前々回(1)は「屠り」=死をもって生を操作する営為、
前回(2)は「種付け・去勢」=性をもって生を操作する営為を見つめました。
で今回は『死物・無生物にすら生を与えようとする営為』について考えます。
いよいよ危険領域に突入ですよ、心してお読みやがれい。
【 妄話3:楽器羊はダッチワイフの夢を見るか 】の巻
良識模範を自称する大衆がいかに眉をひそめようとも、
工場がこれだけ元気に稼働できているということは、
人形との性行為にいそしむ趣味家が少なからず実在し、
一定の需要があるということです。
コメンテーターは無い知恵しぼってどうにかこじつけて、
「現実社会で相手にされず仮想世界に逃げ込んだアニメ好きオタク」だの、
「全てを思い通りにできる奴隷美人を手籠めにしたいアニメ好きオタク」だの、
「生身の女性へのコンプレックスがあるアニメ好きオタク」だのと解説するんでしょ?
じつに馬鹿だねえ、すぐアニメのせい。そういうこっちゃねえんだよ。
この分野の真髄は、モノとヒトとの関係の向こう側に広がる異界の有りようなんです。
ドールが発する透き通った底知れなさはいったい何なのか。
基本お人形は向こうから積極的に返事をしてくれません。
だのにオーナーさんは皆、命なき人造物でしかないことを常々承知のうえ、
確固たる意思と行動力をもって人造物を支え、話しかけ、
愛を注ぎ、共に過ごし、かけがえのない存在に育て上げている。
同時にオーナーさんというのは不思議で、その子を大切に想うわりに、
根源的な所で突き放して捉えているようにも感じられるのです。
私はむしろそこにこそ「愛」の存在を感じる。
や、所詮は一方的な勘違いなのよ? いい年こいてお人形さんに心だの愛だの。
だが本当に勘違いだけだろうか。モノからの返答を期待してはならないのか。
そうして命を与えようと奮闘する営為とはいったい何か?
この世に生きる大切なヒントが隠されている気がしてなりません。
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いつだったか観たフジテレビの特集番組ですが、
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フジテレビ NONFIX「ボクが恋したラブドール」(2015.9.24放送)
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2015/658.html
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よいじゃないですか、そんな形の愛があったって。
欲求処理の目的で迎えた単なる人工素材の複合構成物が、
共に過ごすうちに命を宿して感じられ、かけがえのない存在に昇華する。
いつかの別れを覚悟もしながらデートに連れ出す幸せ。
ヒトとモノとのまぐわいの果てに咲く、ひとときの愛の形。
( AFP news:埋め込み閲覧不可のため再度クリックするとYouTubeページに飛びます。)
ここまで愛されれば道具も本望ぞ、形代(かたしろ)の究極と申して差し支えない。
世にもいかがわしき造形が、しかしオッサンの孤独をどれほど癒し支えているか。
同時に、モノに命を吹き込んでいるのもオッサンの優しさに他ならないのだよね。
前回ご紹介の人工膣付きぬいぐるみ「けものひめ」もまた然りです。
射精介助のためだけに産まれてきた物体でしかないのやもしれません、
ヒトのメスを愛せない ‘異常者’ たちはさっそく肉体関係にいそしむんでしょう、
しかしこのアイテムが秘めた本質、真の輝きは、そこから先に在ると思うんだ。
悲しい時、つらい時、枕元で静かに耳を傾け、一緒に眠ってくれる。
全てを受け入れ、そっと見守り、心の支えになってくれる。
おニューの洋服を着せてもらって、大好きなご主人と今日はお出掛け。うれしいな…
そんな性具を越えた使い道をこなすユーザーが必ず出現すると確信しています。
▲みんなの大切なズタボロくまちゃんの肖像にエピソードを添えた写真集、
「愛されすぎたぬいぐるみたち」。電車で読んで涙ポロポロ流してしまった。
あのねえ、
まずみんな狭義ばっかしに勘違いしてんのよ、
フェティッシュとは本来、各人よりけりの特定な対象が、
さもしき物欲愛欲の域を越えた「かけがえのない存在」に感じられてしまい、
生物学的にも社会学的にも説明のつけようがないまでに必要以上な、
いわば無償の愛を注ぐまでに情をこじらせていく現象、
そして思い悩み実践する中で人生を見出そうとする営為自体を指す言葉です。
逆もまた真で、こじらせた情の受け止め役、
つまり代行物体それ自体を指すこともできます。
ですから観音像マリア像、ブードゥー人形ワラ人形、
「像=もののかたち」あらばフェティッシュに内包されるわけ。
丸太おばさん
フェチとフェティッシュは異なる概念と捉えたほうが解りやすいかもしれません。
巷で言われる美乳・美尻・美脚、髪・体臭・汚パンツのような、
生身の人体や由来物にかき立てられる「フェチ」はむしろ真っ当な情欲といえます。
本来のフェティッシュはもっぱらヒトに由来しない物体に向けられる状況をいう。
ですから人造人間を愛し、向き合うことは、その意味でもひとつの極みです。
とりわけ八潮秘宝館・兵頭さんの素晴らしいのは、閉鎖的な個人趣味に埋没せず、
アウトプット手段を毅然と持ちながら闘い続けていらっしゃる所と思います。
自宅まるごと展示室にして世界を構築するのは終わりなき男のロマンだなあ。
ただし報道はヤラセや偏向が酷く怒り心頭とのこと。やっぱりそうかテレビ屋め…
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兵頭写真館R( 八潮秘宝館館主 兵頭喜貴公式ブログ)
http://blog.livedoor.jp/hyodo_shasin/archives/50769077.html
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伝えたい真意が歪められて流布されるのは心苦しい。
こういうデリケートな話題こそデリカシーある発信が望まれるのに、
やっちまえやっちまえ多少の歪曲や協力先への失礼も演出のうちだ、
俺たちが世論を動かすんだと斜に構えとるテレビマンは事実多いからな。
世間を馬鹿にし、食い物にしようとしてるんだよ、基本姿勢として。
強引な演出が誤解を呼び、誤解が新たな誤解を生む側面も大いにあろう。
大衆はさしずめ、ふふんッ非モテ男の哀しき成れの果てだとひきつり笑い、
嫌悪と排斥心でしか反応できないであろうことは想像に難くない。
そして珍行を蔑視できる “資格” ある優位に立ちたいがために、
自分の妄想や性癖だけは特別にひた隠し、健全を装おうとするものだ。
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キニ速「【マジキチ】フジで特集された『ラブドール』特集がヤバイwww」
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4491272.html
VIPPER速報「フジでラブドールとおっさんwww」
http://vippers.jp/archives/8345326.html
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しかし考えてもみてくれ、絶世の美男美女がどんなに見栄えを繕おうとも肉人形。
裏っ返せば雑菌だらけのクソまみれですからねどうせ。あっはっは、元も子も。
だってうるさいし、金かかるし裏切るし、ほころびるし萎れるし、あちこち臭うし。
ほら、「女は産む機械」と口を滑らせた大臣がいましたが、
しかし真理でもあり、女性の絶対優位を息巻く人が怒るのは図星だからだろう。
ならば男は遺伝子を撒き散らす「機械」…であるほかに用も能もねえもんなぁ。
種の多様性と生存競争の点に限れば、倦怠・浮気・尻軽は理に適った「機能」だ。
そう考えるとドールの方がよほど温厚で高潔で理想的(※ただし要メンテ)、
ことに貞淑さでは生体に勝る配偶者たり得るかもしらん。
理解者数の実態は、おそらく結婚生活者と絶望者数にも関連する。
モノとヒトの狭間、その「かけがえ」に魅せられた者が繰り出す花園は、
かくも受難なり…かあ。趣味趣向とは難しいものだな。
紙一重なんだよ人形に限らず。例えばクルマ好きは実に結構、
相棒や恋人のように愛情を注ぐ人は数知れずいらっしゃいますでしょ、
長く付き合い苦楽を共にした思い出が積もれば感慨もひとしおですが、
中には思い余って車と交尾する人いるからね。
ん? 言い間違っていないよ、車でするんじゃなくて、車とするんだって。
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自動車性愛 - 車とセックスする男 英
http://x51.org/x/07/03/1124.php
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好きすぎて愛しすぎて流線形がたまらなくセクシーに思えてしまい、
全裸で舐め回して、遂には排気筒にチンチン突っ込んじゃうそうです。
まあ何もおかしなことはないか、トミカもそうやって量産するのだし。
ミニカーは養鶏と同じ仕組みでメスの銘車に産ませてますからね。
ケツ向けて並べて社員が順番に排気口に挿れるでしょ。
ハイ次、ソレ次、腰にくる仕事ですって。しれっと大嘘つくという。
その点シュヴァンクマイエル作品は引き込みが非常に上手で感服します。
子宝に恵まれぬ若夫婦が悲しみにくれてノイローゼ気味になり、
掘り出した切り株を赤ん坊代わりにあやしたところ逞しく育ってしまい、
ついには人喰い植物になり果てた映像民話「オテサーネク」は好例。
実写に差し挟まれるアニメーション表現が木の根に不気味な命を吹き込みます。
しかしアニメはあくまで製作手段、モノとヒト、畏れと官能が先立ってのことで、
手段に溺れず異態を貫き通しているのがよいところ。
若い学生は未熟なので「なんか粘土アニメとかやりたくて〜」とか言って、
つまり何を表現したいかではなく手段の目的化からスタートし、
手段に溺れて抜け出せないから、結果としてなんだか薄っぺらいもの作ってくる。
来日したノルシュテインに渾身のストップモーション作品を観てもらった学生、
糞味噌に評されてたな、これじゃまだアイウエオの段階ですとか言われて。
総じて、表層の奇異と世間の白眼視に怯えず、心奥を汲み取らんとするところに、
モノとまぐわう我らヒトのしょうもない魂の救いがあるということだな。
救いかぁ、救いねぇ。救いになるのだろうかなぁ、泥沼の気もするが。
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さて、先達の在り方から考察したい要素はまだまだござりますが、
これだけじゃ単なる借用の羅列だ。そろそろ白状して参らねばなりません、
『ホニホフール』という音具が何故そう産まれたかを。
ご理解戴くには時間がかかります。砂肝ザリザリ食べながらお付き合いを。
動物素材を用いた道具、とりわけ楽器には、
穢れた殺生に関わる観点からしばしば忌み避けられた歴史があります。
羊腸弦や羊皮紙をふんだんに用いる楽器を中心に実践研究を進めつつ、
ここのところの関係と矛盾をもっと掘り下げねばと常々感じてきました。
ただ、音楽一本槍に修行してしまうと疑念を挟む余地を持てなくなるし、
フィールドワークを標榜して風習や歴史観を洗い出すだけでは傍観者のままだ。
狭い専門性に囚われず複数の視点を持ってようやく岩戸を拓く境地があります。
効果的な手法も考えねばならないし、新規提案を発信する勇気も持たねばならない。
脱線放題のようで屋台骨が一貫している拙頁「サーランピー」の運営テーマです。
特に今回の場合は素材の側、すなわち家畜とは何かという自問を設けて、
在り方を見つめ直す勉強が欠かせないと思い至りました。
そのプロセスなくして動物楽器のデザインは成立し得ないからです。
どうせ死ぬなら生きてるうちに、道具の心を知りたくて、死者の想いを呼び戻したくて、
ついに羊を飼い始めたデザイナー兼クラフトマン兼アーティストって一体なんですか。
合間に海ムシ新発見で論文書くっていう、自分でも何者だか知らん。
ところが今度のテーマは思いのほか難問で、
先述先々述のとおり家畜は生と性と死の狭間のまこと宙ぶらりんな状態、
半端な位置に定め置かれている。これをどう考えるか。
ここがあやふやなために私たちは動物楽器の意味をなんだかよくわからず、
「なんか可哀想」「なんかグロテスク」等の浅はかな言葉で捉えるより他なかったのだ。
対岸で怪しく蠢く異界を知りたくば、まず向こう側を覗き込み、
隠れている魔物をこの世に引っ張り出さなくてはなりません。
上手く説明するのが難しいですが…
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◎動物の虐殺に怒りを覚える我々はその言い訳に、
虐殺をしても許される代用物を作出・飼養し、必要に応じて殺している。
◎作出と飼養には代用物のもつ性愛を大いに利用するが、
しかし考えないものとし、ヒトとの愛の共有などは厳しく糾す。
◎代用物を神格化し、心・命・魂が宿るという解釈をあてたがるのに、
命を吹き込むようにして代用物を溺愛するオッサンを疎みたがる。
屠畜と愛護… ふれあい動物園と獣姦…
命名と無銘… コブクロモトと人工膣…
ぬいぐるみとダッチワイフ…
そして、生と死…
裏腹、裏腹、すべて裏腹。
都合良きところだけ搾り取り、悪い所はかなぐり捨て、
心ありと訴えながら心なく殺め、心なしと嘲りながら、
心ありげに囁きかける、自己都合甚だしきはこの我々。
かくして家畜の歓喜は漂流し続ける…
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整理すると自ずと曖昧ゾーン同士が重なり合うエリアが生じます。
そこはいわば理解の範疇をすり抜ける詭弁の怪物の住処です。
或いはニーチェの覗き淵、悪魔召還の魔法陣か。
「 Eloim, Essaim! おーい でてこーい」
悪魔くん或いは星エヌ氏となりて求め訴えれば、
入らずんば得ぬ虎の穴から1頭の羊がにじり寄ってくる。
クローン羊ドリーのようであり、
バフォメットのようであるのやもしらぬ。
生か死か、羊か楽器か、おぞましいのかキュートなのか、
両を有するトランス・インター・セクシュアル。
「ねえあなたン、 “オルルフ” してぇン。
あたしの心の琴線を、あなたの指でいっぱい振るわせてぇン。」
うソロモン王第69柱 ホニホフール
《去勢具と採精具を携えた羊の姿で現れる魔獣。人と獣、心と物、生と死、どちらともつかぬ陰陽の混沌を司り、両者の対話を読む能力を召還者に与える。自らの腹をえぐり、我が臓物のリュートを奏でよとそそのかすが、あまり巧みに奏でてはならない。動物園スタッフが嫉妬の雷(いかづち)を降らせるからである。》
→ホラン・ド・サランピー著「ドキッ!悪魔だらけの水泳辞典」(民明書房刊)より抜粋
弦を操るように胎内を艶かしく弄りあげ、
殺めるように生かしてほしい、精霊送り歌を奏でてほしい、
そう呻きながら夜な夜なベッドに潜り込んでくる、
或いはサキュバスのようであるかもしらぬ。
羊のように生きてもいない、楽器のように死んでもいない。
腹の中身はなんだろな? 殺しの作法で歌聴かば、
摑み取るのは腹一杯の空虚ばかり…
いったいどうしろというのだ?! これがホニホフールの正体です。
モロー博士にファウスト博士、則巻センベエ博士を気取って、
召還したはいいものの後々困ってみるのが私の流儀。
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仮にぬいぐるみ型セックスドールとしよう。製作なんか易い話さ、造形作家だぞ。
しかしベッドで抱き寄せ無駄汁を射する用途のみの使役を召還せしむることの、
なんとまあ空しき味気の無さよ。賢者タイムとはよく言ったもので…
▲もうすぐクリスマス。みんなで元気にうたいましょう
俺が見たいのはその先にある光なんだ。真なる獣のエロスは、
産まれ、恋し、産み、死んでなおヒトと寄り添う点にある。
愛馬の亡骸を材料とした馬頭琴の誕生秘話、ご存知「スーホの白い馬」。
これならいつまでもお前と一緒にいられるね〜なんて、
絆の感動ストーリーのように伝えられているが考えようによらないか。
ド変態伝説じゃないですか、ペーターキュルテンもエドゲインもびっくりの。
蒙古力士のヤンチャ程度に文句言う我々がよく教材に採用できたもんだドルジ。
では皆さんは、獣愛変態ハカセの製造したクローン羊型アンドロイド慰安婦が、
歪んだ愛ゆえに命を宿し性具の用を越えて琴線を振るわせる音具に変身し、
ヒトとモノとが情を通わせる、そんな物語を感動で受け止めてくれますか?
絵本や教科書で親しんでくれますか? …精神病院ブチ込みが関の山だドルジ。
そもそも演奏を外から見られないブラックボックス弦楽器では、
まさにヴィトゲンシュタインの「私的言語」に他ならない。
体腔限定の音楽など自己満足の密室オナニーにすぎないと?
そうくると思ったドルジよ、ご心配めさるな。
羊の心の内なる歌を “盗聴” する手段なら君たちにもござるぞ。
↑ここにケーブル差し込んでアンプに繋ぐんですよッハッハッハッハ。
いちおう言っておくと、猥褻物にはあたりません。
なぜならこれは楽器であり、楽器の一部分でしかないのだから。
猥褻にあたるとすれば牧場はモザイク無しの陳列罪で一斉摘発ですし、
これを卑猥というあなたの心こそが卑猥なのではないでしょうか?
もうね、目に浮かびますよアッポポッポな殿方各位の、
薄目や遠目でどうにかくっきり見てやろうと奮闘する姿が…
あらいやだ(市原悦子の声で)。なにを楽器に欲情してんの? このドスケベ!!
なにを羊に勃起してんの? おまわりさんこの人です!!
さてはワイドショーで話題のネクラでオタクな犯罪予備軍ですね?
はっはっは、すまんすまん、しかし馬の話で言ったろう?
膣はあの世とこの世を往来する架け橋なのだ。
男根や女陰が神性のシンボルとして扱われるように、
用具をシャーマニックに昇華せしめ、その存在の胸の内、心の琴線に触れ、
生と死、動物と静物との狭間に手を伸ばし届きたいと願った時、
陰門が音曲の産出口と相成りましたのはもはや必然といえまいか。
必要以上にくっきり作っているのはこうした思考の名残りでもあります。
モザイクは対象を却って卑猥にしちゃうんだぞ?
卑猥でないなら、動物レイプに該当?
いいえ本品は木・金属・人工皮革・化学樹脂のみ、
すなわち動物素材0%ですので、虐待にもあたらないし、
愛護団体も文句つける隙が一切ありません。
毛にこびりついたウンコも粘土で手作りしました。
素材はミニチュアのスイーツを作るのに重宝する粘土です。
かたや甘味、かたやクソ。モノは作りようですね。
採れたばかりの羊毛をセーターなどの素材にするには下ごしらえが必須で、
まずはよく洗ってゴミや糞を取り除き、そうして人間の側に引き寄せるわけですが、
ここではこれと真逆=清潔な画材で綺麗な材料をわざわざ汚すことをやっています。
けがれた自然物を殺し、清潔な無生物に変換する、これが羊毛産業。
一方のこちらは清潔な無生物をけがし、ときに排泄物を偽造し添加することで、
生なき存在に生を宿すのです。
しかしながらウフフ、乳房の造形だけは思ックソ嘘ついてる。
羊の胸はここまで2玉ボインちゃんには膨らみません。
牛と一緒で、ミルクで張った乳房はひと袋のように癒合して垂れ下がります。
むろん最初は倣ってひと房、ゴム手袋の先を乳首にして作ったんだけど、
演奏時に肘の収まりが悪いし、いまいちセクシーにならなくて、
4回くらい作りなおしたんですよ。
そこでヤギの睾丸をヒントに谷間を作ったところ、あらまぁロケット巨乳♪
ひっくり返して演奏する時にちょうどよいアームレストの用を為すし、
なんかちょっと目のやり場に困るだろ。こうでなくちゃいけない。
富永一郎描くネエちゃん、或いは桑原和男扮する垂れ乳バアさんか?
なお詰め物は当初コットンみっちりでしたが、
ドンキホーテで買った中華肉まん型の水風船おもちゃに入れ替えました。
左右各2個入っているので、ずっしりふんわり、触り心地もムニムニです。
…あれッなにをお笑いか。生身の女たちだって似たような施工してるじゃないか!!
頭部は伊達な飾りではなく、実務的機能をきちんと持たせています。
内部に懐かしの玩具モーモー缶が組み込んであり、
寝かせるとンメ〜、演奏に合わせて揺するとアンっアンっアンっと鳴くんです。
モッモッモッかもしんないけどね。どうでもよろしいわ。
大道芸人やストリートミュージシャンがギターを弾きながら、
リズムに合わせてモーモー缶を鳴らすとします。どう工夫する?
ギターヘッドに装着するとネックを振り下ろすたびに発音するよ。
缶の中の重りが一瞬だけ無重力になって浮いて落ちるの。
みんなも弾き語りの時にやってみたらよござんす。
上手な人なら効果音にとどまらずリズム楽器にもできちゃうぞ。
従って本作は極めて道理に適った設計といえるのであります。
しかしこの工夫最大の楽しみはそこじゃない。
不意に鳴いて作った俺が毎回ビックリさせられる瞬間だ。
ちょっと持ち上げたり運んだり、曲の練習でひっくり返す時に、
NHKできるかなのアイツみたいにムッムウ〜と鳴くことがあるのです。
そういうときは私も「おッなんだ、どうした」「ごめんごめん」と返事をし、
会話しているように錯覚して遊ぶんです。
人造物が予期しない動作をするとまるで命が宿っているような印象を抱きますが、
ピースケ大先生様の超絶凄ェところは、わざと鳴ったり鳴らなかったりするように、
モーモー缶の角度を微妙に調整 =予期しなさを予期した設計を試みてのちすっかり忘れ、
夜中に自分で勝手にビックリする遊びを通してモノに命を吹き込もうとしている点です。
偶然に起こるシナリオ、仕組まれた自画自賛ハプニング、
未来の自分にドッキリ大作戦を仕掛ける独り遊びというのは、
新手の自慰行為とも言い換えられなくもないですね。うるせえっつの。
皆様、お待ンたせ致しました(村西とおるの声で)、
さっそくシングルベッドに招き入れ、模範演奏をば。
ギルガメッシュなナイトを過ごしてみましょう。
なんだお前、舌をチロッと出して悪戯っぽい表情で誘うじゃないか。
こないだ産まれたばかりと思っていたら知らぬ間に色気付きやがって。
「ふれあい動物園の加藤鷹」の異名をとるこの俺が、
今宵はお前の花園に悦楽の超高速・弦イジリー岡田といこうか。
ほれアポヤンド… アンっアンっアンっ。(楽器演奏の様子です)
そらアルアイレ… アンっアンっアンっ。(楽器演奏の様子です)
羊と狸の禁じられたパストラル・ロマンス。
ヒトとモノ、モノとケモノ、ケモノとヒト、
あの世とこの世を縦横に巡り、契りを結ぶクラインの蜜壷。
キンキー・ズーロジカル・ネクロマンティックの境地。
ふざけた事しとったらホントに魂が宿って今に間違いが起こるって?
まさかぁハッハ、オッおどかすなよおぉオテサーネクじゃないんだから。
楽器を大切にしなさいってみんな怒るじゃないですかっ。
そう、自分の体の一部のように感じながら演奏に臨みなさいと、
肉体の延長ひいては肉体との癒合を本望とする楽器の指導があります。
では実際に人間と楽器が互いの同意の上で肉体関係を持った場合、
敬虔で高貴たる諸先生方はいったいどんな顔なさいますでしょうか?
…ゲロ吐くだろうね。
フェティッシュの真髄は間違いなくここにあるはずだが、
境界を越えたアクセスは、見せ付けられると概ね気持ち悪いもんではある。
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私の権威的な経験からいって間違いありませんな、
「ホニホフィリア/めん羊性精神障害」の典型患者です。
危険思想に執着し健全な社会生活を送れなくなった哀れな男ですよ。
ヒツジのように柔和な心の持ち主のごとく振る舞うが、
実は奥底に穢らわしいオオカミの心を秘めているのであります。
==《主な症状》=====================
●国外経験もないのに現地人に楽器取り扱いの腕前を羨まれ、
自らは差し置いて同志や後進の活躍を願い振興に尽力してしまう。
●正規の専門教育を受けていないのに水辺の小生物に異常な関心を抱き、
衝動的に記した報告論文が従来の知識を覆してしまう。
●動物園の羊が異常になつき、あまりの親密度に飼育員が取り乱してしまう。
=================================
このとおり非常に厄介な症状を呈し世間を翻弄するのであります。
皆が平等の健全たる社会維持の為には、かような逸脱者の存在は誠に都合が悪い!
不用意に近寄れば厳しい叱責を喰らって立ち直れなくなるので、
決して優位に立とうとせず見かけたら小遣い3万円ぐらいくれてやるなど、
適切な対応でかわしましょう。
余計なお世話だろっての。しかしこの話もう少しだけ続きます。
次回は【 終話:たねあかし 〜詭弁の怪物〜 】です。
ホニホフールに到達した変態哲学のご理解にはもうちょい補足せねばならぬ。
主は来ませり。迷える仔羊たちよ、いましばし迷い給へ。BAAAAAAAA!!!!