◆ インド発祥の多弦胡弓「サーランギー(Sarangi)」類の話題を中心に、世界でここだけ前代未聞の怪研究・珍開発の数々を発信し続ける異常ブログです。同楽器取扱いの急先鋒にして生物学者や変態ケモナーとしても知られる異常造形作家【川崎ピースケが執筆運営しています。
研究テーマ:1)楽器「サーランギー属」、2)海のダンゴムシの仲間「水産等脚目甲殻類」、3)多肉・塊根・平行、栽培から造花まで「珍奇植物」、4)原材料・愛玩対象としての「羊」 、5)獣人表現「ケモナー」 、等を題材としたデザイン論と実践、特に生物型や生物利用の意味について。議題は多岐に渡り、追究の範疇としてエログロを含みます。* 近年(2)〜(5)の構想がだいぶ具現化したので、2023年から(1)の分野に戻りアプローチを再開できる運びとなりました。
★ 1記事内1主題の場合と、1記事上に短文加筆を重ねる【近業掬イ】(きんぎょうすくい)の場合がある。繁忙時はどうしても後者です。
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𓆟𓆝𓆟 近業掬イ 2021/11/03〜 11/24𓆟𓆟𓆜

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【11/24】< 最近作ったもの >

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熊も鮭も顔の出来がいまひとつだったので、若干の美容整形を…
もともと優しい顔だから口元をωにしてあげればより愛らしい。
北の大地は素晴らしいものだが、全てにおいて平伏従属する必要はない。

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かねてより夢想してきた、北海道土産の木彫り熊をテーブルランプに改造するの巻。
どちらも近代日本の生活における、デ~ンと処分に困る物品の最たるものです。

この木熊は北嶋絞製作所に勤めてた頃の社員旅行、初めて飛行機に乗って行った北海道の記念。
どうせなら現地で見初めた1頭を旅の間じゅう持て余し自宅でも持て余したい!の所存、
とうとう持て余したら家具に改造しようと最初ッから考えていたところを、
木熊が好きなのなら表の観光土産でなくちゃんと作家作品を…と店主が奥から出してくれた。
肩の量感と毛並みの表現、だけど頭でっかちでコミカルな印象が抜群に良く、すぐ購入を決めました。

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ランプに改造といっても熊自体を光らせるのではありません。
あくまで土台にするために、物凄くどっしりした体躯の1頭を求めた次第。

熊自体がぼうっと光るオモシロ商品、あるけどさ、あれはちょっと野暮かなぁ。
熊の段階で持て余すのだから光ろうが光らなかろうが同じ持て余し具合になるし、
一瞬面白がってネット購入のちすぐ飽きてネット出品の浅はかさん多数は目に見えたこと。

あと時々、パンダ柄プーさん柄を見かけます。
好きに遊べばよいが、なにかこう… もしもこうなら爆笑バージョン作ってみちゃいましたテヘヘ笑ってネ、
安直な大喜利にみえるのは結局のところ、お茶目なパロディの領域を越え得ていないからだと思う。

第一、元の木彫作家の凜とした造形を愚弄するような目に余る改造は見苦しくさえある。
元の形を極力生かしつつ、より良くなるよう若干の手直しを加えつつも、
いかに日常生活の中で持て余さず、さりげなく木熊に親しむかを追いたい。


答えは使う人の好みによって色々でしょうが今回は俺自身が使うものだから、
俺は俺の最近のテーマカラーでありますカーキ色=くすんだ茶緑1発勝負を正解と決め、
見合うモダンなスクエア型の中古シェードをあちこち探して誂えることにしました。
ついては熊も似た色あい、かつ電球色が物を黄色く染めるのを計算して若干ブルー寄りの色相に。

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まず元の暗褐色の塗装が影響しないように明るめに下地塗り1回。
緻密に毛並みを追ってる木工作家の仕事が映えるでしょ。
次いで茶と黄をわずかに加えて本塗りを。


…自分色って罪作りなものでさぁ。
 純粋に愛する色合いさえ、社会というのは往なしてくるじゃないですか。

 ま、色合いからミリタリー趣味を疑われて職務質問を食らうのは仕方ない。
 確かにあれは不必要に軍装してうろつく人間があり、事実大いに犯罪阻止になっていると伺うし、
 公務に協力するつもりで明るく応じ、動植物が好きが嵩じてこの自分色です、
 林家ペー&パー子にとってのピンク色のようなものですと携帯の動植物画像を見せれば、
 あ~そういうことネ!と放免してくれますからさほど問題にはならない。

 インド音楽の門下の頃なんて、好きでゆったりオーバーサイズのカーキ服でいたのを、
 やれ、お前はいつもそんな色でなくピタピタのピンクのシャツを着て女っぽく振る舞え云々、
 服装から持ち物から髪型から、果ては芸名をミスターPEACEに変えろ等々と、 
 本当に余計なお世話をさんざん言われてきましたもんね、面倒臭いわ迷惑だわで。
 自分より愚かなダメ男に落ちぶれろと呪ってくる師範先達の羨望にいつまで付き合っても仕方ないんで…


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脱線。元より隠蔽色ですから明度をあまり落とすと実体が分からなくなるし、
真上からスポットライトが降りるからあまり強い体色ではくどくなる。
パステルカラーぐらいが結果的にちょうどいいはずなんだ。

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鮭の背にはごくわずかに青と赤を加えて熊の体色との区別化をはかります。


照明の電源スイッチ、これが今回のハイライト。

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鮭の目玉部分に据えました。これは実際に機能します。
メタル製のトグルスイッチが鮭の輝く瞳に見え、設置部のON/OFF盤が鮭の目頭/目尻に見え、
意外や違和感がないだろ。押しボタンでなくトグルにしたのがミソです。

この工夫は家電の宿命である "スイッチはどこだ?問題" も一撃必殺に解消されます。
考えてみれ、正解はもはや魚の目しかないのよ、他の場所では悉く野暮ったくなる。
同じ状況において多くの設計者はどうせ熊の腹側あるいは電源コード上にスイッチを据えよう。
しかし目立たない位置ではぐるり探すことになり、コード手繰って探すことになる。
かといって電球ソケットからひもパッチン式ではぶらんぶらんと落ち着かない。

顔は相手の視線を一手に集中させ、機能を発して相手の出方を促す器官。
一種の多機能コミュニケーションボードともいえましょう。
ですから顔部分に必要なスイッチがあり、必要な時にのみスイッチの機能を為し、
不必要時は魚眼の印象に戻るので特段隠す必要がない
というのは大変スマートな在りようなんです。

もしこれがインテリアショップに置かれていたらお客はきっとパチパチとON/OFFを遊びましょう。
スイッチというのはそれで結構でありそれこそ本望なのであります。

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いわば記号論的な最適解の考え方。良いスイッチというのは威風堂々、
我こそスイッチである、どうぞ操作なさい、と自他共に認める形をし、
説明せずとも使う人の行動を促す形をし、促す位置に座しています。

しかるに馬鹿デザイナーはシンプルこそスマ~トでオサレ〜でモダ〜ンでインテリ~と思い込んどるゆえ、
馬鹿だからすぐ要素をダサいダサい隠そう隠そうとし、馬鹿だから必須事項すら消し去ってしまい、
その馬鹿さを要らん理屈で塗り固め、要らん読み解きを押し付けんとする。

結果、使う側を心底困らせ慌てさせ、円滑な行動を妨げ、
ご自慢のシンプルとやらは上からテプラ説明をベッタベタ貼られる野暮を呈するのです。
あれは機会損失、社会悪、交通渋滞の原因と同義ですから、大いに吊るし上げられるべきなんです。


…魚の目ったらいつだか平野レミさんが素晴らしかったな。番組の観覧客と質疑応答コーナーで、
 怖くて魚が捌けないンデス、魚と目が合うようで怖いンデス、どうしたら? の人生相談に対し、
 「目が怖い?! じゃあさ、そしたらさ、目、くりぬいちゃえばいいじゃん!」だって。
 刃物を入れる恐怖を、はるか凌ぐ猟奇で乗り越えろ!の教えに感涙しましたもんね。


また脱線。さて全体的にはこんな感じ。
木彫りの熊は数あれど、華奢で不安定な土産熊ではこうはいかんでしょ。

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f:id:saran-p:20211124075732j:plain『 野生の定格(60Wまで)』


別段に突飛な発案でもないが。一種の思考実験、生活に溶かし込む感覚かな。

そも、わざわざ熊を象(かたど)った木塊をわざわざ飾り棚に置くという無意味な行為は、
野生の刹那な一場面を切り取り、北の思い出を手許で愛したい心の現れです。
裏打ちに、普段の暮らし上これほど要らない片付かない代物もない。

とはいえ舞台裏に追いやることばかりが片付けではないはずだ。
動物たる本懐、スイッチたる本懐、隠蔽色たる本懐を失うことなく、
それぞれに相応しい必然の居場所を考えて ‘概念を収納’ する。

ついては要素を多角的に見つめ直し、隠れたる必然を探り出し、
堂々とそこに有るはずの存在を ‘ありのままに消す’ ことで立ち現わす。

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メンテナンスのしやすさも含め、どう残しどう作りどう直すかを想定しつつ、
熊が・鮭が・電設が喜ぶ、自ら在りたいコーディネートを叶えたい。
勝手な発想を押し付けて折角のイメージを固着させすぎないこと。

こういうところが、突飛で頓知でアートな奇を衒ってみました~♪な営為と、
施工技術に裏打ちした工芸工業デザイナーの審美眼との大きな違いです。

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倉本美津留先生のお眼鏡に留まっているようでは。
安直なパロディを踏まえ、その先へ。



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【11/14】< 最近作ったもの >

以前の話ですが、

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*過去記事* 2021/03/03「バチン!コラボでみのるデザイン戦車ダダすべり石鹸、ゴーン社長のナウぃ乳首が一生懸命テヘペロに映ルンです。」https://saran-p.hatenablog.com/entry/2021/03/03/230955

みのる産業」の農業用粉剤散布マシーンが愛らしい!
東映不思議ロボットシリーズや吉田戦車の世界観を彷彿!

↑と褒めちぎりの直後よりさぞや賛同者数多のことと黒電話を前に正座で待ち詫びただに、
世界の名だたる美術資料館からの展示依頼は1本ポッチシもござんせんでした。
どころか前衛ア~テスト気取りバカの独り踊りをせせら嗤う声多数…

オルセーッ!! 忿怒で今にもポンピドゥー寸前の脳を抱え、ルーブルルーブル震える膝を抑えながら、
どうにかおんめさま方にもわがってくんねいかと悩んだ一心で、

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長靴を履かせてみました。

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コリならばどなたにだって俺の謂わむとす美的領域を如実に読み解けましょうぞ。




現代美術の潮流 ・第666回・《 交錯する耕作:無為のアグリカルチャー 》 

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「みのる」( ミクストメディア、40 x 64 x 52cm. 2021 )

【鑑賞のポイント】近代日本に潜在するダダイズムの系譜に忽然と屹立した、蠱惑の機械装置。民族器楽工芸における川崎ピースケ、ときに海洋生物学における川崎祐介、本名マルメル・グュシャンによるネオ・レディメイド作品だ。映画スターウォーズ連作の脇役 “パワー・ドロイド (ゴンク・ドロイド) ” のように、今にもぎこちなく歩を進め無機質な作業を展開するかのような佇まい。それは決して陳腐な笑いを誘うパロディに安寧しない。特撮や漫画アニメ表現を想起するロボティック・サブカルチュアと、効率的農業形態アグリカルチュアとの融合に立ち現れし大地のジャポネスクと理解すべきであろう。作家は語る。「目玉をつけたり喋らせたり電動で歩かせたり光らせたりといった思わせぶりな過剰演出は自由な想像を固定してしまいます。立ち尽くすだけでよいのです。そのために、過不足なく不可分な色合いのキッズ用ゴム長靴を探し回る必要がありました」。無為なオブジェーをして有為を見出す文化を近代芸術と解釈すれば、果たして貴方はこの混迷の世の合間を縫うように、古びた農機具に似合いの長靴など誂えてやろうとさえ想い至るだろうか。ガラスの靴を頼りに愛しき姫君を探し求める王子になり得ようか。まさに本作こそ、無為と有為の混沌をして鑑賞者の美的思考フェーズひいては近代農業美術シーンに超然と問いかけるアートピースといえよう…

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…いえようッハッハッハ、いえねえっての。物は言いよう、事はヤリようだな。
ガンダムより超カッケぇスーパーロボット君なんだと俺様が言うんだから、
誰がなんと言おうとガンダムより超カッケぇんだい。ギァシーン! ドゥクシ! この話おわり。




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【11/07】
いえ、私はもうインド音楽教室へは通っていません。充分学ばせて戴きました。もともと最初から、自分の音楽性をさらに広げ高めたい目的で門を叩いたのであって、つまりサーランギーの弾き方を初歩から教わりに行ったのでも、生涯を投じて師匠に絶対的帰依をしたくて通ったのでも、或いは悠久のインド宇宙に浸りたかったのでもありませんでした。

当時ずいぶん悩んだのは、さてこの先、インド音楽を学んでピースケ自身の才能を深める方向か、ピースケの才能を全てインド音楽に注ぐ方向か、の人生選択でした。

先生は後者の道を期待してくださりインドに行こうとまで誘ってもくれたのですが、一方で、練習練習練習あるのみ・才能なにくそ・悔しさをバネに!至上タイプの指導方針ゆえか、生徒自身の才能や教えてないスキルの発揮を嫌う面があった。それだと俺の持ち味を発揮できないし、当時の俺は仕事の多忙や家族の介護など事情が山積みだったこともあり、インド行きをやんわりお断りすると「もういい、面倒臭い」と云われ、以降そっけなくされてしまいましてね。ああこの先生は自分のためにピースケをインドに連れて行って、こんな弟子がいると見せたかったんだなと知った。

そのへんが分岐点だったかな。逆に言えばお教室運営にはそういう師弟の思いがすれ違うリスクがある。「男ならタバコ吸って酒飲んでソープへ行って音楽に生きろ」とか。あっはっは、余計なお世話です。可愛らしい男らしさですけどもね。

加えて、多くの生徒の腕前が正直…日本人にも出来ましたァ先生大好きィな段階、教えたとおり一辺倒な仕上がりで、心をさらう音の魔性を欠く(=教えていない)こと。やれ仲違いカップルやら説教兄貴やら泥酔やらと人間性に偏りのある先輩ばかり、音楽会の企画のたびにこちらが負担する面倒や気苦労がひたすら多かったこと。大麻とおぼしき営みがちらほら。といった理由から、やっぱり自分はこのレベルのコミュニティから脱して自分の方法論を貫いたほうがずっと愉快で不思議で高品位で唯一な芸術表現を提供できる、と決断しました次第。


こちらの道でよかったと思っています。全てを捨てて北インド音楽専門演奏者の道に邁進していたら、単なる他所の文化に感化された所詮ガイジンさん、国際理解スゴイデスネ褒めて褒めて専門バカに甘んじるより他に巾のない余生でしたし、実際、色々な事象から練り出す近作のような試みは世に出せませんでした。現状への帰属に安寧していては新たな道を拓けませんからね。極めたくば、ひれ伏すな。己を生き、師を越えて行け。渋る師匠は捨てて行け、…ってとこかな。



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【11/03】
ある時期沢山の方から妙にまとまって凄かったんですよ。ピースケさんに見せたい楽器があるんですッ!! ピースケさんに来てほしいライブなんですッ!! ピースケさんに出てほしいライブなんですッ!! ピースケさんに読んでほしい本なんですッ!! ピースケさんッ!! ピースケさんッ!! ピースケさんッ!!  …さすがに作家業に差し支える。

ありがたい反面、考えてもみてよ。ピースケさんに自慢したい珍しい楽器なんです〜とマーチンのバックパッカー出されてどんな顔していいやら。

なんつーかな。楽器さえ差し出せば、その楽器に携わっている自分を褒めてくれるに違いない、認めてくれるに違いない、押し上げてくれるに違いない。自分の満足にしたいから当然にお墨付きをよこせ。それを織り込み済みの感情であるから、叶わぬや、フテ腐れ始めるのよ。本質的にはピースケなんぞどうでもいいわけなんです。


なので不本意ながら心を鬼にして、

《川崎ピースケと品物たちはそのものが魅力的なコンテンツですが、追随すれば誰でも同等の魅力や評価が得られるとは限りません。愛されぬ亡骸を愛し宝物に変える人間と、愛されたくて宝物に手を染める人間とでは、格が違います。そこからお話ししましょう。》

ってくらいの何様な態度に思い切ってみたら、面倒な人たちがスーッと消えて行きました。つまりは優しさにつけこむ承認餓鬼ばっかりだったんだなってこと。おかげさんでいま快適だわよ。こちらはこちら、そちらはそちらで、こつこつと魅力を磨いて参りましょう。








    サ ー ラ ン ギ ー 図 鑑     

★バイオリンは皆さんご存じのあの形状にほぼ定まっています。しかしサーランギーは製作者・時代・地方によって様々な自由形が存在し、今なお進化を続けています。特に弦数や配線は個体によって全くまちまち。これは、先人に学んでこう作らなければならない・本場の本家本元ではこれが正しい・こうでなければ本物の価値が無い、といった固定概念に縛られていないためです。ひとくちに捉えられないそれらをサーランピーでは「サーランギー属」と総称しています。

こうして並べますといかにもアジア諸国調査で得られた現地サンプルに見えますが、なんと殆どが日本国内で発掘されたものです。日本人の技術で修理を施しました。…そう言われると急に萎えますでしょう? みんな興味本位で取り寄せて結局すぐ手放しちゃうからこういうことになるのです。

しかもこの中には当方が捏造したオリジナル楽器をまことしやかにねじ込んであります。果たしてどれが現地の風薫る本家本物のお宝で、どれが世にもいかがわしい贋作か? 鑑定やいかに?…といったこだわりは、どうにでもなることですし、実のところどうでもよろしいことなのかもしれません。



チーペスト号  名古屋の誰だ号  結局ウチに号  

ボロ号  55号  黄泉号

グランピエ号 ジョギヤ 前方後円ジョギヤ 

カリマンタン号 恵さんでしたか号 そそるスリム号 

ドードゥロバナム ドゥカン号 サランガ

サランガ・ペタンコ エレクトリック チカーラー

チカーラー(近代版) サローズ アフガンサリンダ

ネパリ くさっぱら号 さらん弓(さらんきゅう)

サランダ  擦弦仮面 ダルマサンガ サランダ

ディルルバ エスラジ タール シェナイ

エスラマ ベラバハール カマイチャ

ラーヴァナハッタ ペナ エスラール
プールヴィーナ バリアジアン号 サラウドン
ストゥーパ号 ドドバシキメラ





    文 化 へ の 冒 涜 で は ?     


サーランギーの化石(カンブリア期)


いいえ、全く冒涜にはあたりません。サーランギー属は進化を歓迎し、地域毎に異なる展開を許す楽器群です

民族学・民俗学では、創作の混入は許されず、ありのままを正確にサンプリングすることで解明に努め、敬意を払います。つまり研究者はあくまで傍観者、せいぜい中途参加者であって、真の当事者にはなれません。研究者が自ら文化に手を加え、研究対象を自分自身とし、文化の歴史を塗り替える、これが許されるなら何だってやりたい放題になってしまいます。そのため研究者は、専門性・正確性への拘りにばかりにプライドを置き、しかし自分では大した表現が出来ない、融通の効かない方向へと人格形成されがちです。異文化理解を唱える本人が無理解とは皮肉なもの。サーランピーではこの状態を「スウェーデンポルノ女優のスリーサイズを精緻に暗記した童貞」と呼び、陥らぬよう自戒しています。

だども、オラ、この楽器がこの島でどう進化すんだか夢みちょる真ッ当事者の日本民族だで。何をどう作ろうと直そうとオラほの自由だ。オラが村の遊びがまんまこの楽器の進化の歴史になるだ。「インチキ業者」「思い上がるな」「現地の文化に失礼」「1人で騒いでるだけ」とお感じなのは、ひとえに貴方の心が許さないから。なにせその現地をはじめ世界各国からウチ宛てに「サイトを見た。修理はできるか? オリジナル楽器のオーダーは可能か?」と打診が来ます。もちろん断りますよ。てめーでやれっ。もしくはてめーの村の良さでやってみれっ。…そうすることがいつしか文化となるのだから。