==================================
【09/26】牧羊サスペンス劇場『LAMB』日本公開!レビュー と最近作ってるもの
/ さいご、おとうさんひつじが、てっぽうバーンって、うっちゃうもーん♪ \
ネタバレもヘッタクレも、日本公開が遅くて待ってました話題の映画『LAMB』観る。
チッタデッラのチネチッタにチッチョリーナちゃん同伴で行きました。
========================================
【うらすじ】
ムフーッ、ムフーッ。すさぶ吹雪に耐え、白き荒野に生きる孤高のヒツジ男。彷徨の果てに或る羊舎へ辿り着き、出逢った雌羊にひとつの命を宿す。暖かな頃合いに迎え、我が腕に抱いて大切に育てようぞ。ところがいやらしい農家夫婦め、産まれた我が子を取り上げるや自分達の慰み者にしようと企み、赤ちゃんを返してと必死に懇願する我が妻を撃ち殺しやがった。…おのれ百姓! いまこそ復讐の時だ! 行けヒツジ男! 愛しい我が子を取り戻せ!
========================================
…この↑裏スジをひた隠して最後の最後にチラ明かし、ろくすっぽ解明せんまま委ねる終幕により、鑑賞者の心にどんよりと喪失感を植え付ける、スリラー作品と宣伝は仰るが実像は北欧ホームドラマにして超常ミステリー民話。序盤に桃太郎・中盤かぐやひめ・終盤ごんぎつね・骨子おおかみこどものオテサーネク・次回!! 猫目小僧!! といった構造か。同じ主題で椎名誠や松本人志が書いたらまた違った作風に撮れたかも。
説明過多をとことん避けた方針は肥えた論客の評点に引っ掛かかろうが、や、こういうのは深掘りせんでいいのさよ、ポッカリと謎を謎のままに。唐突な幕切れひとつとっても、この手の作品にありがちな ‘遠く霧に消えゆく切ないフェードアウト’ みたいなベタ演出さえ、きっと監督にはまだるっこしいんだろう。
ともあれ花冠かぶった子羊ちゃんの愛くるしさたるものが一層に認められたようで喜ばしい限り。セーターやオーバーオール着せて一緒に部屋暮らしなんて夢の生活。観客は動物園や牧場の子羊に駆け寄り「アダちゃ~ん」と顔をほころばせること必至だ。
必要最低限の見せ方の中にもヒューッ上手い演出だわ~!と感心したのは、
こひつじ怪人ッ子の ‘右手だけは蹄のまま’ の意図。
きっとどこかで回収するはずだと注視していたら、なるほど、
二人の父親が親権を争うクライマックスにあった。我が子を引っ張り合う両者、引っ張られる子供当人、果たして羊として?人間として? どちらの生活が本当の幸せ? 概念と肉体をないまぜて観客を頓珍漢に陥れるこの構図を、異形な両手と三者の立ち位置だけでよくよく表現していたのだな。
他所の異人さん(?!) はおそらく農夫の敷地に幾度も侵入して取り戻す機会を伺っていたと思われます。人見知りだけど疑わない無垢な子羊はとうとう異人さんに連れられて行っちゃった。が、繋ぐ手と手はじつに人間の親子らしいそれであり、とりわけ子の小さな掌を包む父の手にはどこか温もりさえ感じさせた。無理やり連れ去るつもりなら腕を掴み上げるはずですから。
他方、愛情深く育ててくれた髭パパが血まみれの片腕で引き止めようとしたのが、なんと切ないことに右手=羊の前脚の側だった。お散歩のようにしっかり手を握ってやれず、必死で袖を掴んだものの、引っ張られて振りほどかれちゃったよな。あれはここへきて、…諦めろ、この子は羊だ、お前たちの子ではない、勘違いするな、任せておけぬ… の意趣返しを喰らった暗示。ささやかな幸せと純愛の絆をこうも厳しく引き裂く結末があるかよ。あそこは一発でグッとくる象徴的な場面だった。
・
・
・
・
帰宅後、直近の牧場写真を整理しながら今しがた観てきた映画を再び振り返る。
やっぱり鑑賞者が羊をどれだけ身近な視点で受け留められるかが理解の深浅を左右するポイントとみた。羊というモチーフ自体への思い入れや畜産の現場体験が有るか否かで心象がだいぶ変わる。羊なんて別段興味ないほうが新鮮に陰鬱系スリラーたり得ようし、かといって人間目線で観てばかりでは何だかよく分からないまま不穏な雰囲気に突き返されるばかりだ。
とは、日頃から羊をダッフンフンに愛し、弦楽器つき羊ドールさえ作って毎晩一緒に眠り、恐怖・羊怪人!の空想もあながちやぶさかでない私の場合、おそらく皆々様とは異なる観点を持ってしまう。先の農夫婦は家畜が人間の肉体で生まれてきたことから奇妙な溺愛にのめりこんでしまったが、俺は羊そのものの存在感、…形・モコ毛・匂い・息吹き・そしてなにより肉の食味… の溺愛にのめり込んどるわけで、
相手もまんざらでないんだから。実際ほら、
俺の膝枕で寝ちゃうもん。禁断(タブー)なのかなあ。
\ ママ~なんであの人ばっかり羊と仲良しなのー? /
/ ほんとだねー仲間だと思ってるんじゃない? ギャハハハハ… \
レジャーの家族連れに嗤われつつ、43歳独身、今期3回目の袖ヶ浦ふれあいどうぶつ縁。餌を喰わせるばかりがふれあいコミュニケーションじゃないのんぞ。
\ なにしてるの? いいなーあたちも抱いてけろー / と羊同士すら邪魔っコしてくる始末。
\抱いてけろー/
禁断(タブー)ですね。
分娩~授乳期の母子羊と接するとよくわかるのですが、まず、羊もわりあい奇形が産まれます。ベテラン牧場長もその都度…アッ!! あちゃ~まいったね… って空気になるものなの。映画でもこの描写を丁寧に扱い、不穏なリアリズムを添えていました。
また、お母さん羊は我が子を好きにピョコスコ遊ばせつつもちゃんと愛情をもって見守ります。子羊の顔に鼻を寄せ、見つめて、嗅いで、こんにちわ赤ちゃん私がママよ…って喜んでんのよ。くつろぐ背中に乗っからせて遊ばせたりもする。それをワー赤ちゃん可愛いなー見たいなーと下心で冷やかすとそそくさと懐に抱え込んで見してくんねい母羊もあるくらいですから、成長チェック等のためゴメンちょっとチビちゃん貸してねと失敬すると、もうソワソワ、ソワソワ、しまいには赤ちゃん返してって鳴いて抗議しますよ。
\ ベ〜〜ッ(私の子よーっ、返してーっ)!!/ ← 0:00〜
そういう幸せを力ずくで奪い去り、/来んなーッ!!\とどやして遂に撃ち殺すとは、母羊の悲しみたるやいかばかり。しかし農夫婦もまた、神々しいまでに禍々しい異形の生誕に驚くともに、幼い娘と死別した悲しい過去を投影し絶望を埋め合わせずにはいられなかったのでしょうね。全容を通して漸く、白夜の国の小さな寓話は観客の胸の内の腑にすっと落ちていく。
他方、私の工房でも新たな異形クリーチャーが生誕しつつある。
グルーガン盛りッ盛りなんて久方ぶりの工程だな。
俺の赤ちゃん…じゃないか、今回は俺自身の投影といえる。
良いものに仕上げる自信はあるのだが、問題はその、俺自身の尻の毛。ぜひケモノの如くモフ生えたいぐらいなんで普段ボーボー生やし放題なのを、急に剃ってみたもんだからイテテ… 思いがけずカミソリ負けしちゃって。深剃り6枚刃ってのはいかんな、試してみたけど深剃れすぎて毛穴の柄まで削ぎ切ってしまう。