いつもは「キャシーさーん!」と呼ぶと必ず「メヘーン!」、
ちゃんとお返事して遠くから笑顔でとことこ駆けて来るのだが、
この日は呼んでも静まりかえっていた。頭数もやけに減っている。
そうか、来るべき時が来たのだな。
服部牧場とのオーナー契約更新が叶わず手放すことになってしまった、
現地妻キャシーさんこと希少品種マンクスロフタン種系雑種・青20-21号。
3年の付き合いを経て、残念ながら今生の別れとなってしまいました。
もとより小柄で虚弱に産まれ、仲間に突き飛ばされ、孤独にしていた個体だ。
普通なら淘汰、ほっときゃどうせ損耗だろうに、たまたま出逢ってお互いピンときて、
それからオーナー契約日を待っての登録だもの、縁があったんだろう。
当歳で産んで計3頭のお母さんにまでなるなんて思いもよらなかった。
▲キャシー母さん(下)とその息子(上)。そっくり
で、どうしてお別れなのかについてだが、読者の皆さん察してくれ。
死んだのか、売ったのかさえ、牧場スタッフはそこをはっきり言ってくんない。
引き続き面倒見るよって名乗り出とる人間がいるのにおかしいじゃないかと思うだろ?
ウチ畜産なんで経済動物なんでその~…って、誰もはっきり言わないんだ。
実はここ服部牧場では、これまで尽力してきたマンクスロフタン飼育が、
多忙で手をかけられない、近親間の累代連作による体格の矮小化、繰り返す感染症、
そういう個体ばかり増えたところで見返りに乏しい等々の状況が重なって、
レアシープ血統管理活動とはとても認め難い不良資産と化してしまっていた。
ついてはこの事業を徐々に畳み、別品種サフォークに切り替える準備中とのこと。
ったら早々にそうした方がよいわけだが、そこへきて維持を応援し続けている俺の存在が、
とっととやめたい失敗事業ほじくり返しマンになっており、要はクソ都合悪いわけ。
水容器がカラですよとか、病気出てますよとか、牧場より先に俺が指摘してるの変な話でしょ。
よかれと思って支援してきたがやれやれ愛情とはかくもすれ違うものだ。
ま、サフォークの件は、導入したばかりなのにもう不具合が出て包帯させていらっしゃる点、
さすが畜産ですね~素晴らしいプロの技ですね~と咎めないでおいて差し上げますし、
そのサフォークがもう俺に懐き始めていることも秘密にしておいて差し上げますが。
いっそキャシー1頭を俺が買い取るという選択肢も無くはなかった。
だが矮小で難治湿疹持ちの雑種の経産メスなんか委託で受け入れてくれる牧場はまず無いし、
幸せな面積の草地を用意してやれない身の上、エゴで汚部屋に閉じ込めて、
却って淋しい思いをさせてしまうのは目に見えたこと。
だからこそオーナー契約を通しての事業支援が有難かったわけだが、
おやっさんスタイル愛らしい服部社長にもご挨拶、これは潮時だなと察した。
感謝しなくちゃね、そもそも服部さんチが広大な山を拓き、様々な農業に挑戦し、
かつ一般公開してくれたからこそ俺はキャシーに出逢うチャンスを賜ったわけだから。
ついてはここ半年いっそうイチャついておきました。
いつお別れでも悔いのないようにね。
羊はペットでなく家畜なのだから懐くはずがないとお考えの方、
実際どういう間柄だったか、どうぞ動画でご判断ください。
ツンデレで苦労したけど、お前は一番綺麗で、いい女だよ。
3年分の羊毛を俺によこしてお前はどこに出掛けて行ったのだろう。
だがそれでこそ、じつに羊らしい、羊の。
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造形作家としてインド楽器を取り扱う上で、その素材である動物をもっと知らぬことには、
ラーガだのターラだの、ミシュラ師もカーン師もケッタクソ師もねえなと一念発起し、
ちょっと片足のつもりが思いのほか両足突っ込んじゃった、家畜とりわけ羊の考察。
考えても考えても《 なぜ羊を飼うのか? 》という命題に帰結する。
羊は家畜、家畜をペット扱いするなと頭ごなしですが、なぜ頭ごなしなのか?
家畜は家畜だから家畜なんだとしか考えられないようじゃキミも家畜と同じだべ。
キミのお父さんはひょっとして家畜に限りなく近いかもしれないが…
あくまで経済動物でありペット目的で存在させていない物だから? 違う。
おセンチに感情を移入したら商材にならず経済が成り立たないから? 違う。
俺はキャシーをはじめ羊との付き合いのおかげで明確な答えを得た。
答えは、よいペットになるからなのだ。
人間の愛情に応えるほどには、羊もまた賢く温かい心を持っているし、
好きな人が他の羊と仲良くしていれば嫉妬だってする。
生産側からしてみれば困るわけ。扱いやすく歩留まりよく管理するには、
ストレスのない飼育環境で…と表面的には格好をつけるけれども、
家畜なんか能無し心無しの愚かな肉塊・毛の塊であってくれたほうが都合よい。
アンタ、あれか、愛護のなんかか?
どうせ殺すのに実は頭いいだの愛があるだの、余計な思い入れは勘弁してくれ、
都合よく利用して都合よく目ェつぶって、都合の悪い矛盾にゃ都合よく“麻痺” せんと、
畜産なんぞやっとれん。ペット化されたらオラたちがまるで悪党じゃねえか!
っていう、これこそ畜産が畜産たる真の芯なのだが、
THE・それを言っちゃあオシマイよ。誰も彼も核心を巧みに伏せるから、
生産者・消費者が互いに分かり合えないジレンマを今日までズルズルドナドナと。
もちろん命と引き換えに恵みを賜る肥育の現場にあっては、
愛情はかけてもあっさりと公平な付き合いに留めておくのが賢明であろう。
あまりラブラブ寵愛を経ての屠りは一種の裏切りになってしまうからね。
しかしこうも考えられるのだ。毛、肉、腸から脂から骨から、
ウンコや脳みそにさえ至る全てをして我らに糧をお与えくださる羊、
なれど我らは未だひとつだけ重要な “資源” を充分には戴けていない。
…それは “愛” ではなかろうか?
アイスなめつつ眺めて観光資源、学校で情操教育、丹精込めて品評会はもちろんのこと、
愛情に応えて懐くというコンパニオン的所作から生じる “ふれ愛” の充足まで、
共に生き紡ぐ思い出もまた人間の利益、すなわち“資源” に他ならないのでは? と考え直すと、
確かに羊についてはあまり考えてこなかったネ生産者も消費者も…と逆説を申せるわけです。
そも家畜というのは、人間が求めに応じて改良してよいはずではなかったか。
良質な肉をたくさん得たければ肉付きの良い個体同士を掛け合わせ、
良質な毛をたくさん得たければモフつきのよい個体同士を掛け合わせ、
闘羊って知ってる? あれは巨体で喧嘩腰で石頭なファイター君を重宝する世界。
だったら例えばね、これじゃあまるで荒唐無稽な詭弁だが、
古き良きイングリランド王国モングリ州の公爵あたりが、
こんな↓無理を言って下々の関係者に命じたとしたらどうか。
▲キヴェン・コートムケイン・ムリユートルワイゼン大公爵(左)、日本の貴族と語らい
わが愛しの孫娘が「お膝の上で撫でられるペット羊」を欲しがっておるぞよ…
見つけなければ祖父である我輩を死刑に処すと泣き悲しんでおるぞよ…
よくもそんなことを!! 大人は嘘つき!! グレてやる!!
孫娘ダダコネイユ
ついては農夫ども。羊飼いども。探させよ探させよ…
優秀なる品は買い上げて、1頭につきボーナス金貨700枚を約束するぞよ…
肉でも毛でもない、愛だ、愛が欲しいのだとばかりに。
そういう歴史が絶対に有り得ないとは言い切れまい?
ったらそりゃ当然、
エヘヘ旦那っ、ウチのこいつなんざどうでがす?
こいつに種コさ付けさせますけぇデヘヘ来年もその~、金貨を約束してくだせえヤ…
村の農家やら山の羊飼いがこぞって掛け合わせることになるだろ。
そうして生まれることになった新しいラブリーシープの血統が、
もし現代に至るまで受け継がれていたら、どうだ?
▲コートムケイン(イングリランド・ミニチュアシープ)イングリランド国産種。モングリ州の貴族家系が室内愛玩用を求め、毛用種ニクチャウネンと肉用種カゾクチャウネンの累代交配によって作出固定した。非常に小型でオス成体で中型犬ほど。総じてずんぐりとし、角は短く肥厚し目が大きい。温和でよく懐くため、自室内で複数頭を鑑賞飼養し刈り取った毛で生活品を編む愛好家が多く同好団体も存在する。
… そしたら俺も飼えたじゃんかいやあッ!!!! って話。
決して荒唐無稽じゃないと思うがなぁ、ポテンシャルは秘めてるはずなんだ。
そうなっていかなかったのは、つまり羊にそういうルネッサンスが無かったからであり、
羊はこういう家畜と決まってる動物だから今ああなんじゃないのだ、全ッ員勘違いしとる。
ただ、肉や毛というのは需要=切迫した求め。いっぽう愛玩飼育なんぞ悠長な余暇だから、
ある程度に平和な時でもないとそんな求めが無いわけだわ、いわんや戦中戦後をや。
ったく古き良き放蕩貴族め、なぜバカな願いを欲しない。世の中大きく違ったじゃい。
だってほんじゃトイプーだのトイチワワ、あいつらいったい何ですか?
凛々しきオオカミ犬だった古来から考えたら、
たいした畸形ぞ?! ショコラちゃ~ん。マロンく~ん。
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もしそんなミニシープいたら飼っちゃうじゃんねぇ♪と語り聞かせながら、
江戸川はなちゃんとラブラブいんぐりもんぐりタイム。
ふれあい動物コーナーに配属され、食肉に回される心配のまず無いこの子は、
幼少から妙に利発なところがあり感情の発露に長けている。
愛されて嬉しい時はクフ~ンと甘えた顔をしてみせるが、
コーナー内がファミリーやカップルの来園でドチャクソに混雑する土日祝など、
この顔
「んもぅ… 落ち着かないなあ…」と、露骨にうかない顔をします。
ケツむんずむんず掴まれたあげくウンコの真っ最中にカンチョーされたり等、
粗暴児童らの接待はまったく重労働だが、この職業はキミが思っとる以上に安泰の花形ぞ?
吊るし肉が常の畜生道にあって、抜擢されただけスーパーラッキーガールと思わなきゃ。
うーむしかし、
\アー/
春
成長早いよなあ、
\ウフー/
夏
こないだまでチンチクリンのキャッキャウフフだったのに、
\アハーン/
秋
もうすっかりゆったり寝そべるお姉さんのケツよもん。そりゃ揉まれますわい。
ふと思うに、ふれあい動物コーナーというのはすなわち風俗業であって、
スター夢見て次々と育成&消費坂48なアイドル業界はまさに養豚業に他ならぬ。
乳搾り体験はさしずめ、おっパブか。行ったことねえんだ、おっパブって何する所?
そんな調子でオレ流・羊をめぐる冒険はまだまだ続きそうだ。
スピニングパーティー@錦糸町、東京牧場&山染房の羊毛体験@奥多摩、
羊フェスタ+羊齧学会@中野と…羊・羊・羊の催しに参加しっぱなし。
特にお教室はめっさ勉強になる。我流でやってきたけれど一度ちゃんと習いたくて。
むろんその場に集う様々な羊業界の皆さんからお話を伺うことになるわけだが、
かの服部牧場がどうしてマンクスロフタンの処遇について歯切れ悪いのか理解した。
なぁるほど合点、ご事情は察しますが端的には、つまり羊飼い失格。
いやはや羊ネットワークおそろしや、不思議と繋がるもんだわ~。
あっ、インド音楽ファンや珍楽器ファンのチミっ!
家畜も虫もまるくそ興味ねえぞとほっぺたプクらませてご不満めさるな。
俺は今そのマンクスロフタンを題材にサーランギー属弦楽器のデザインを試案中なんぞ。
ついてはキャシーさんの毛を用いるんぞ、ったら繋がっぺ? 発表を待てい。
ピースケさんのサーランギライブ聴きたいです~でねえっぺや。
だいたいおめぇさんらっつのは、どこの国の貴重な楽器をやってるのは誰だけ!とかさ、
どこの奥地に住み込んで教わり初めて受賞した私が和太鼓とコラボ!とかさ、
よっぽど日本人が皆こぞって無能な丸裸で? 多様な海外文化はよっぽど素晴らしく?
武器になる特殊ジャンルを一番に習得し “日本人離れ” することでしか?
自分らしさが成り立たんと考えとるまいか、ああ、面倒臭い。
日本ダメダメこれからは海外出ろ出ろ論に煽られた時代・世代だから仕方ないけども、
その道って退屈なのだ、芸を磨くより他にアッポッポ確定の道じゃけ。
人生何が起こるか、どんな巡り合わせがあるか、わからない喜びを捨てる人生よ。
生まれつき頭どうかしないではいられない日本人が様々な分野に踏み入った時、
さて何と何がリンクし、どんな形で生まれる? という事象の旅にこそ挑みたいもんぞ。
それは例えば俺の場合、55号、黄泉号、NHK放送事故、ドドバシキメラ、サラウドン、
ホニホフール、こつぶ荘、ヒツジ男現る、人肉ヒメスナ論文…といった形で表出している。
これらは特定の分野に没入してばかりいては辿り着かない仕事なんだよ。
だがどれも無私的、情念の狭間から引っ張り揚げたようなものであって、
やれ俺様の力量だの才能だのをひけらかしスゲ~と褒められたいがためにやってるわけではない。
だのにどうしてやり続けとるのは、そりゃ俺がせんことには地球上に出てこないじゃん。
でも頂戴するご感想ったら毎度「スゲ~」「スゲ~」ばっかしよもん、
もう少しなんか文言が無いもんかね文化的な。んもぅ…落ち着かないなあ…。
一辺倒に見とらんで、発表をクソして待てい。
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最終日に駆け込んだ「虫展 ーデザインのお手本ー 」@六本木21_21。
混むと思ったので早起きして開場前1番乗りを果たすも、案の定たちまちドヤドヤでした。
虫への驚きを素直に表現し敬服している作品には好感・共感をもてたものの、
ちょっと採り入れてテメーのデザイン観に落とし込みました系はダダスベリ。
日頃より虫を凝視してやまぬ人の作と、企画に誘われてテーマに沿って作りましたの人の作とで、
狂気の熱量に差異がある。
そも、虫というのはその無為な実在自体をして既に芸術であるゆえ、
所詮デザインなど浅はかなる人為にすぎず、到底かないっこない。
神にまねぶより他になし、蟻ィ~アクバル! ある意味では幸せな主従の構図やもしらぬ。
では、家畜は?
あれは自然と人為、現象と計画、思わしく進む進まぬ、
いわば脳の延長の届きそうで届かぬ指先の空(くう)に在り、狭間の草を食む。
だからこそ要らぬ慈しみやら苦しみやらが生じるのだろう。
そこへきて楽器という存在は、自然と人工、科学と芸術、想像と創造、生物と死物、
学術のクレイジー、デザインのスノッブ、畜産の愛と裏腹…
これらのちょうど狭間に位置するオブジェクトでしょ?
そこ、養老先生の盲点だと思うなあ。
人工物には興味ない、脳化都市は徹底してモノを見ない、森へ行ってディテールを見ろ、
先生はしきりに仰るけれども、仰るほど自然物に留まった話ではないと俺は信じている。
考えてもわからないものを自前で作り、わからないをわからながる楽しみを楽しめるなら、
それはもはや俺の脳という神の、暇を持て余した神々の遊びなのだ。
様々な単語と図形を押せるシャチハタで好き放題にスタンプして、
キミだけの虫をデザインし、お手軽な創造主になってみようのコーナー。
ちびっ子に混じって、わあい、俺もやってみました。
昆虫でない虫を愛していると概ねこうなってしまうが、
虫とはなにか?を考えて、無私の境地でもう1枚。
シンプル一番、これでよいわけだよね。THE・虫、かくあるべし。
何したっていいんだと許されてるのに、敢えてのこれ。
ハムシかな。いや、樹幹を基質にしてる奴っぽいな、キクイムシの類。
キクイムシといえば「クスノオオキクイムシ」だっけ超ずんぐりな。あれ可愛いなぁ~。
いつか採りたいし、もし大きさ10cmくらいだったら部屋でコロコロ飼いたいもんだ。
…やれやれ、羊もこのくらい都合よく、絵に描くように “デザイン” できぬものか。