曜夕方12チャンネルの逢引き、愛しき君は誰あろう、
「~ぶっちぎりステージ」でドタバタ大活躍したワーナー兄弟社の稼ぎ頭、

バッグス・バニー セクシー!
百戦錬磨のバッグス先生となら男同士でも構わない… 抱きたい… 抱かれたい…
二つ返事でネンゴロご相伴にあずかりたいぐらいですニャン。

っはっは、先方様にも選ぶ権利というものがある。もう後期高齢者だし、奥歯が金歯だし。

色気があるのよ、このウサギ男は。憎さ余って可愛さ百倍、己の才気に自信ありあり、
僕は大スターなのさ!…の内に女っぽい所作というか性的なナンカをヌルヌル秘めてるの。
この感じを解る人、決して俺だけじゃないと思うんだがなあ。

初めはクソ嫌いだった。余裕こきアメ公紳士野郎な風体(=stinker)が腹立たしくて。
鳥1羽を相手に兵器を取り寄せて頑張る健気なワイリーコヨーテの方がずっと好感が持てた。
しかし番組を毎週観るうち、このウサギの存在感に私は知らず知らず官能を覚え、
一挙手一投足を目で追いビデオを一時停止 [ | | ] するまでになってしまってました。
ひょっとして恋だったのかしら?


そのうえヤツが凄いのは、キッズにはちょっと説明しづらい艶の芸当を厭わないところだ。

んちゅッ♪と男キッス上等、ムンムンあでやかな女装で宿敵を色仕掛けにおちょくる。
ギャグやパロディを越えた …あんたそれ趣味でやってるだろ… とわかる本格クオリティ。

改めて原典をあたりながら「ぶっちぎりステージ」放送当時を思い返すに、
あまり際どい作品はカットや回ごと見送り扱いにされていたのではないかな?
それでもこのウサギのヌルヌルした艶かしさは所作のあちこちから充分に伝わってきました。
敏腕アニメーター陣の徹底的な悪ふざけ モーション研究の賜物だ、ほんと。


明石家お笑い怪獣をしてその生き様に惚れたワイリーの存在感しかり、
私にとってはこのバッグスという飄々ヌルヌルしたマスコットの提示があったから、
幼少をして性領域のクロスオーバーに寛容な視点を惹起させられた気がするし、
‘教育’ や ‘常識’ と人間否定をねじ込む社会の異様さに疑問を持って生きてこられたと思う。

時を経て近代、このウサギが性の多様性の議論にたびたび登壇とあってヘッドバンギン納得。
愛しのローラちゃんがありながら野郎どもをキス魔オカマ芸でウッフン煙に巻く名演には、
やっぱ両性愛傾向?もはや全性愛? あくまで仕事? と本場米国でも意見が割れるそう。
‘バニー’ という偶像の段階で既にエッチな含みを持っているとか、
欠かさず咥えるニンジンが男根の暗喩だとか少々考えすぎな解釈を読んだこともあったな。


ま、ポーキーピッグやエルマーファッドみたいなんをぞっこんアクメ迎えちゃう人は、よしなに。
そんな人もあるでしょ、俺はないわあ。セサミのアーニーとバートの同居もソッチだった?って噂。



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加えてもうひとつ、画期的な新視点と仮説を述べておこう。バッグスが魅惑的であるのは、
女装のみならず “普段着” に秘密が隠されているのである。
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 ・ …普段着? あいつ毛皮に白手袋だけで、ふだん服なんか着てないのでは?
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フフフどうかな。この議論には服飾デザイン、ボディスーツ史から紐解かねばなりません。


被服における股から腰への刳り込み領域は、時代によって様々な意匠が試みられてきましたね。
例えばブルーマーは黎明期の鳶ズボン型から裾丈をみるみる詰めて提灯型のちパンティ型へ変遷、
羞恥の悲鳴が渋々に認知されるまで、女学生へ強制的にあてがわれてきた。


▲社会問題化し全国的不採用の憂き目に遭ったハイカットブルマーと当時の学生。
 まぶたの裏に蘇るは眩しき昭和平成の運動会…

興味深いのは、いかに変遷とはいえ時代を先取り過ぎるとお笑いになってしまうこと。
売り出し中アイドルの写真集の宣伝に滑稽なハイレグ衣装をたびたび見かけますでしょ?
あれにはピンクサターン、バブル期にデビューした垢抜けない三人組の処遇を想い出します。
これからはTフロントの時代だ!と事務所の人も意気込んでらしたのに。

ちょうど対照的な機能であるのは、とにかく明るい安村さん。聞くところによるとあの一張羅は、
女性用ビキニのボトムを前後逆に履いておいでなんですってね、とにかくギリギリ見せない工夫だなあ。

そうした流れで最近「童貞を殺すセーター」やら「逆バニー」なる頓珍漢な装いの登場を知り、
こんなんもうギャグだろ~とひとしきり笑って、ギャグ…… バニー…… ハッと気がついたわけです。
古典メリケンギャグの騎手バッグス先生もよもやこの系譜上に在ったのであるか!


つまりバッグスバニーというのは、一見、腹側だけ白く丸く括った毛色のようでいて、じつは違う。
ほんとうはせいぜい灰色ビロード調で一様に覆われているのみなのだ。

これこそが氏本来の全裸の姿であって、ほう…これはこれで…とのご意見もあるかもしれないが、

そこに白いハーフタートル・ハーフフロント・オープンバック・ボディスーツ?というか、
首までロング六尺越中ファーふんどし?のような、なんちゅうか…ぺろんと1枚布の前掛けを、

まず股にくぐらせ、尻に引っ張り込んで尾骨の上んとこで紐を結び掛け、
今度は引っ張り上げて首の後ろで結び、位置を決めたら再度ケツ周りを整え、

終わりの毛足を尻尾の毛にたくし上げ、漉き込んで処理する。

こうして腹側を白く装っているだけではないのか?と推察されるのです。

 どったのォ?

エロっ。間違いない(長井) 。隠すトコ隠し、胸板の張りが強調されて、
鼠蹊部やケツ周りが一層ラヴリーなチャームポイントになる。
実はこれ、日本に古来から実在した胸まで覆うスタイルの下着。
千と千尋湯屋の女達の腹掛や、びんぼっちゃまくんの節約スーツと似た構造やね。


さあ、生物学会の界隈を震撼させるこの新仮説を踏まえながら、
改めて当該クラッシック作品をご覧なさいまし。

ほらね、もはや皆様の目にも変態ふんどしバニーにしか映らなくなっているはず。
燕尾服を羽織った日にゃTHEふぐり状態を呈してしまい目の遣り場に困る。

じつにこの事がバッグスの体つきのエロさに拍車をかけていませんでしょうか?


…はっはっは、大嘘ですから真に受けないでくださいね。
ルーニーテューンズの獣キャラは概ねこの配色だし。

しかしこうもけしからん装いでぶっちぎりステージを毎週ぶっちぎっていたのであるから、
モナー小学生の目には有毒だったし、中毒のまま中年に至った人生も致し方ねいじゃねいか。
そこだけ理解して戴けるなら今日の話は御の字。おちぶれてすまん(貧)!

従って皆様も如何にテメェ様の目ン玉様が節穴様であったか、これを機会に五体投地で猛省し、
おせちの黒豆の煮豆の黒い甘い甘煮汁をチルンチルン甘舐め尽くすがよろしいのである。


なおバッグスのような長身細身な体格のウサギはアメリカの荒野に実在します。
ジャックラビットと呼ばれる属で、ご検索あれ。手足もさることながら耳がひときわ長大で、
学校の飼いウサギとかペット店の大福餅みてえなドワーフちゃんを可愛い人には、怖いと思う。
あんなん跋扈しとったらキャラ化すらあ。で当然いずれ性的な目で見らあ。

ランジェリー選びについては直接巣穴に伺ってみてください。




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さておき、新年明けましてそういった事由にてございますよってに、
甘さ控えめ伊達巻を戴きつつ名作「ロジャー・ラビット」を観返す正月を過ごしています。

ああ、幾度観ても楽しいし飽きない。35年前をしてこの出来栄えは素晴らしいね。
やっぱ手書きセル画の登場人物たちからは不思議と重力(物理的な)を知覚する。
近代のCG丸出し映像ってなんぼ巨大怪獣ズンガズンガ暴れたところでハリボテにしか見えんのよ。


アニメ嫌いな実写のとっつぁんがうんざり飛び込むアニメ街の大合唱シーンには未だに涙腺が緩む。

うーん、想像する力を小馬鹿にしない感性、想像世界を現実のように大切に捉える感性、
そして想像を現実に起こす為の技術を磨く感性が無いとこういう夢のような作品は創れないのだ。
お色気ギャグが満載なので健全キッズには少々早過ぎるかもしれません。



以上、ウサギの話これでおわり。That's all folks.

次回こそは本当にサーランギーの話を、イ”ー…どうしたもんだろ。








    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。